ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

ご苦労様

2018-03-26 07:30:06 | 日記・エッセイ・コラム
茶番劇とすべきではある。
財務省の文書書換問題である。
文書書換はいけないことだが、本文ではなく添付文書らしい。
過去にもそれくらいのことはしてるようだ。
非難して止めさせるのは当然だが、
もともとの問題には何の変わりもない。
だから事実確認を粛々と行えばいい。
それだけのことだ。
にもかかわらず無理くり問題にしている。
振り出しに戻して。
そこはまことにご苦労様である。
誰がこの演出をしてるのか。
はて?
野党議員のバカさ加減は先刻承知ではあるが、
それよりマスメディアの無能には呆れかえる。
てか、これは演出者の意図を実現してるだけかも。
それなら少しは…。
・・・・・
世界は問題山積である。
近隣では半島が抜き差しならない状況だ。
大陸では侵略国家が雄叫びを挙げている。
ロシアも一筋縄ではいかなく、未だ平和条約も結べない。
遠くは中東・ヨーロッパだが、これもきな臭い。
アメリカは景気だけは良さそうだが。
そんな状況で森友とは…。
しかし敢えてこの問題を蒸し返してるのかも。
どうでもいいことを、どうでもいいからこそ。
国民の目を逸らすにはちょうどいい。
そうとしか思えない。
これは権力がよくやる手である。
この場合の権力は安倍政権ではない。
古代から連綿と続いてる日本最奥の権力である。
それを知りたいのだが、絶対に分らないだろう。
秘すれば花、知らぬが仏、
…。
・・・・・
それにしても、一番の問題はやはり朝鮮半島である。
北朝鮮は脅威だが、特に反日でもなさそうだ。
情報が少なく、よく分からないのだが。
ただ拉致問題は喉に刺さった棘である。
韓国は最悪である。
反日は別に構わないが、嘘はどうにも頂けない。
自身の身動きが取れなくなるだけだ。
それ以上に問題なのはシナかも知れない。
経済や治安の悪化から苦し紛れに戦争をしかねないのだ。
主席が皇帝になったのもそのせいだろう。
それにしても日本だが、ここはメディアが大問題である。
嘘や脅威には目を逸らし、なぜか妙に近隣の肩を持つ。
そも嘘の根は彼らメディアにある。
その筆頭が朝日新聞である。
今や、四苦八苦しているが。
販売部数は減少するし、訴訟合戦も抱えている。
やれやれ、ご苦労様である。
・・・・・
ちなみにである。
こんな時にこそ動いている。
それが政治です。
うがった見方だが、そう思えば、
これからの外交は面白い。
笑いごとではなく。

オール沖縄?

2018-03-19 16:56:07 | 日記・エッセイ・コラム
オール沖縄って、フェイクである。
まあそれは当然そうなんでしょう。
初めから分かっていたことですが。
過半数を取れば取り敢えずはそれが皆の意思になる。
それが民主主義というものです。
今回の石垣市長選では保守系現職が勝った。
保守分裂にも拘わらず。
市長選だから沖縄県民の意思とは言えないが、
石垣市民の意思には違いない。
さりながら、左派・リベラルならオール沖縄と言いかねない。
いままでの経緯を見ればだが。
もとよりオール沖縄と言っても、そこに本質的な意味はない。
それは単なる自称であり、プロパガンダでしかない。
私の名前がオール日本なら、私が日本の代表なのか。
勿論そんなことはない。
左派・リベラルはそこを敢えて混同させ民心をたぶらかす。
実に質が悪い。
今に始まったことではないが。
・・・・・
現知事も沖縄2紙もオール沖縄を弄んできた。
ここにきて旗色が悪いようだ。
県民もやっと気が付いたのか。
思うに昨今、沖縄はシナ化していた。
知事はシナ詣でをし、那覇市に龍柱を建て、シナ人観光客を呼び込む。
観光客が来るのは、それはまあ結構なことだが。
にしても四囲の状況を見れば分かる筈だ、
シナに頼ればいずれ痛い目に合うと。
シナは自分のことしか考えない。
それが中華思想である。
これこそ、その字面の通りである。
どこまでも自己中なのだ。
チベットやウイグルを見れば一目瞭然だろう。
何しろ彼の文明には魂の納めどころがない。
祈りの心が見られないのだ。
さながらこそ、自分(の魂)を顧みることができない。
ただ互いの力関係のみを注視する。
だから面従腹背か傍若無人になるしかない。
このこと胆に命じるべし。
・・・・・
沖縄は違う。
本来は祈りの島である。
日本列島がそもそうなのだが、
小さな島であり、
人の入れ替わりもほとんどなく、
諍いや恨みをできるだけ子孫に残さないよう、
穏やかに治めてきた、
そんな島である。
それが日本であり、沖縄は勿論日本なのだが、
むしろ日本の中の日本だとも謂える。
言語的にも人種的(DNA)にも疑いの余地はない。
だが現知事と沖縄2紙の言動はまるでシナの手先だ。
まっこと。
シナ的と言うより極左リベラルと言うべきかも。
どちらでもいい。
それは似ていて区別ができないから。
自己中で尊大なところが。
ようやくである。
心地よい魂の風が吹いてきた。

歴史を誇るとは

2018-03-16 16:59:46 | 日記・エッセイ・コラム
国民なら国の歴史を誇りたいものです。
それは人情です。
それが国民のアイデンティティの基底となるから。
でも誇るべきは何なのか。
自国が素晴らしい国なら、
それが何よりの誇りだが、
それは歴史の結果である。
だから結局歴史を誇ることになる。
さりながらである、謙虚を忘れてはいけない。
誇りとは謙虚の内にあるものです。
・・・・・
誇るべきものが無ければどうするのか。
まったく無いということはないだろう。
でも頂けないのは、歴史の長さを誇ることです。
そも現生人類は単一種だという。
重ねてきた年月は皆同じなのだ。
そこに長い短いはない。
だから長さを誇ることに意味はない。
長さではなく、
どういう生き方を刻んできたのか、
ということだ。
その刻み方こそ歴史の妙である。
それは単なる事象の羅列ではない。
その中で積み重ねてきた思いこそ重要なのだ。
それが熟成して文化となる。
文化とは生き方の総体なのだ。
それが今に現れる。
・・・・・
中華世界では長さを誇りたがる。
それはつまり他に誇るべきものがないからだ。
先記のとおり、長さに意味はない。
とはいえ、それは人情である。
日本人も長さを誇ることがある。
世界最古の(王朝)国家である、とか。
これは事実である。
誇りたい気持ちも分かる。
でも程々に。
それより思いの積み重ねが重要である。
日本が素晴らしいのは実にそこにある。
何と言っても継続の国だということだ。
過去を否定しない。
否定したいような過去もない。
まさに積み重ねである。
・・・・・
中華無残!
時を切り刻んで溝に捨てている。
その結果が今日である。
そのことが分かっていない。
今もって分かっていない。
そしてまた同じことを繰り返そうとしている。
てか、韓国は完全にそうなっている。
何とも哀れである。

中華のお家芸

2018-03-09 11:00:47 | 日記・エッセイ・コラム
以前から今のシナを共産党王朝と言ってきた。
今般、それが間違ってないことが明らかになった。
国家主席を皇帝にするらしい。
為に憲法を変えた。
日本でも改憲論議が喧しいが、
彼の国には論議はない、
一方的に告知されるだけだ。
党中央委員会も全国人民代表大会も無視である。
だからと言って、習近平が一人で為しているのではない。
もとより一人でできるものではない。
立てる者がいるのだ。
でもいつものことだが、そこがよく分からない。
誰が演出しているのか。
・・・・・
中華とはつまり自分中心ということだ。
そういう思想なのだ。
そこでは力ある者だけが思いのままに振る舞える。
力のない者は従うより他ない。
だから序列を気にする。
序列によって振る舞い方が決まるのだ。
だがそれは表の世界である。
だからこそ、裏では力の奪い合いとなる。
それが高じれば革命である。
俗に易姓革命と言われる。
徳のある者に入れ替わるということだが、方便でしかない。
それがシナのお家芸(伝統)である。
・・・・・
そんな訳で、シナの歴史は王朝交代の歴史であり、
当然のごと、前時代は全否定となる。
これでは地に足のついた文化は育たない。
いつでも逃げられる準備が肝要なのだ。
移民が多いのも頷ける。
勿論、移民先でも彼らの質は変わらない。
容易に同化しないのだ。
そも他人を信用しない文化だから。
より信用できる同朋と相固まって住むことになる。
世界各国に中華街がある所以だ。
ちなみに、日本も移民を出した時代がある。
その時にはやはり日本人街ができる。
でも時と伴に同化し収斂されて行く。
・・・・・
自分中心と言ったが、ゆえに個人主義である。
しかも超の字が付く。
欧米も個人主義だが、根っこには信仰がある。
だから「平等」という思想がある。
救いはあるのだ。
シナには信仰があるようには見えない。
あったとしても、それも方便だろう。
だから他人を顧みることがない。
シナの個人主義には救いがないのだ。
ちなみに、だからこそ礼(儒教)が重要なのである。
勿論見せかけであり、まことの欠片もないが。
昨今の南シナ海等での振る舞いを見れば分かるだろう。
個人を国に置き換えれば、そのまんまだ。
実に厄介である。
・・・・・
なお中華はシナ以外にもある。
それは朝鮮半島である。
これはシナの中華に対して小中華と言われる。
この小中華がなお厄介なのだ。
本家の隣であるにも関わらず中華街が無いのだ。
あのシナもたじたじなのである。
日本も苦しい筈だ。

内に在り

2018-03-05 09:59:29 | 日記・エッセイ・コラム
型は内にある。
身の内にある。
人の細胞は60兆個もあるという。
そも生命は一つの細胞から始まっている。
だから60兆個あるといえども、
一つひとつが一つの命である。
それらが互いに協調して身(全体)を成している。
一つひとつは自立しているが、
まったき協調の内にある。
身がまこと一つであるかのように。
妙である。
・・・・・
手足の細胞も脳の細胞も結局同じものである。
どこにどのような状態(構成)であるか、でしかない。
手足は脳を疑わない。
脳は手足を疑わない。
互いに敢然と信頼している。
それが身である。
脳はすべての細胞の意をくみ指令をだす。
手足はすべての細胞の意に添い指令に従う。
たまに崩れることがある。
それを病気という。
それでもなお一体であることに相違ない。
・・・・・
一人ひとりを一つの細胞としてみれば、
社会は身(全体)である。
その意を借りれば、
「一人ひとりは全体の為、全体は一人ひとりの為」
ということである
それが在るべき姿だろう。
日本はもとよりそれを伝統としている。
その象徴が天皇である。
「一君万民、君民一体」がそれである。
曰く、
天皇陛下は国民一人ひとりの幸せを祈る、
国民はそういう天皇陛下を有り難く敬う。
・・・・・
日本にはもとよりシナや欧米のような支配者はいない。
日本人はそのことに無頓着である。
世界はそのことを知らない。
為にか故意にか、妙な言動が後を絶たない。
それはリベラル連中の技だが。
個(細胞)を強調して全体(身)を壊そうとする。
人権の大安売りがそれである。
最近は特に男女同権を売りにしている。
そして心御柱(象徴)としての天皇を壊そうとする。
その現れが女性宮家の創設である。
父系による継承こそ天皇たる所以なのに。
それを許せば日本が壊れる。
・・・・・
彼らにイエスの言葉を贈る。
まったき祈り人であり神の子であるイエス、
苦しいはずの磔刑の中で言った、
「天なる父よ彼らを許したまえ、
彼らは自分が何をしてるのか分からないのです」
と。
嗚呼面!