今の世界は、
人類の世界のことだが、
それは今から一万二千年前頃から、
始まったとか。
勿論その前からヒトはいたのだが、
それにそこには文明もあったろう。
でもそれはあまり分かっていない。
ときに厳しい氷河の時代であった。
最も厳しかったのが二万年前頃か。
それが終息したのが丁度上記の頃。
日本の縄文時代もその頃からです。
厳しい時代を生き抜いた人類には、
ときに魂の大きな躍動があったか。
その遺跡や遺物が今に残っている。
面白きかな。
・・・・・
ときの厳しい環境から、
徐々にすみやすい環境になっていった。
それが今の時代の幕開けとなった。
言葉はそのずっと前から持っていただろう。
言葉を持つことと神を知ることはほぼ同時であろうか。
言葉の始まりは心魂が発する音・声である。
それは最初は何かの合図であったかも。
それもきっと危険を知らせるものかと。
だからそれは全身全霊で発しただろう。
まさに心魂の発露だったのだ。
しかしてそれが言葉となった。
ここに一番の不可思議がある。
この不可思議の内奥に神は隠れている。
ところで虫たちの前には現実しかない。
だがヒトの前にはそこに不可思議が乗って来る。
言葉がそれを表出させるのだ。
ときに戸惑い想いをめぐらす。
そこで神を知るのです。
神は知るものなのです。
信じるとか信じないの問題ではないのだ。
それが神の物語を創るのです。
そして次にヒトの物語もまた。
格のごとくなるのです。
しかして歴史伝統文化が重ねられる。
その中に宗教哲学科学も乗って来る。
そして今がある。
とか何とか勝手なことを言っている。
ここで本題の助け合いである。
思うに言葉の始めには助け合いがあると。
てかむしろ助け合いが言葉を育てたとも。
それは皆で生きることを選んだ必然かと。
その助け合いとはつまり役割を分担すること。
分担して相互にその成果を交換する。
そして安全安心の中で豊かに生きる、
それが目指すところであり目的だと。
それは最初は小さい集団から始まる。
家族一族郎党に隣人友人知人、果ては~まで。
その助け合いには色んな向きがある。
大きく言えば政治経済社会であろう。
政治は人の立場役割等を仕切るもの、
経済は仕事の成果物を交換するもの、
社会は人の在り方の処方を示すもの、
かな?
・・・・・
本来は助け合いから始まってるのに、
現下はそのすべてがガタガタである。
それも見るも無残なほど。
それでも日本は未だその精神を保持している。
あの東日本大震災時の振る舞いを見ればあきらか。
それも昨今は雲行きが怪しい。
いざとなれば又戻ると思うが。
政治が特に酷いが社会もまた同様である。
てか今回は経済のこと、
経済もまた同様でこれも酷いもので、
ほとんど嘘ばかり。
・
ひとつはお金。
お金は生きるに於いて直接の価値は無い。
お金が幾らあっても腹の足しにはならないのだ。
お金は各人の為した成果物の交換の尺度であり、
それが交換を円滑に為さしめるのである。
つまり助け合いを円滑かつ全体に行き渡らせる、
これこそがお金の役割であり、
そこにお金の真価がある。
そこを違えてはならない。
だからです、
世に成果物が無ければお金は無用の長物となる。
てか物がなければ意味をなさないのは当然です。
その昔アフリカの国ジンバブエでお金が無用の長物となった。
段ボール一杯の札束を積んでもパン一切れとか。
社会的混乱からか働きがほとんど消失したのだ。
お金を意味あるものにするには人の働きが必要なのです。
お金の価値を支えているのは人の働きなのです。
だから日本円には価値がある。
最高神の天照大神さえ働くのです。
すべての人が働き且つその働きを交換する。
これは経済行為であるが根は助け合いです。
だから働かざる者食うべからずなのである。
けだし基より各人の事情に置いて働くのだ。
多ければ多く、少なくてもそれなりにです。
ちなみにエコノミーのその語源は知らない。
対する日本語として経済という言葉が創られた。
この語源は分かっている。
漢籍にあった四文字の経世済民である。
これは世を治め人民を救うということ。
これを二字にして経済とした。
ということで実に納得である。
ちょっと上から目線なのだが。
まあいいか。
ところがである、
今このお金がうまく回っていないのだ。
碌に働きもしない輩に多くが集まる仕組みになっている。
それは敢えてそうした者がいる。
彼らが経済を博打場にしたのだ。
博打はお金のやり取りばかりで、
そも成果物を生み出さない。
それに博打はお金を持ってる者が最後には必ず勝つ。
それは勝つまで勝負を続けられるからです。
ときに小金持ちがその標的になる。
その小金持ちが日本には沢山いる。
だから言うのだろう、預金よりも投資だと。
本当に投資なら問題はない。
でも実際は投機がほとんど。
だから注意せねば。
・
ひとつは働き。
これが根本であります。
これには個人と会社がある。
個人はある意味無数におります。
会社は数が限られる。
しかも昨今は淘汰されて少なくなる傾向にある。
個人もこのコロナ騒動でいよいよ窮地に陥った。
ところで会社と言っても中小企業は少し違うと。
特に小企業はそうです。
実態は個人と同じかと。
これが痛めつけられたのである。
なぜなのか。
それは経済を支配するためです。
個人を潰し会社だけにする、
そしてその会社を支配する。
これで完了です。
何しろ会社は株主のものなのだ。
そういう風に言いくるめられている。
これはほとんど詐欺である。
確かに会社のものでもある。
でも主体はその生業を為す役職員である。
価値を生むのはお金ではなく人の働きなのです。
お金や設備は何も生まない。
有るだけでは何も生まない。
なのに働きは只の要素にされてしまった。
そして設備等と同じでコスト扱いである。
賃金が上らないのは故です。
かわりに配当金が増加する。
実に分かりやすい話である。
これは体のいい奴隷化政策なのかも。
ついでながら移民もそうだ。
低賃金労働力の受入とは奴隷の受入にかわらないと。
そうでないというなら、それは日本潰しである。
日本の文化やその暮らしが壊されることに。
そも経済の根底には助け合いがある。
お金は手段であり目的ではない。
こんな当り前が分からない。
偽善はもう止めよう。
それで問題なし、
我が日本は。
だから日本ではボランティアは本来不要である。
働くこと自体が人助けになるから。
勿論普通にちゃんと働けばである。
なのにボランティアが異様に増えている。
ちょっと前はコラボコラボと喧しかった。
これは人権と偽善のコラボであり、
結局はあからさまな利権あさりか。
それも究極の目的は日本潰しかも。
う~ん、
・・・・・
本当のグローバリズムとは、
棲み分けに寄る共生とその上での緩やかな連帯、
それによって為されるもの。
基よりこれは外国人排斥ではない。
日本が好きで日本語を習得し日本で暮らす。
そんな移住にまったく問題はない。
それに一時的ならそれも問題なし。
そういうことは大歓迎です。
諺で言えば、郷に入っては郷に従え、ってこと。
他人の家でも自分の家のように振る舞うとは?、
もっての外である。
根本にある助け合いという精神に鑑みればそういうこと。
なのに無味乾燥な偽善的言辞を弄して壊そうとする。
そんなヒトが後を絶たない。
ホント厄介である。
嗚呼!
人類の世界のことだが、
それは今から一万二千年前頃から、
始まったとか。
勿論その前からヒトはいたのだが、
それにそこには文明もあったろう。
でもそれはあまり分かっていない。
ときに厳しい氷河の時代であった。
最も厳しかったのが二万年前頃か。
それが終息したのが丁度上記の頃。
日本の縄文時代もその頃からです。
厳しい時代を生き抜いた人類には、
ときに魂の大きな躍動があったか。
その遺跡や遺物が今に残っている。
面白きかな。
・・・・・
ときの厳しい環境から、
徐々にすみやすい環境になっていった。
それが今の時代の幕開けとなった。
言葉はそのずっと前から持っていただろう。
言葉を持つことと神を知ることはほぼ同時であろうか。
言葉の始まりは心魂が発する音・声である。
それは最初は何かの合図であったかも。
それもきっと危険を知らせるものかと。
だからそれは全身全霊で発しただろう。
まさに心魂の発露だったのだ。
しかしてそれが言葉となった。
ここに一番の不可思議がある。
この不可思議の内奥に神は隠れている。
ところで虫たちの前には現実しかない。
だがヒトの前にはそこに不可思議が乗って来る。
言葉がそれを表出させるのだ。
ときに戸惑い想いをめぐらす。
そこで神を知るのです。
神は知るものなのです。
信じるとか信じないの問題ではないのだ。
それが神の物語を創るのです。
そして次にヒトの物語もまた。
格のごとくなるのです。
しかして歴史伝統文化が重ねられる。
その中に宗教哲学科学も乗って来る。
そして今がある。
とか何とか勝手なことを言っている。
ここで本題の助け合いである。
思うに言葉の始めには助け合いがあると。
てかむしろ助け合いが言葉を育てたとも。
それは皆で生きることを選んだ必然かと。
その助け合いとはつまり役割を分担すること。
分担して相互にその成果を交換する。
そして安全安心の中で豊かに生きる、
それが目指すところであり目的だと。
それは最初は小さい集団から始まる。
家族一族郎党に隣人友人知人、果ては~まで。
その助け合いには色んな向きがある。
大きく言えば政治経済社会であろう。
政治は人の立場役割等を仕切るもの、
経済は仕事の成果物を交換するもの、
社会は人の在り方の処方を示すもの、
かな?
・・・・・
本来は助け合いから始まってるのに、
現下はそのすべてがガタガタである。
それも見るも無残なほど。
それでも日本は未だその精神を保持している。
あの東日本大震災時の振る舞いを見ればあきらか。
それも昨今は雲行きが怪しい。
いざとなれば又戻ると思うが。
政治が特に酷いが社会もまた同様である。
てか今回は経済のこと、
経済もまた同様でこれも酷いもので、
ほとんど嘘ばかり。
・
ひとつはお金。
お金は生きるに於いて直接の価値は無い。
お金が幾らあっても腹の足しにはならないのだ。
お金は各人の為した成果物の交換の尺度であり、
それが交換を円滑に為さしめるのである。
つまり助け合いを円滑かつ全体に行き渡らせる、
これこそがお金の役割であり、
そこにお金の真価がある。
そこを違えてはならない。
だからです、
世に成果物が無ければお金は無用の長物となる。
てか物がなければ意味をなさないのは当然です。
その昔アフリカの国ジンバブエでお金が無用の長物となった。
段ボール一杯の札束を積んでもパン一切れとか。
社会的混乱からか働きがほとんど消失したのだ。
お金を意味あるものにするには人の働きが必要なのです。
お金の価値を支えているのは人の働きなのです。
だから日本円には価値がある。
最高神の天照大神さえ働くのです。
すべての人が働き且つその働きを交換する。
これは経済行為であるが根は助け合いです。
だから働かざる者食うべからずなのである。
けだし基より各人の事情に置いて働くのだ。
多ければ多く、少なくてもそれなりにです。
ちなみにエコノミーのその語源は知らない。
対する日本語として経済という言葉が創られた。
この語源は分かっている。
漢籍にあった四文字の経世済民である。
これは世を治め人民を救うということ。
これを二字にして経済とした。
ということで実に納得である。
ちょっと上から目線なのだが。
まあいいか。
ところがである、
今このお金がうまく回っていないのだ。
碌に働きもしない輩に多くが集まる仕組みになっている。
それは敢えてそうした者がいる。
彼らが経済を博打場にしたのだ。
博打はお金のやり取りばかりで、
そも成果物を生み出さない。
それに博打はお金を持ってる者が最後には必ず勝つ。
それは勝つまで勝負を続けられるからです。
ときに小金持ちがその標的になる。
その小金持ちが日本には沢山いる。
だから言うのだろう、預金よりも投資だと。
本当に投資なら問題はない。
でも実際は投機がほとんど。
だから注意せねば。
・
ひとつは働き。
これが根本であります。
これには個人と会社がある。
個人はある意味無数におります。
会社は数が限られる。
しかも昨今は淘汰されて少なくなる傾向にある。
個人もこのコロナ騒動でいよいよ窮地に陥った。
ところで会社と言っても中小企業は少し違うと。
特に小企業はそうです。
実態は個人と同じかと。
これが痛めつけられたのである。
なぜなのか。
それは経済を支配するためです。
個人を潰し会社だけにする、
そしてその会社を支配する。
これで完了です。
何しろ会社は株主のものなのだ。
そういう風に言いくるめられている。
これはほとんど詐欺である。
確かに会社のものでもある。
でも主体はその生業を為す役職員である。
価値を生むのはお金ではなく人の働きなのです。
お金や設備は何も生まない。
有るだけでは何も生まない。
なのに働きは只の要素にされてしまった。
そして設備等と同じでコスト扱いである。
賃金が上らないのは故です。
かわりに配当金が増加する。
実に分かりやすい話である。
これは体のいい奴隷化政策なのかも。
ついでながら移民もそうだ。
低賃金労働力の受入とは奴隷の受入にかわらないと。
そうでないというなら、それは日本潰しである。
日本の文化やその暮らしが壊されることに。
そも経済の根底には助け合いがある。
お金は手段であり目的ではない。
こんな当り前が分からない。
偽善はもう止めよう。
それで問題なし、
我が日本は。
だから日本ではボランティアは本来不要である。
働くこと自体が人助けになるから。
勿論普通にちゃんと働けばである。
なのにボランティアが異様に増えている。
ちょっと前はコラボコラボと喧しかった。
これは人権と偽善のコラボであり、
結局はあからさまな利権あさりか。
それも究極の目的は日本潰しかも。
う~ん、
・・・・・
本当のグローバリズムとは、
棲み分けに寄る共生とその上での緩やかな連帯、
それによって為されるもの。
基よりこれは外国人排斥ではない。
日本が好きで日本語を習得し日本で暮らす。
そんな移住にまったく問題はない。
それに一時的ならそれも問題なし。
そういうことは大歓迎です。
諺で言えば、郷に入っては郷に従え、ってこと。
他人の家でも自分の家のように振る舞うとは?、
もっての外である。
根本にある助け合いという精神に鑑みればそういうこと。
なのに無味乾燥な偽善的言辞を弄して壊そうとする。
そんなヒトが後を絶たない。
ホント厄介である。
嗚呼!