宇宙は円環でできている。
本当のところはどうか知らないが、
一応はそういうことらしい。
太陽系は太陽を中心とした円環である。
その上の大きな円環が銀河系である。
銀河系以外にもそれに似た大きな系が多数ある。
それらの大きな系もまた集まって、
さらにその上の大きな円環になる。
と言うことだと思うのだが、
本当のところは分からない。
人の目に見えるのは三次元までである。
それ以上の次元があるのかも知れない。
あっても、それは見えない。
ともかく円環のようなのだ、
この世界は。
・・・・・
それに似ているのです、この日本は。
以前にも言ったが、日本は円環の社会であると。
その昔、日本は倭国と呼ばれた。
倭という字を当てたのはシナ王朝である。
あまり良くない字義のようだ。
当てたのはシナだが、当てるにあたっては問うたはずである。
それに答えて「わ」と言ったのか。
一説には「我(われ)」と言ったのを国名と勘違いしたとも。
それはないだろう。
日本側がその名に異を唱えていないのだから。
つまり「わ」の国だったのだ。
「わ」とは輪である。
であるのだが、輪の字は使わない。
なぜなら「わ」とは読めないから。
音では「りん」である。
だから、ともかく倭国で良しとした。
でも字義が良くないので後に改めた。
「わ」と読める字、つまり和の字に。
だが意味は輪である。
円環のつもりなのだ。
それは見た目の話ではあるのだが、
心的に捉えれば和と謂う字になる。
和は輪と同じなのだ。
だから和国とした。
音としても字義としても。
これは私の勝手解釈です。
・・・・・
後にその和国が同じ種の国と合体したようだ。
それが大和である。
字義からすれば、そう推察できるのです。
だが、これを「だいわ」とは読まない。
思うに、シナに示すものではなかったのだろう。
あくまで、内輪の問題であったのだ。
しかして、それを「やまと」と読む。
さながら、これはそうは読めない。
だから「やまと」こそ本来の自称(自国音としての)なのだと思う。
さらに不思議なことがある。
それを「日本」と表記したことです。
シナはそれを「にっぽん」と読んだであろう。
それが訛って「ジャパン」となったのか。
だからか今それが正式な国名となっている、字義としても音としても。
しかし当時はそれを「やまと」と読んでいた。
これはもとより当て読みである。
音を重視すれば日本は今も「やまと」と謂うことか。
だがなぜ字義を替える必要があったのか。
そこには何か大きな理由があったはずだ。
それにしてもである。
字義は変えたのだが、読みは変えていない。
日本はその根は変わってはいないということだ。
ということは、
字義としての「日本」と音としての「やまと」、
これを解き明かせば「日本とは何か」が分かる、
と思うのです。
私の命題の一つが解けるのです。
・・・・・
宇宙が円環の世界であるように、
この日本も円環の世界である。
天皇陛下を中心とする円環の世界なのである。
そこには中心はあっても上下はない。
シナや欧米のようなピラミッド社会ではないのだ。
人が人を支配しない。
だから制度としての奴隷制はなかった。
ときに奴隷のごとき者がいたとしても。
地方(分権)は小さな円環であり、
中央(集権)は大きな円環をなす。
日本は円環の世界である。
今も昔も。
本当のところはどうか知らないが、
一応はそういうことらしい。
太陽系は太陽を中心とした円環である。
その上の大きな円環が銀河系である。
銀河系以外にもそれに似た大きな系が多数ある。
それらの大きな系もまた集まって、
さらにその上の大きな円環になる。
と言うことだと思うのだが、
本当のところは分からない。
人の目に見えるのは三次元までである。
それ以上の次元があるのかも知れない。
あっても、それは見えない。
ともかく円環のようなのだ、
この世界は。
・・・・・
それに似ているのです、この日本は。
以前にも言ったが、日本は円環の社会であると。
その昔、日本は倭国と呼ばれた。
倭という字を当てたのはシナ王朝である。
あまり良くない字義のようだ。
当てたのはシナだが、当てるにあたっては問うたはずである。
それに答えて「わ」と言ったのか。
一説には「我(われ)」と言ったのを国名と勘違いしたとも。
それはないだろう。
日本側がその名に異を唱えていないのだから。
つまり「わ」の国だったのだ。
「わ」とは輪である。
であるのだが、輪の字は使わない。
なぜなら「わ」とは読めないから。
音では「りん」である。
だから、ともかく倭国で良しとした。
でも字義が良くないので後に改めた。
「わ」と読める字、つまり和の字に。
だが意味は輪である。
円環のつもりなのだ。
それは見た目の話ではあるのだが、
心的に捉えれば和と謂う字になる。
和は輪と同じなのだ。
だから和国とした。
音としても字義としても。
これは私の勝手解釈です。
・・・・・
後にその和国が同じ種の国と合体したようだ。
それが大和である。
字義からすれば、そう推察できるのです。
だが、これを「だいわ」とは読まない。
思うに、シナに示すものではなかったのだろう。
あくまで、内輪の問題であったのだ。
しかして、それを「やまと」と読む。
さながら、これはそうは読めない。
だから「やまと」こそ本来の自称(自国音としての)なのだと思う。
さらに不思議なことがある。
それを「日本」と表記したことです。
シナはそれを「にっぽん」と読んだであろう。
それが訛って「ジャパン」となったのか。
だからか今それが正式な国名となっている、字義としても音としても。
しかし当時はそれを「やまと」と読んでいた。
これはもとより当て読みである。
音を重視すれば日本は今も「やまと」と謂うことか。
だがなぜ字義を替える必要があったのか。
そこには何か大きな理由があったはずだ。
それにしてもである。
字義は変えたのだが、読みは変えていない。
日本はその根は変わってはいないということだ。
ということは、
字義としての「日本」と音としての「やまと」、
これを解き明かせば「日本とは何か」が分かる、
と思うのです。
私の命題の一つが解けるのです。
・・・・・
宇宙が円環の世界であるように、
この日本も円環の世界である。
天皇陛下を中心とする円環の世界なのである。
そこには中心はあっても上下はない。
シナや欧米のようなピラミッド社会ではないのだ。
人が人を支配しない。
だから制度としての奴隷制はなかった。
ときに奴隷のごとき者がいたとしても。
地方(分権)は小さな円環であり、
中央(集権)は大きな円環をなす。
日本は円環の世界である。
今も昔も。