今や日本はグローバリズムが吐いた糸で満ちている。
勿論これは日本だけに限らない。
世界は既にからめとられている。
欧米人は騙されやすいのだ、論理を好むから。
論理を好む者は論理に弱い。
特に人権や平和等の言辞を持ち出されたら、なかなか反論できないのだ。
結局言葉遊びに終始し、現実は少しも良くならない。
実に情けない状況である。
それがまあリベラル的言辞の本質である。
我が日本では特に反日自虐史観として現れている。
もとより反国家はリベラルの本貫なのだ。
もう一つ顕著に現れているのがお金の世界である。
お金は自身に問題はないのだが、往々にして不浄になりやすい。
だから日本人は注意を払ってきた。
そのお金を利用して世界を仕切ろうとする。
武はどちらかと言えば見せるもので、お金こそ支配の道具なのです。
それが現下の世界です。
・・・・・
以前は「企業は人なり」とよく言われた。
私は今もそうだと思っている。
実際良い企業は現実にそのようである。
だが最近はまったく耳にしない。
なぜなのか。
どうしてだろう。
思うに、それは言いたくないからだ。
それを言ったら「会社は株主のもの」とは言えなくなるから。
以前の考えなら、
会社は先ず役職員のものであり、
なぜなら生業を為す意思・力は人にあるのだから、
勿論株主のものでもあり、
当然設備等の資産は株主のものに違いなかろうし、
それに顧客や他の関係者も無視できないし、
何しろ彼ら無くして存立しえないのだから、
である。
それがいつからか株主だけのものになってしまった。
そして労働者は設備の一部となった。
それはバブル崩壊以降のことである。
日本的経営が押しのけられ、欧米経営がもてはやされたのだ。
むろん意図して仕掛けられたのです。
それが世界標準だとか言って…、いろんなリベラル的言辞を添えて。
何しろ言いくるめるのが上手いのだ。
そして現下の世界となった。
・・・・・
ゆえに企業の成果は株主のものなのだ。
従業員の給料を増やせば利益は減ずる。
それを株主は好まない。
だから給料は抑えられる。
しかし役員の給料はその限りではない。
むしろ高くなる。
それは株主の意向に応えられたら、ではあるが。
ここに仕掛けがあったのだ。
日本では役職員はともに働く者である。
仕事の種類が違うだけだ。
つまり共に労働者だということです。
最高神の天照大神でも普通に働く国なのだから。
それが欧米経営では分断される。
役員と職員は分断されるのだ。
役員は使用者として株主の手先となり、
労働者とは一線を引かれる。
そんな世界である。
そも労働は奴隷の役目だったのだ。
勿論日本の会社から日本的経営がなくなった訳ではない。
根っこでは生きていると思う。
私は信じたい。
・・・・・
株主とは一握りの金持ちのことである。
その株主にお金が集まる仕組みが創られている。
それが現下のマネーの世界である。
経済をマネーゲームという博打場の下に置いたのだ。
勿論庶民もそのゲームに加わっている。
誘いこまれたのだ。
昔からよく言われることで、
博打は最後はお金を持ってる方が勝つ、
というのがある。
まあそういうことです。
結果お金(金持ち)が世界を支配する。
何とも不愉快な世界である。
嘆いても仕方なし。
そんな現実から目を逸らさず、
しっかり見据え、
そして悠々と生きるのみ。
勿論これは日本だけに限らない。
世界は既にからめとられている。
欧米人は騙されやすいのだ、論理を好むから。
論理を好む者は論理に弱い。
特に人権や平和等の言辞を持ち出されたら、なかなか反論できないのだ。
結局言葉遊びに終始し、現実は少しも良くならない。
実に情けない状況である。
それがまあリベラル的言辞の本質である。
我が日本では特に反日自虐史観として現れている。
もとより反国家はリベラルの本貫なのだ。
もう一つ顕著に現れているのがお金の世界である。
お金は自身に問題はないのだが、往々にして不浄になりやすい。
だから日本人は注意を払ってきた。
そのお金を利用して世界を仕切ろうとする。
武はどちらかと言えば見せるもので、お金こそ支配の道具なのです。
それが現下の世界です。
・・・・・
以前は「企業は人なり」とよく言われた。
私は今もそうだと思っている。
実際良い企業は現実にそのようである。
だが最近はまったく耳にしない。
なぜなのか。
どうしてだろう。
思うに、それは言いたくないからだ。
それを言ったら「会社は株主のもの」とは言えなくなるから。
以前の考えなら、
会社は先ず役職員のものであり、
なぜなら生業を為す意思・力は人にあるのだから、
勿論株主のものでもあり、
当然設備等の資産は株主のものに違いなかろうし、
それに顧客や他の関係者も無視できないし、
何しろ彼ら無くして存立しえないのだから、
である。
それがいつからか株主だけのものになってしまった。
そして労働者は設備の一部となった。
それはバブル崩壊以降のことである。
日本的経営が押しのけられ、欧米経営がもてはやされたのだ。
むろん意図して仕掛けられたのです。
それが世界標準だとか言って…、いろんなリベラル的言辞を添えて。
何しろ言いくるめるのが上手いのだ。
そして現下の世界となった。
・・・・・
ゆえに企業の成果は株主のものなのだ。
従業員の給料を増やせば利益は減ずる。
それを株主は好まない。
だから給料は抑えられる。
しかし役員の給料はその限りではない。
むしろ高くなる。
それは株主の意向に応えられたら、ではあるが。
ここに仕掛けがあったのだ。
日本では役職員はともに働く者である。
仕事の種類が違うだけだ。
つまり共に労働者だということです。
最高神の天照大神でも普通に働く国なのだから。
それが欧米経営では分断される。
役員と職員は分断されるのだ。
役員は使用者として株主の手先となり、
労働者とは一線を引かれる。
そんな世界である。
そも労働は奴隷の役目だったのだ。
勿論日本の会社から日本的経営がなくなった訳ではない。
根っこでは生きていると思う。
私は信じたい。
・・・・・
株主とは一握りの金持ちのことである。
その株主にお金が集まる仕組みが創られている。
それが現下のマネーの世界である。
経済をマネーゲームという博打場の下に置いたのだ。
勿論庶民もそのゲームに加わっている。
誘いこまれたのだ。
昔からよく言われることで、
博打は最後はお金を持ってる方が勝つ、
というのがある。
まあそういうことです。
結果お金(金持ち)が世界を支配する。
何とも不愉快な世界である。
嘆いても仕方なし。
そんな現実から目を逸らさず、
しっかり見据え、
そして悠々と生きるのみ。