人の始まりは言葉である。
言葉が無ければ猿でしかない、人という猿でしかない。
人類最古の書物にして最大のベストセラー、
聖書はその間の経緯を示唆している。
科学者はそれを進化という言葉で説明する。
キリスト教原理主義者はそれを認めない。
進化論を否定しているのだ。
だが、それも間違いだとは言えない。
実のところ分からないのだ。
でも、言葉が無ければ実際猿と違わない。
似た者同士なのだ。
故にである、
人間を人間たらしめているのは言葉である、
と謂える。
その言葉がいま問題なのだ。
・・・・・
言葉は音である。
魂が発した音(声)である。
だから魂が宿っている。
言葉には言霊が乗っているのだ。
だから大いに力がある。
そこに嘘はない。
言葉はまた自分に帰る。
耳を通して自分に帰る。
外に発しても同時に自分に帰る。
そういうものだ。
それに非常に大事なことだが、
何より自分に問うものである。
自分に問うだけなら音は必要ない。
魂の中で反射すればいいのだ。
明鏡止水、鏡に映る心、その声を聞くのである。
そこに嘘はない。
そこには真言(まこと)しかない。
・・・・・
音はその場限りである。
発せられても消えるのである。
だが記憶は残る。
記憶は言葉として残る。
そして時に浮遊する。
そんな浮遊する言葉に魂はあるのか。
たぶんない。
それを魂が捉えた時、その時に再現されるのだ。
捉えるという行為が必要なのだ。
だから魂があるとも謂える。
でもである。
そこが厄介の始まりなのだ。
・・・・・
言葉とは概念である。
その概念を魂が捉えて取り込む。
そして蓄える。
それが学ぶということである。
自分が発した音はまんま自分の魂であるが、
学んで得られるのは他人の魂である。
しかし浮遊する言葉に魂はないから、
それは結局自分の魂として取り込む。
でも、そも自分の音ではないから注意が必要である。
固着してはならない。
固着すれば必ず捕らわれる。
魂(心)が言葉(概念)の奴隷になる。
もともと自由である心が縛られるのだ。
そんな状況が蔓延している。
何とも嘆かわしいことである。
・・・・・
自由・自由と叫ぶ人間が最も不自由な心を持っている。
平等・平等と叫んでも現実に無いものは実現しない。
人権・人権と叫ぶ人間が最も人権を侵害している。
いやはやリベラルとは困ったもんである、
何とか早く気付いてほしいのだが。
言葉が無ければ猿でしかない、人という猿でしかない。
人類最古の書物にして最大のベストセラー、
聖書はその間の経緯を示唆している。
科学者はそれを進化という言葉で説明する。
キリスト教原理主義者はそれを認めない。
進化論を否定しているのだ。
だが、それも間違いだとは言えない。
実のところ分からないのだ。
でも、言葉が無ければ実際猿と違わない。
似た者同士なのだ。
故にである、
人間を人間たらしめているのは言葉である、
と謂える。
その言葉がいま問題なのだ。
・・・・・
言葉は音である。
魂が発した音(声)である。
だから魂が宿っている。
言葉には言霊が乗っているのだ。
だから大いに力がある。
そこに嘘はない。
言葉はまた自分に帰る。
耳を通して自分に帰る。
外に発しても同時に自分に帰る。
そういうものだ。
それに非常に大事なことだが、
何より自分に問うものである。
自分に問うだけなら音は必要ない。
魂の中で反射すればいいのだ。
明鏡止水、鏡に映る心、その声を聞くのである。
そこに嘘はない。
そこには真言(まこと)しかない。
・・・・・
音はその場限りである。
発せられても消えるのである。
だが記憶は残る。
記憶は言葉として残る。
そして時に浮遊する。
そんな浮遊する言葉に魂はあるのか。
たぶんない。
それを魂が捉えた時、その時に再現されるのだ。
捉えるという行為が必要なのだ。
だから魂があるとも謂える。
でもである。
そこが厄介の始まりなのだ。
・・・・・
言葉とは概念である。
その概念を魂が捉えて取り込む。
そして蓄える。
それが学ぶということである。
自分が発した音はまんま自分の魂であるが、
学んで得られるのは他人の魂である。
しかし浮遊する言葉に魂はないから、
それは結局自分の魂として取り込む。
でも、そも自分の音ではないから注意が必要である。
固着してはならない。
固着すれば必ず捕らわれる。
魂(心)が言葉(概念)の奴隷になる。
もともと自由である心が縛られるのだ。
そんな状況が蔓延している。
何とも嘆かわしいことである。
・・・・・
自由・自由と叫ぶ人間が最も不自由な心を持っている。
平等・平等と叫んでも現実に無いものは実現しない。
人権・人権と叫ぶ人間が最も人権を侵害している。
いやはやリベラルとは困ったもんである、
何とか早く気付いてほしいのだが。