まことにまことに、
日本企業の不祥事が後を絶たない。
神戸製鋼のデータの改ざんは酷い。
日産自動車の無資格検査も常態化していたらしい。
富士重工にも一部あるという。
その前には三菱自動車の燃費データの改ざんがあった。
どうしたのか。
どうなってるのか。
日本的経営の神髄を見失ったのか。
情けない限りである。
・・・・・
欧米の経営手法が悪い訳ではない。
だが日本には合わない。
グローバル時代だから取り入れざるを得ないのは分かるが。
だが注意が必要だ。
欧米はあくまでも階級社会である。
経営者と労働者がはっきり分かれている。
そこは分断されているのだ。
それが前提の労使関係である。
組織も法律もそれによっている。
日本は違う。
最高神の天照大神でも働くのだ。
働くことが生きること、という国である。
経営者と労働者は分断されていない。
経営者とは経営という仕事をする労働者なのだ。
仕事の内容が違うだけです。
皆労働者なのだ。
つまりは一体なのである。
これが日本的経営の神髄である。
脳と手足の関係のように。
だから賃金も欧米のような大きい格差にはならない。
それが少し歪んできたのか。
経営者と労働者が分断されてしまったのか。
労働者どうしにも分断があるのか。
そうなら深刻な問題だ。
職種が違えばそこに線(隙間)があるのは当然です。
遊びとしての隙間は必要なのだ。
だが、それが大きくなるのは問題である。
そんなことになってるのか。
欧米的経営手法を取り入れる中で見失ったか、
日本的経営の神髄を。
・・・・・
今次世界で問題となっているのが格差の拡大である。
余りに大きくなってしまったのだ。
昨今は日本でも格差が広がっていると言われる。
だが今のところはまだ大したことはない。
でもほっておけばもっと拡大するだろう。
そうなれば問題である。
日本的経営の神髄を見失うことになる。
ときに日本は終わる。
ときに世界も終わるだろう。
日本は世界の歯止めとならなければならない。
それが日本の役目である。
木を見て森を見ず、にならぬように。
しっかり足元を見つめよう。
なお、この神髄ゆえ日本に共産主義は不要である。
違いがあっての差異は当然で、
それを同じにする必要はなく、
その差異が不当に大きくならなければいいのだ。
同一労働・同一賃金などと謂う言葉遊びは不要であり、
互いに認め合う社会では、
そも共産主義という思想は要らない。
日本企業の不祥事が後を絶たない。
神戸製鋼のデータの改ざんは酷い。
日産自動車の無資格検査も常態化していたらしい。
富士重工にも一部あるという。
その前には三菱自動車の燃費データの改ざんがあった。
どうしたのか。
どうなってるのか。
日本的経営の神髄を見失ったのか。
情けない限りである。
・・・・・
欧米の経営手法が悪い訳ではない。
だが日本には合わない。
グローバル時代だから取り入れざるを得ないのは分かるが。
だが注意が必要だ。
欧米はあくまでも階級社会である。
経営者と労働者がはっきり分かれている。
そこは分断されているのだ。
それが前提の労使関係である。
組織も法律もそれによっている。
日本は違う。
最高神の天照大神でも働くのだ。
働くことが生きること、という国である。
経営者と労働者は分断されていない。
経営者とは経営という仕事をする労働者なのだ。
仕事の内容が違うだけです。
皆労働者なのだ。
つまりは一体なのである。
これが日本的経営の神髄である。
脳と手足の関係のように。
だから賃金も欧米のような大きい格差にはならない。
それが少し歪んできたのか。
経営者と労働者が分断されてしまったのか。
労働者どうしにも分断があるのか。
そうなら深刻な問題だ。
職種が違えばそこに線(隙間)があるのは当然です。
遊びとしての隙間は必要なのだ。
だが、それが大きくなるのは問題である。
そんなことになってるのか。
欧米的経営手法を取り入れる中で見失ったか、
日本的経営の神髄を。
・・・・・
今次世界で問題となっているのが格差の拡大である。
余りに大きくなってしまったのだ。
昨今は日本でも格差が広がっていると言われる。
だが今のところはまだ大したことはない。
でもほっておけばもっと拡大するだろう。
そうなれば問題である。
日本的経営の神髄を見失うことになる。
ときに日本は終わる。
ときに世界も終わるだろう。
日本は世界の歯止めとならなければならない。
それが日本の役目である。
木を見て森を見ず、にならぬように。
しっかり足元を見つめよう。
なお、この神髄ゆえ日本に共産主義は不要である。
違いがあっての差異は当然で、
それを同じにする必要はなく、
その差異が不当に大きくならなければいいのだ。
同一労働・同一賃金などと謂う言葉遊びは不要であり、
互いに認め合う社会では、
そも共産主義という思想は要らない。