ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

自己実現とは

2013-03-25 16:52:55 | 日記・エッセイ・コラム

自分探し、ということがよく言われる。

自己実現、これも同じことだと思う。

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自分の中にいくら自分を探しても、そこには自分しかいない。

初めから終りまで自分である。

それは探しようがない。

探す意味がない。

もし世界に自分一人しかいなければ、自分を探す必要などない。

自分は自分である。

自分探しとは他者が居てこそである。

世間があってこそである。

玉葱の芯探しと同じである。

芯探しのため皮を剥いても、最後は空である。

空が芯とも言えるが、空は空である。

皮こそ芯である。

皮こそ芯を在らしめている。

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思うに、

自己実現とは自分の居場所を見つけることである。

社会の中で居場所を見つけることである。


平和運動の嘘

2013-03-18 11:24:31 | 日記・エッセイ・コラム

暴力とは力の乱用である。

武の力の乱用は見た目に分りやすい暴力である。

しかし、

知の力の乱用も、

金の力の乱用も、

すべからく力の乱用は暴力である。

いじめに対して、

腕力の強いガキ大将が「ええ加減にせえ」と一喝して、

いじめを治めたら、

その時その力は正義の力となる。

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武の力は暴力ではない。

ただ、力の乱用だけが暴力なのである。

戦後の平和運動は、

武の力だけが暴力だと思っている。

バカの極みである。


学校の無能

2013-03-13 15:28:58 | 日記・エッセイ・コラム

いじめは根絶しなければならない、

と言ってた校長先生がいた。

テレビのニュースだったと思う。

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人と人のふれあいが人間関係である。

ふれあいとは摩擦である。

良い摩擦が友情だとして、悪い摩擦はいじめだとする。

どちらも摩擦である。

悪い摩擦を根絶することと、良い摩擦を根絶することは、同じである。

テレビの番組であったことだが、

出演者の一人が、学校時代の友人で仲の良かった者を紹介していた。

紹介された者の一人が、

本当はいじめられていたと言った。

その出演者はまったく気付いていなかったのである。

いじめとは当人の心の内にあるもので、

まわりの人間には分からないことがある。

実に厄介なものである。

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思うに、

いじめとは根絶するものではなく、治めるものである。

学校の先生はいじめの治め方を知らねばならない。

また、いじめの治め方を教えなければならない。

集団生活において、それは何より大切なことである。

それが教えられないなら、

学校に意味はない。


もの思うこと

2013-03-04 16:02:32 | 日記・エッセイ・コラム

もの思うこと、それが人にはできる。

もの思う力が人にはある。

もの思う力はどこにあるのか。

脳の力か。

それは一般的にはそう言われるが、ちょっと違うと思う。

脳はとりあえずの起点である。

脳の細胞も手足の細胞も、細胞としては同じである。

どこにどのような構成であるかだけの違いである。

役割分担の違いである。

地球上で最初に誕生した生命、

その生命(ひとつの細胞)に既に力があったのではないか。

人間には60兆個の細胞があるという。

60兆個の細胞のすべてにその力がある。

60兆個の細胞すべての結集として、もの思う力がある。

胎で考える、身体で考える、である。

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現下の人間は頭でっかちが多い。

皮相にとらわれた、

大脳新皮質バカである。