ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

泥沼

2017-03-28 13:55:29 | 日記・エッセイ・コラム
ゴミが埋まっているとのことで、
撤去したようだが、
豈図らんやそこから泥沼が現れた。
安倍政権もその泥沼に足を取られている。
それでも近々抜け出すだろう。
どっぷりつかっている野党はどうするのか。
どうやって抜け出すのか。
・・・・・
もともと無理筋なのだ。
政治家の口利きは無さそうだし。
学校に寄付していても、それがどうしたというのだ。
たぶんしてないだろうし。
財務省が国有地の厄介払いをしただけだ。
巷で言われている、忖度をして。
それだけのことだが、
火の無い所に無理に火を付けたのが、
民進党の辻本清美である。
籠池夫人のメールによればだが。
人を送り込んでもいたらしい。
ほんの数日間のようだが。
メディアを利して、安倍政権を潰そうとでも思ったのか。
ところで、送り込んだ御仁は亡くなったらしい。
自殺だということだ?
まるで民主党時代の偽メール事件の永田議員のようだ。
だがメディアに辻本の名前がまったく出てこない。
おかしなことだ。
だからか、
菅官房長官が定例の記者会見でメディアに苦言を呈した。
もっともなことだ。
メディアはどう応えるのか。
多分無視だろう。
・・・・・
今回一番異常だったのはメディアである。
戦後のメディアが戦勝国の手先であるのは承知だが、
ここまであからさまになったことはない。
だがである、
トランプ大統領の登場でそれがはっきりと現れたのである。
にしてもアメリカのメディアも酷い。
と言うことは戦勝国だとか敗戦国だとかは関係ないのだ。
要するにすべてはグローバリズムが端緒なのだ。
グローバリズムゆえにワンワールドであり、
それゆえのリベラルである。
人も国もその独自色が邪魔になるのだ。
だから、違いを消そうとする。
差別反対といって違いを否定しようとするのもその一つ。
歴史・伝統・文化を進歩の敵のように嫌うのもその一つ。
ちなみに共産党はその権化のようなものだ。
だから日本共産党は天皇を否定する。
シナも共産党だから当然同じである。
そこに中華思想があるから、ちょっとややこしいが。
ヨーロッパも同様である。
だからまともな人が出てくれば、
極右というレッテルを貼って排除しようとする。
リベラルはレッテル貼りの印象操作が得意なのだ。
というか常套手段である。
今次主たる排除の対象は、
ロシアのプーチン、アメリカのトランプ、日本の安倍首相、
…等である。
彼らが近しいのには訳があるのだ。
・・・・・
さて、
ということで、
今年は大変ややこしくなる。
面白くも厄介な年なのだ。






茶番劇

2017-03-22 08:32:39 | 日記・エッセイ・コラム
森友学園の件である。
まだ渦中ではあるが、
そろそろ終わりに近づいたような気がする。
これで何もなく終わったら、
これはもう大茶番劇だった、
とうことになる。
たぶんそうなるだろう。
・・・・・
今回は特にテレビが酷かった。
NHKを初め民放各局が連日ニュースで放送していた。
政権寄りと思われていたフジテレビでもだ。
更に輪をかけたのがワイドショウである。
小学校設立に関する一連の状況は、
そこに問題があるのは明らかだが、
何が問題なのか吟味もせず、
ただ保守批判や政権批判で、
得意のレッテル貼りなどの印象操作を行い、
大々的に報じていたものだ。
やり過ぎである。
余りにやり過ぎである。
そこまで追い詰められていたのか。
戦後の偏向メディアは。
・・・・・
メディアにフェイクが多いとは、
トランプ大統領がよく言っているが、
日本でもまったく変わらないようだ。
というより話は逆である。
日本のメディアが偏向してるのは分かっていたが、
アメリカも同じだとは、
これはトランプ大統領に教えられた。
うすうす気付いてたが。
・・・・・
以下の件はだいぶ以前の話ではあるが、
党名が民主党の時代の偽メール事件に似ている。
当時の民主党は前原代表でリベラル色は薄かった。
むしろ保守よりに見えたものだ。
この事件で代表が交代することになり、
本家戻りか俄然リベラル色が強くなった。
ともかく、それで党の力が削がれることになった。
だから対抗勢力の自民党に嵌められたようにも見える。
結局はうやむやなのだが。
私の思いは別にある。
あれは民主党内の主導権争いだったと確信している。
リベラル側の保守落としだったと。
それにその発端を作り、
一番事情を知っている、
当の永田議員が亡くなっている。
自殺ということだが、それも怪しい。
死人に口無しである。
自民党の謀略なら、
そこまでする必要はないだろう。
・・・・・
今回一番疑問なのが籠池氏である。
自身が保守で、
保守に強い思い入れがあるなら、
それを大事にするのが筋だ。
それが贔屓の引き倒しのような行動をする。
単に私利私欲だけなのか。
それなら話は分かる。
それとも…。
それにしても今回の件は、
どこでどんな政治的力が働いてるのか知らないが、
偏向メディアの致命傷になるかも知れない。
これはまあ、
私の希望的観測ではある。

無明の人

2017-03-17 15:50:36 | 日記・エッセイ・コラム
青瓦台を去り自宅に帰った、
時の人、
朴槿恵さんである。
今や元大統領となってしまった。
それにこれで終わった訳ではないだろう。
まだまだ追及されるようだ。
哀れなことです。
・・・・・
思えば当選した時は、
気持ち応援していた。
日本とはそれまでよりも上手くやれるだろうと。
お父さんの朴正煕は、
日本が好きかどうかは知らないが、
少なくとも理解はしていた。
だから日本を利用し国を立てようとした。
それはそれなりに成功した。
有名な言葉に、
竹島など爆破して海に沈んでしまえばいい、
とか。
日本との無用のトラブルを避けたいと、
そういう思いがあった。
その衣鉢を受け継いでると思っていた。
娘の朴槿恵さんは。
ひょっとしたら、あったのかも知れないが…。
実体は完璧な反日であった。
自国の現実に迎合したのか、
まったき自身の思いなのか。
どちらにしても、
朴正煕は草葉の陰で泣いている。
・・・・
少なくともお父さんは、
自分を見る目を持っていた。
自国を見る目を持っていた。
自分で自分を見るとはどういうことか。
欧米的には客観視ということだろう。
客観とは人の目を借りることだ。
それはあくまでも想定であるのだが、
その想定が大事なのだ。
日本にも、
人の振り見て我が振り直せ、
という言葉がある。
似たようなものだ。
だが日本はそれだけではない。
人の目を借りないで見ることもある。
それは鏡である。
鏡に映る自分を見るのである。
天照大神は降臨する孫の瓊瓊杵尊に鏡を授けた。
そして言った。
我を拝むように鏡を拝めと。
鏡を拝めば、そこに必ず自分が映る。
自分で自分を見るのである。
しかも神を通して。
・・・・・
人の目も借りられず、
心の内に鏡も持たず、
この世界をさまよう。
今や無明の中にいる、朴槿恵さん。
これは何も彼女だけではない。
彼の国の大半がそのようだ。

今年一番の問題

2017-03-13 11:00:00 | 日記・エッセイ・コラム
生前退位とは失礼な言葉である。
NHKや新聞報道では、そういう表現がなされていた。
生前という表現が失礼なのだが、
退位というのも頂けない。
引き継ぎがなければ終了ということだ。
そも天皇は太古から連綿と続いている存在である。
日本の根幹なのだ。
無くてはならないのである。
だから譲位でなければならない。
当方も最初は疑問を持たなかった。
面目ないことです。
・・・・・
左派・リベラルには天皇は邪魔な存在である。
およそ人は皆一緒でなければならないのだから。
特別な存在は認めないのだ。
確かに天皇は特別である。
飛び切り特別である。
人であって(普通の)人ではない。
人でありながら神(の如く)である。
戦前はそれを現人神と謂った。
それは今も変わらない。
天皇はすべての時を神とともに在る。
祈り続けているのである。
陛(神の住まう天への階段)の下で。
だから陛下と謂う。
もう一人陛下がおられる。
皇后陛下である。
一にして祈るのは天皇であり、
それを支えるのが皇后なのだ。
そのお二人が特別なのである。
・・・・・
共産党は天皇を認めていない。
どうも無くしたいようだ。
他のリベラル人士はどうだろう。
同じだと思うが、そこはよく分からない。
保守陣営は当然認めている。
だが中には怪しい人もいる。
女系(母系)でもいい、とか言うのだ。
これは万世一系の筋から外れ、
天皇否定に繋がるものである。
これが保守陣営から出るのだ。
情けない。
天皇は人であって人ではない。
覚悟の人であり、神のごとき人である。
もとより人権の外にある。
だからこその存在なのだ。
それに天皇は民が選ぶものではない。
なるべくしてなる、存在である。
なるべくしてなる、ことが大事なのだ。
それが男系による万世一系である。
女系でもいいとなれば、
それは結局誰でもいいことになってしまう。
おそろしいことだ。
・・・・・
天皇のお言葉を聞く限り、
そこには譲位という言葉はなかった。
ただ先々の懸念を思われていた。
心ある者は、
よくよく慮って、
慎重に、
諮らねばならない。

何でもないこと

2017-03-07 15:26:51 | 日記・エッセイ・コラム
雑事である。
生きるとは雑事である。
食べる、寝る、働く、伴侶を得る、子供を育てる、
そしていづれは帰る、生まれる前にいたところに。
その一つひとつが生きることです。
生きることそのものです。
その間に、
泣いたり、笑ったり、怒ったり、喜んだり、
千変万化の万華鏡、
その一つひとつが生きることです。
そも雑事である。
生きるとは。
雑事こそ大事である。
雑事を大事にしてこそである。
そこに命がある。
・・・・・
自然はいつも先生である。
自然は嘘を付かない。
雑事の積み重ねの結果がそこにある。
そこに嘘はない。
あるのは今という結果だけ。
それが自然だ。
人間は嘘を付く。
語る(騙る)のである。
それが習い性となっている。
残念である。
でもどうしても語る(騙る)のである。
畏れを持ってなら良いのだが、
得てして傲慢に語るのである。
理念とか理想とか言って。
・・・・・
天皇・皇后両陛下がヴェトナムをご訪問されていた。
いつも思うのだが、隙がないのである。
そのお言葉とお振舞に。
とりわけ語りに虚飾がないのは脅威的ですらある。
まさに「まこと」である。
人が初めて言葉を手にした時のように、
言葉と思いが一体であり、
全く乖離がないのである。
「まこと」という所以なり。
私のような凡人には、
到底マネはできない。
・・・・・
天皇を政治利用してはいけない、
とはよく言われることです。
それはその存在が余りに大きいからである。
とりわけ政治においては。
だから迂闊に触ってはいけない。
慎重の上にも慎重であらねば…。
ちなみに、
シナ○千年の歴史には決してないものだ。
シナに天皇があれば、易姓革命を重ねなくて済んだものを。
過去の良きものを壊さなくて済んだものを。
今後そのような芯が創れるのか。
創れなければ、
今の繁栄も砂上の楼閣でしかない、
ということだ。