ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

助け合い

2023-07-31 10:00:36 | 日記・エッセイ・コラム
今の世界は、
人類の世界のことだが、
それは今から一万二千年前頃から、
始まったとか。
勿論その前からヒトはいたのだが、
それにそこには文明もあったろう。
でもそれはあまり分かっていない。
ときに厳しい氷河の時代であった。
最も厳しかったのが二万年前頃か。
それが終息したのが丁度上記の頃。
日本の縄文時代もその頃からです。
厳しい時代を生き抜いた人類には、
ときに魂の大きな躍動があったか。
その遺跡や遺物が今に残っている。
面白きかな。
・・・・・
ときの厳しい環境から、
徐々にすみやすい環境になっていった。
それが今の時代の幕開けとなった。
言葉はそのずっと前から持っていただろう。
言葉を持つことと神を知ることはほぼ同時であろうか。
言葉の始まりは心魂が発する音・声である。
それは最初は何かの合図であったかも。
それもきっと危険を知らせるものかと。
だからそれは全身全霊で発しただろう。
まさに心魂の発露だったのだ。
しかしてそれが言葉となった。
ここに一番の不可思議がある。
この不可思議の内奥に神は隠れている。
ところで虫たちの前には現実しかない。
だがヒトの前にはそこに不可思議が乗って来る。
言葉がそれを表出させるのだ。
ときに戸惑い想いをめぐらす。
そこで神を知るのです。
神は知るものなのです。
信じるとか信じないの問題ではないのだ。
それが神の物語を創るのです。
そして次にヒトの物語もまた。
格のごとくなるのです。
しかして歴史伝統文化が重ねられる。
その中に宗教哲学科学も乗って来る。
そして今がある。
とか何とか勝手なことを言っている。
ここで本題の助け合いである。
思うに言葉の始めには助け合いがあると。
てかむしろ助け合いが言葉を育てたとも。
それは皆で生きることを選んだ必然かと。
その助け合いとはつまり役割を分担すること。
分担して相互にその成果を交換する。
そして安全安心の中で豊かに生きる、
それが目指すところであり目的だと。
それは最初は小さい集団から始まる。
家族一族郎党に隣人友人知人、果ては~まで。
その助け合いには色んな向きがある。
大きく言えば政治経済社会であろう。
政治は人の立場役割等を仕切るもの、
経済は仕事の成果物を交換するもの、
社会は人の在り方の処方を示すもの、
かな?
・・・・・
本来は助け合いから始まってるのに、
現下はそのすべてがガタガタである。
それも見るも無残なほど。
それでも日本は未だその精神を保持している。
あの東日本大震災時の振る舞いを見ればあきらか。
それも昨今は雲行きが怪しい。
いざとなれば又戻ると思うが。
政治が特に酷いが社会もまた同様である。
てか今回は経済のこと、
経済もまた同様でこれも酷いもので、
ほとんど嘘ばかり。

ひとつはお金。
お金は生きるに於いて直接の価値は無い。
お金が幾らあっても腹の足しにはならないのだ。
お金は各人の為した成果物の交換の尺度であり、
それが交換を円滑に為さしめるのである。
つまり助け合いを円滑かつ全体に行き渡らせる、
これこそがお金の役割であり、
そこにお金の真価がある。
そこを違えてはならない。
だからです、
世に成果物が無ければお金は無用の長物となる。
てか物がなければ意味をなさないのは当然です。
その昔アフリカの国ジンバブエでお金が無用の長物となった。
段ボール一杯の札束を積んでもパン一切れとか。
社会的混乱からか働きがほとんど消失したのだ。
お金を意味あるものにするには人の働きが必要なのです。
お金の価値を支えているのは人の働きなのです。
だから日本円には価値がある。
最高神の天照大神さえ働くのです。
すべての人が働き且つその働きを交換する。
これは経済行為であるが根は助け合いです。
だから働かざる者食うべからずなのである。
けだし基より各人の事情に置いて働くのだ。
多ければ多く、少なくてもそれなりにです。
ちなみにエコノミーのその語源は知らない。
対する日本語として経済という言葉が創られた。
この語源は分かっている。
漢籍にあった四文字の経世済民である。
これは世を治め人民を救うということ。
これを二字にして経済とした。
ということで実に納得である。
ちょっと上から目線なのだが。
まあいいか。
ところがである、
今このお金がうまく回っていないのだ。
碌に働きもしない輩に多くが集まる仕組みになっている。
それは敢えてそうした者がいる。
彼らが経済を博打場にしたのだ。
博打はお金のやり取りばかりで、
そも成果物を生み出さない。
それに博打はお金を持ってる者が最後には必ず勝つ。
それは勝つまで勝負を続けられるからです。
ときに小金持ちがその標的になる。
その小金持ちが日本には沢山いる。
だから言うのだろう、預金よりも投資だと。
本当に投資なら問題はない。
でも実際は投機がほとんど。
だから注意せねば。

ひとつは働き。
これが根本であります。
これには個人と会社がある。
個人はある意味無数におります。
会社は数が限られる。
しかも昨今は淘汰されて少なくなる傾向にある。
個人もこのコロナ騒動でいよいよ窮地に陥った。
ところで会社と言っても中小企業は少し違うと。
特に小企業はそうです。
実態は個人と同じかと。
これが痛めつけられたのである。
なぜなのか。
それは経済を支配するためです。
個人を潰し会社だけにする、
そしてその会社を支配する。
これで完了です。
何しろ会社は株主のものなのだ。
そういう風に言いくるめられている。
これはほとんど詐欺である。
確かに会社のものでもある。
でも主体はその生業を為す役職員である。
価値を生むのはお金ではなく人の働きなのです。
お金や設備は何も生まない。
有るだけでは何も生まない。
なのに働きは只の要素にされてしまった。
そして設備等と同じでコスト扱いである。
賃金が上らないのは故です。
かわりに配当金が増加する。
実に分かりやすい話である。
これは体のいい奴隷化政策なのかも。
ついでながら移民もそうだ。
低賃金労働力の受入とは奴隷の受入にかわらないと。
そうでないというなら、それは日本潰しである。
日本の文化やその暮らしが壊されることに。
そも経済の根底には助け合いがある。
お金は手段であり目的ではない。
こんな当り前が分からない。
偽善はもう止めよう。
それで問題なし、
我が日本は。
だから日本ではボランティアは本来不要である。
働くこと自体が人助けになるから。
勿論普通にちゃんと働けばである。
なのにボランティアが異様に増えている。
ちょっと前はコラボコラボと喧しかった。
これは人権と偽善のコラボであり、
結局はあからさまな利権あさりか。
それも究極の目的は日本潰しかも。
う~ん、
・・・・・
本当のグローバリズムとは、
棲み分けに寄る共生とその上での緩やかな連帯、
それによって為されるもの。
基よりこれは外国人排斥ではない。
日本が好きで日本語を習得し日本で暮らす。
そんな移住にまったく問題はない。
それに一時的ならそれも問題なし。
そういうことは大歓迎です。
諺で言えば、郷に入っては郷に従え、ってこと。
他人の家でも自分の家のように振る舞うとは?、
もっての外である。
根本にある助け合いという精神に鑑みればそういうこと。
なのに無味乾燥な偽善的言辞を弄して壊そうとする。
そんなヒトが後を絶たない。
ホント厄介である。
嗚呼!

恋する命

2023-07-24 09:31:42 | 日記・エッセイ・コラム
命は繋がるもの。
命は繋がっていくもの。
そのように仕組まれていると。
その理由は一に世界は変化するから。
同じもので在り続けることができないのだ。
それは縦軸でも横軸でも。
私は命は永遠だと思っているが、
それは繋がっているからこそで、
単体としては必ず滅す、
種別としても必ず滅す、
だから新陳代謝があり世代交代がある、
だから種別交替があり星間移動がある、
と思っている。
・・・・・
命はだから命に恋をする。
命を残す為命に恋をする。
なかでも雌雄によって命を残すものは、
それが顕著である。
そしてその場合、
オスはメスに恋をする、
メスはオスに恋をする。
そこには生き方の決定的な相違がある。
それを男らしさとか女らしさとか謂う。
らしさは私らしくとか人間らしくとかも言う。
その「らしさ」は問題にしないが、
性別に関してはなぜか非難される。
何でだろう。
きっとそこに目的があるんだろう。
ちなみに、
社会状況によってそのらしさは変わってくる。
それに勿論個人それぞれでも違いはあり、
決めつけが良くないのは当然だろう。
それはさておき、
なら今言われているLGBT~はどうなんだろう。
人それぞれだが、
男が男に恋をするや女が女に恋をする、
は命を繋げない。
ある政治家がそれを生産性がないとか言って非難された。
言い方はともかく正にその通りである。
非難はともかくその非難が尋常ではなかった。
何とも異常な世界である。
にしても神さまもいたずら好きである。
でも当人にとっては厄介だろう。
言葉を持たない生き物なら、
同じことがあってもそれを意識しない。
だからもっぱら自分の命を生きるだけ。
それに彼らは命を繋がない。
だから子孫が増えることもない。
何も問題は起こらないのだ。
だが人間は厄介である。
言葉を持っているから、必ずそれを意識する。
人目のこともだろうが、何より自身の内奥で。
結局最後は自分自身の問題となる。
これを法律の問題にするのは愚の骨頂。
それが社会的不利益に関わるなら又別である。
でもそれは今までの法律で十分。
新たな法律を作る必要などない。
そも日本は昔から自由なのです。
自由とはフリーダムとは違うのです。
奴隷解放たるの趣旨はないのだから。
自らの由を知りその由を生きる、それが自由である。
神さまのいたずらもその中で修めるべし。
ともかく、
男は女に恋をする、
女は男に恋をする、
これ命の王道なり。
これをこそ守るべしと。
ちなみに今の法律はそれを潰す為としか?
たぶん例の夫婦別姓も。
なるほどザ~ワールド。
・・・・・
にしても、
人間の子育ては特殊である。
多くの生き物は産みっぱなしで後は自然にまかせる。
多少守ることはあってもあまり変わらない。
ただ哺乳類などは一寸違う。
ある程度成長するまでは見守るのだ。
それでも生まれたら時を経ず自立して動く。
そのように出来ている。
だが人間はあきらかに違う。
一人ではまったく動けない。
立って歩けるまでも日月がかかるが、
しっかり歩けるまでにはもっと。
その間はほぼ付きっきりである。
それを見守るのはそも産み育てる力を持つ母の役割である。
そのように心も体も出来ている。
だから父にも役割があると。
そんな母子を守ること、
それも命を懸けて。
だからそのように心も体もできている。
ということです。
てか男は命を懸けると言ったが、
その前に女もそうしている、
んなもん言わずもがな。
だからか、
女は無意識にそれを求めるし、
男はだからそれに答えようとする。
それを覚悟したとき男は女に求婚する。
だから言うのです「あなたを守りたい」と。
最近テレビドラマで見たのだが、
そういう発言は男の傲慢だとか、
これは昨今の風潮の悪影響かも。
平和ボケ安全ボケの祟りなのか。
にしても決定的な勘違いがある。
結婚とは好きな者同士が一緒に暮らすことではない。
そんなのはそれこそ自由である。
結婚とは命を繋ぐことへの宣言である。
そういう儀式なのです。
それにもう一つ。
子供を産み育てることは仕事ではない。
これは生きることそのもの。
新陳代謝のその上のなお高次な生命活動だと。
思えば仕事とは為にこそあるもの。
子育てもそれを他人にまかせれば、
それは彼らにとっては仕事となる。
とは言っても仕事の重要性もこれは論を待たない。
それにしても、
かかる根本的な勘違いもふくめて、
すべての混乱の原因は言葉にある。
言葉を振り回し言葉に振り回されるのが人間の常。
先ずこのことを知ろう。
それにしても、
それは意図的にやっている者がいる。
そうとしか思えないが、
にしても騙される者が後を絶たない、
残念!
・・・・・
憲法が最低の法律だと思っていたが、
驚いたことにまだその下があったのです。
それが今回の法律です。
真正保守のリベラルとの相違は一つ、
それは決して否定しないこと、
在るものは在ると認めること、
勿論好き嫌いはあるにしても。
それにしても、この居心地の悪さは如何。
命は命に恋をするもの。
その王道をこそ守ろう。
少子化問題も正にここにあり。
なのにあの異次元?の対策って何なんだ、
加えてこども家庭庁てか、一体何なんだ。
なおなおその上でのこの法律である。
もうさっぱりワケワカメ。
てかこの法律はむしろ~らを貶めている。
ただ自由に生きていたいだけ?だろうに。
それを皆の前で晒し物にする。
今回は切れた。
完全に切れた。
でも真正保守の立場として否定はしない。
だから無視することにした。
それも徹底的にかつ完全に。
ということで、
はい!

留魂碑

2023-07-17 08:48:54 | 日記・エッセイ・コラム
これは去年奈良は西大寺あたりで亡くなった、
安倍元総理の想い(魂)を碑に残したもので、
それがとある霊園に建立されたという。
留魂碑はあの留魂録にあやかっている。
留魂録とは安政の大獄で処された吉田松陰が、
獄中で密かに書き残したという書付のことで、
それが弟子たちに託されて今日に残っている。
幕末の志士らに多大な影響を与えたものです。
安倍元総理の想いもまた、
・・・・・
思えば「日本を取り戻す」が大目的であった。
だから多くの支持を得ていた。
でもその政策は時とともに左傾化していった。
余程リベラルの圧力が強かったのだろう。
その苦渋が察せられる。
それでも、
トランプ氏が大統領の間はまだ我慢が効いた。
それがアメリカのあの選挙によって変わった。
てかその結果が出る前にそれを察知したのか、
その前に政権を返上した。
体調の問題だとしたがそれは方便だろう。
その先の政治状況が分かっていたとしか。
先にアメリカに於いてそのことが顕著になっていた。
それがコロワクポリコレ地球温暖化脱炭素であるが、
ここではポリコレのこと。
特筆されるのはBLM運動であった。
これは差別と人権をセットにしての、
有無を言わせない社会的強制である。
しても黒人は奴隷であったから、
勿論言い分もあったのです。
同時に道具にされたのが女性である。
欧米では女性が男性の下に置かれていたから。
当然これにも言い分はあったのです。
そこまでは何の問題もない。
でもそれらは口実に如かず。
その先は留まることのない社会的強制の連続である。
それでも人種や女性は少数者ではない。
それらに異議を唱える人も少なくない。
それでか更に別のものを持出してきた。
それがLGBT~である。
これはガチの少数者である。
そも彼ら彼女らは社会的には余り表に出ない。
てかホントは静かにして於いてほしいのでは。
まあよく分からんが。
なおそこに追加したのがQである。
何をかいわんや。
でもこのLGBTQ~がもの凄く効くのです。
それが現下の世界の有り様。
アメリカでは強い揺り戻しが起きているらしい。
今やほぼ分裂状態か。
それなのに何を血迷ったのかこの日本。
そも人種差別や女性差別とは無縁の国であった。
なのにこんな法律を作るとは。
理解増進が目的だと偽善を繕ってまで。
しても裁判になればやっぱり違法だと、
理解増進が犯罪者を作りかねない。
てかこれが彼ら?のやり方。
今更言っても仕方なし、ではもう済まされない。
てか一寸愚痴が出ました。
留魂碑に戻る。
日本を取り戻すとアメリカファーストは同じこと。
だから安倍さんとトランプ氏は馬が合った。
と言うより多分同士であったろうと。
勿論そのバックは自国である。
その国とはハリボテの言葉で出来てるのではなく、
歴史伝統文化に裏打ちされて出来てるもの。
安倍さんの後ろには、
そんな国、
言霊の幸はふ国でそれゆえ神国とも言われ、
それを統べる天皇陛下のおられる国である。
トランプ氏の後ろには、
キリスト教福音派が付いてるとか言われる。
そも宗教は原理主義に陥れば毒にもなるが、
原点の信仰から見ればそれは神の国である。
だからそこは同じかと。
ちなみに今のプーチンロシアだが、
ソビエト連邦解体後は本来のロシアに戻ったか。
共産主義の時代はロシア正教は弾圧の憂き目に。
でもロシア人の原点は地下で脈々と生きていた。
それが解体後一挙に表に出て来た。
今やロシア正教の国になっている。
にしても原理主義の匂いはしない。
ならロシアも神の国と言えるかも。
安倍さんがプーチン氏とも頻繁に会っていたが、
と言うことなら頷けるのです
こういう構図が私には見える。
世間とは一寸違うかも。
大きく言えば、
神なき世界と神ある世界との対決です。
まあ思うのは自由ですし。
それならシナの立場はどうなのか。
どちらにいるのか。
そこは分からない。
ともかく徹底して自分中心なのだから。
イスラムの立場はあきらかである、
ただ原理主義が厄介なだけで、
その根っこは神の国です。
・・・・・
現下の世界は真に酷い有様。
ポリコレの嵐が吹き荒れている。
でもそれは主に所謂先進国の間だけ。
他の諸国はそもそれ以前の状態。
本来無風地帯である日本もこの有様。
すべてグローバリストの仕掛け。
日本さえ押さえれば取り敢えず完了てか。
さすれば後は力で抑えてしまうだけ。
もう少しです、
もう少しで世界はすべて俺のものになる、
とでも思っているのか。
そこでも分からないのが結局はシナ。
彼らは本当にシナを恐れているのか、
それとも利用しているだけか。
にしても、
神ある世界は謙虚を旨とし、
神なき世界は傲慢を立てる。
謙虚と傲慢の対決になれば、
短期的には謙虚の方が分が悪い。
でも長期的にはそうはいかない。
宇宙の存在がそれを示している。
人の時は一時だが神の時は永遠です。
一時と永遠では勝負にならない。
言わずもがな。
聖書もこれを語っている。
それも何度も繰り返し…。
うん、

隣のトトロ

2023-07-10 08:20:11 | 日記・エッセイ・コラム
ネバーエンディングストーリー、
これは昔あった映画の題名です。
表題の隣のトトロはジブリのアニメである。
この二つには同じ匂いを感じる。
ともに子供たちの想像力を謳っているかと。
上記は「物語は終わらない」と謂うことで、
物語という言葉が前面に出ているが。
そこに何か示唆があるかと。
トトロもそんな子供らの世界を描いており、
それは何でもない日常の風景の中での物語。
でも同じ匂いがする。
・・・・・
これまで言ってきたが、
言葉はデジタルである。
その権化が今にあるコンピュータなのだ。
このこと私は確信して覚真している。
ところでである。
虫らは言葉を持たない。
だから目の前の世界を分けない。
もとよりそも世界は一つである。
生きる範囲の実は狭くとも、
それは世界に繋がっている。
てかまんま世界そのものである。
それは言葉が世界を分断しないからだが、
ところがヒトは言葉を持つことになった。
でも生まれた時から持ってる訳ではない。
その力を持って生まれて来るだけ。
ときに言葉は持っていないのです。
子はヒトに育てられて初めて言葉を持つ。
でも初めはその数は少ない。
圧倒的に少ないのです。
先に言葉はデジタルだと言ったが、
デジタルとは点である。
世界から見れば点は点です。
点の外の方が圧倒的に広い。
その点をいくら増やしても世界は埋まらない。
それに点の外の方が圧倒的に広いということ、
このこと永遠に変わらない。
でも点が増えればヒトは錯覚する。
そこが未だ埋まってない隙間だと。
これが大人になると謂うことかと。
でも子供らにはその錯覚はないと。
そこは初めから埋まっているのだ。
言葉を持たない虫らのようにです。
それを大人は子供の創造力という。
それは実は途方もない力なのです。
それが物語として顕われる。
てかこの物語は決して終わらない。
ヒトが生きている限り子は生まれてくる。
ネバーエンディングストーリーなのです。
子供らはそんな存在である。
だから子供の隣にはいつもトトロがいる。
そして、
トットロ・トットロと歌いながら、
猫バスもやって来る。
・・・・・
大人になっても実は変わらない。
世界はそも埋まっているのです。
だから本当は子供と変わらない。
でも往々にしてそれに蓋をする。
点を増やすだけではなく、それを膨張させてしまう。
そして自らを言葉の檻に閉じ込めてしまう。
これを傲慢と謂う。
だから私は言った。
現代の人間の宿痾を三っつ、
他にもあるだろうが、取り合えずは三っつ。
それがこれまで言ってきたもの、
リベラル・中華思想・原理主義。
ちなみに、
話が少し逸れるようだが神話のこと。
神話とはつまり神の物語であり、
人類が未だ子供の心を持っていたときに、
世界に向き合って数少ない言葉ゆえにか、
その隙間を持ち前の想像力で埋め尽くし、
そこで創った物語りそれが神話なのです。
神話はだから人間の核心にある。
それが宗教哲学科学に繋がっている。
そこには瑞々しい心魂の発露があり、
それを謙虚と謂う。
それを思えば先の三っつ。
その宿痾は如何。
リベラルは、神を捨て神になろうとするもの。
中華思想は、神を見失って己に特化したもの。
原理主義は、神を己の言葉に閉じ込めるもの。
と言っているが、
中でもリベラルが最大の癌であろう。
神を否定するばかりか、
自ら神になろうとする。
中華思想原理主義も厄介に違いないが、
リベラルに比べれば少しは可愛らしい。
というのも、
現下の状況を鑑みればまさにその通りかと。
アメリカの分断はこれが原因、
フランスの暴動もこれが原因、
日本の右往左往もこれが原因、
なかでもLGBT~理解増進法に至っては、
もう噴飯ものである。
・・・・・
フランスの暴動の発端は、
イスラム系青年が射殺されたことだが、
これはアメリカの例の暴動に似ている。
差別ゆえに警察に殺されたと。
余りに似ていて気持ちが悪い。
マクロンはなす術がないのか、
或いは敢えてそんな振りをしてるのか。
それに比べれば、
先の大統領選挙で敗れたルペンは、
むしろ国を憂いて会見していたが。
てか真正保守はいつも中立で真っ当である。
ということが窺がわれる。
それにしても神の国の日本が、
同時に米と仏の国でもあるが、
それがこの米と仏の状況を憂いている。
てか質の悪い親爺ギャグだな。
その日本も彼らに近づこうとしている。
そろそろ目を覚まそうよ。
そして物語を取り戻そう。
そう祈ってる今日この頃。
そんな私の隣にはいつもトトロがいる。
それにもうすぐ猫バスもやって来るし。
とかてか…、

熊さんの話

2023-07-03 09:51:51 | 日記・エッセイ・コラム
なんやねんこれは…。
プリゴジンの話かな。
確かに熊のような顔しとるしな。
最近ワグネルワグネルとか妙にやかましかったし。
ロウ戦争の話は嘘ばっかり。
プーチンとバイデンのおちゃらけはもう結構。
困ってるのはウクライナの国民だけ。
誰がこんな世界にしたんだ。
ホントにもう。
・・・・・
歴史に詳しい訳ではないが、
大陸(含む地中海世界)はそも戦争ばっかり。
その戦士はほぼ傭兵だとか。
そも国家の概念はなかった。
国と言っても出身地のこと。
ヤクザの仁義の生国に近いものか。
国民の軍隊など影も形もなかった。
もちろん国境もなし。
あるのは縄張りだけ。
そこには族長がいる。
その族長の中で力を持つ者、それが王となる。
その王らの中で力を持つ者、それが王の中の王となる。
そして王朝国家ができる。
そこには核となる軍隊がある。
それを親衛隊という。
これが王朝の最後の砦である。
後はほぼ傭兵か奴隷兵である。
とまあ思っているが。
だから興亡は目まぐるしく、
その国境?は早回しすれば、
まるでアメーバの移動線のごとし、
変幻自在この上なし。
その点、海洋国家(島嶼国)は少し違う。
その成り立ちが変らなくとも。
出入りに大きな制限があって、
その纏まりは国家のごとしか。
てか国境線?が明確でもあり。
逆にまた国境線は無きも同然。
その活動範囲が海なのだから。
だから今の国家感とは違うと。
ところで日本の武士はどうか。
初めは傭兵的であったろうが、
それが大方親衛隊的になった。
それは一所懸命という言葉が示している。
自らを守る為に命を懸けたと。
それは王朝を守る為にも発揮された。
それが元寇と言われるあの戦いです。
ところで最近学校では元寇とは言わせないようだ。
てか歴史は完全に乗っ取られている。
それはまあ横に置いて。
だからイギリスも同じかもと。
大陸からの遠さは一寸違うが。
アメリカもそのようだが。
アメリカは歴史が浅いから王朝国家ではない。
その初めから国民国家ではあった。
ゆえ先の戦争に傭兵はいなかった。
それにまた奴隷兵もいなかったと。
実際に黒人兵が一人もいなかった。
ともかく国民兵であった。
そこは日本と似てはいた。
それが激突したのである。
だからアメリカ軍は強かった。
しかしそれも変わったようだ。
国民兵とは国民にしかず。
国民が亡くなれば当然批判が出る。
先の戦争ではそれが封じ込まれた。
しかし今はそれができないようだ。
だからアメリカも主流は傭兵。
実際ワグネルのような組織がある。
それが正規軍の中にも紛れてると。
てかとか思っている。
・・・・・
さてここで熊さんに戻る。
今年悲惨な事件があった。
釣りに出掛けた人が行方不明になったのだ。
後にその事情が判明した。
熊に食われていたのです。
捕えた熊を調べて分かったらしい。
それに熊は頭と足は食わないので、
その骨が付近で見つかったのです。
他にもそういう例があるようです。
それは北海道開拓時代の話である。
家ごと襲われて母と子らを含めて、
4~5人が食われたとか。
熊も好んで人は襲わないだろうが。
まあときの事情だろうか。
で思うのです、
以前は熊に遭遇したら、
死んだ振りをしろとか、
木に登って避けよとか、
言われてたが、
実際のところ、
実は逃げたら襲われる。
だから逃げるのが一番の愚作、
でも戦うのはもっと愚作。
てか熊が鼻から襲うつもりなら戦うしかない。
でもそういうことは少ないと。
だから結局方法はひとつ。
しっかり向き合って対峙すること。
その姿勢を崩さず少しづつ後ずさりする。
そして距離が取れたら離れる。
ということです。
なぜ今ここで言うのか。
これはまさに安全保障政策そのもの。
もとより必要がなければ関わりもないのだが、
境がある限り必ず関りはある。
それに交易は人類の始めからあるもので、
だから必ず関りはできるのだ。
そこで平和的に過ごすのなら、
それを求める呼びかけは必要。
その上で正面を向き逃げない。
いざとなれば戦う姿勢を示す。
その覚悟が何より必要なのだ。
所謂平和主義が駄目なのは論を待たない。
それを知ろう。
・・・・・
だから軍備は必要です。
なおその前に心の構えが何より必要。
それが日本にはあると。
それは靖国神社にある。
それが靖国の心である。
これが国の安全保障の要です。
安全保障とは戦争することではない。
安全保障とは戦争させないことです。
さあ皆で神の風に吹かれよう。
そして熊さんと仲良く、