ひょんなことから、
記憶障害の話を聞いた。
面白いっていうか、わけが分からない。
脳の損傷部分によって違うのだろうが。
この話では、
昔のことは覚えているのです。
しかして問題が二つある。
一つ、直近数年分の記憶が消えている。
一つ、前日の記憶が翌日まで残らない。
こんなことが本当にあるんですね。
てかこれはドラマの話ですが。
でも実際にもあるんでしょう。
そこで思ったのです。
そのことを記したい。
・・・・・
消えたのは言葉の記憶のようです。
体験の記憶は残っている。
身体が捉えた記憶は残っているということ。
てかこれは身体の一部位だけではなく、
全細胞に関わるから当然であろう。
でも脳にとっては無いとしか。
そこが損傷してる限りは。
だから先の話では、
寝る前に今日の出来事をメモする、
そして朝起きたら先ずそれを見る、
後は身体に聞くしかない、
ということに。
ちなみにこのことで分かると。
人間が如何に言葉に捉われているかが。
ゆえ言葉をなくせばもう動けなくなる。
他の動物とそこが決定的に違うのです。
彼らは言葉を持たないから自由である。
身体の命ずるまま自らの由に従う。
それを本能と謂う。
人にも本能がある。
でも絶えずそこに言葉がかぶせられる。
それが人間の厄介なのだが、
それを厄介とは気付かない。
言葉が要注意なのは故です。
そして先のメモですが、
これは普通は脳に記されることに。
でもこれは物心ついてからのこと。
その前やさらに生れる前のことは如何。
他の動物では本能と謂うものだが、
人間の場合はそれが言葉に入れ替わる。
それは父母から受け継ぐのである。
それを歴史と謂う。
歴史とは人の「こと」の積み重ね、
しかもそれは人の言葉の積み重ね。
これが本能の上にかぶさっている。
ところでこの歴史だが、
ここではそこに伝統や文化も含まれる。
ちなみに余談だが、
言葉と生きてゆく、
とは某~学会?がテレビで言っていること、
まったくもってその通りかと。
昨今蔓延っているリベラル的言辞には、
それが(歴史)欠落している。
言葉は時とともに変化すると雖も、
歴史の「こと」とともにあるもの。
なのにそのことへの尊重は欠片もなし。
しかしてのこの有様…、
・・・・・
思えば今世界は歪みに歪んでいる。
歴史の「こと」に嘘がこびりつき。
でもこれに気が付かない。
言葉はそも虚構であることを知らないから。
かくてもうしっちゃかめっちゃか。
そも人には人の歴史あり。
先ず自分史がある。
次に家族史がある。
次に郷土史がある。
更に同じ言語を有する者の歴史が。
更に同じ文化を有する者の歴史が。
並んでは近代の国家の歴史が。
そして世界史・人類史がある。
とまあこう言う訳である。
ゆえ歴史は一つではないのだ。
それは人の数だけあるのです。
今ここに嘘がこびりついてる。
ちなみに歴史の前には神話がある。
ちなみに聖書はその両方で出来ている。
ちなみに古事記・日本書紀も又そうである。
しかもこれはそれらが一つに繋がっているのだ。
神代から人代へと切れ目なく。
あのトインビーは言った、
神話の無い民族は滅ぶと、
まさにしかりである。
と謂うことだが、
歪みの大元は神話の忘却と歴史のウソにあると。
とは言っても歴史については、
ウソの前に更なる大嘘がある。
それは歴史は一つと言っていること。
その目的はインチキワンワールドの押し付けか。
次にウソのことですが、
事実は一つとは尤もなこと。
でもそれは神の目を持ってこそ。
人はその立ち位置で見え方は異なる。
なおその思いによってはもっと異なると。
だから異なることに問題はない。
むしろしかるべしであろう。
ことを最も歪めるのは嘘である。
それがいかに違っていても見えたままなら良し。
それがいかに違っていても思ったままなら良し。
それを敢えて違えるのが問題なのです。
それを嘘という。
現下はそれが蔓延っている。
近くは反日自虐史観である。
これは度が過ぎてる。
その証は逆を言えば否定されることに。
もってのほかである。
これを何とかせねば。
安倍さんを思えば尚。
うん、
・・・・・
ところで記憶障害にもどる。
今回の記憶障害は冒頭に記したとおりです。
これは過去の記憶をすべて失う訳ではない。
そんな一般的な記憶喪失ではない。
でもこれがシナの歴史に似ている。
これは中華思想の歴史観(所謂易姓革命)そのものと。
それは前政権の歴史を否定するが倣い。
でもそのもっと前はそうではないのだ。
中華五千年の歴史とか言って鼓吹する。
昔のことは覚えている?のである。
実に手前勝手であり、
中華思想の面目躍如。
まあそういう話です。
ところでこれはインチキワンワンワールドに似ている。
このワンワールドは漢字で記せば中華世界、
でグローバリズムは漢字で記せば中華思想、
ここにあきらかなり。
ゆえシナとコメのデイエス、
見た目は違っていても中身は同じ、
そういうことである。
まことに!まことに。
記憶障害の話を聞いた。
面白いっていうか、わけが分からない。
脳の損傷部分によって違うのだろうが。
この話では、
昔のことは覚えているのです。
しかして問題が二つある。
一つ、直近数年分の記憶が消えている。
一つ、前日の記憶が翌日まで残らない。
こんなことが本当にあるんですね。
てかこれはドラマの話ですが。
でも実際にもあるんでしょう。
そこで思ったのです。
そのことを記したい。
・・・・・
消えたのは言葉の記憶のようです。
体験の記憶は残っている。
身体が捉えた記憶は残っているということ。
てかこれは身体の一部位だけではなく、
全細胞に関わるから当然であろう。
でも脳にとっては無いとしか。
そこが損傷してる限りは。
だから先の話では、
寝る前に今日の出来事をメモする、
そして朝起きたら先ずそれを見る、
後は身体に聞くしかない、
ということに。
ちなみにこのことで分かると。
人間が如何に言葉に捉われているかが。
ゆえ言葉をなくせばもう動けなくなる。
他の動物とそこが決定的に違うのです。
彼らは言葉を持たないから自由である。
身体の命ずるまま自らの由に従う。
それを本能と謂う。
人にも本能がある。
でも絶えずそこに言葉がかぶせられる。
それが人間の厄介なのだが、
それを厄介とは気付かない。
言葉が要注意なのは故です。
そして先のメモですが、
これは普通は脳に記されることに。
でもこれは物心ついてからのこと。
その前やさらに生れる前のことは如何。
他の動物では本能と謂うものだが、
人間の場合はそれが言葉に入れ替わる。
それは父母から受け継ぐのである。
それを歴史と謂う。
歴史とは人の「こと」の積み重ね、
しかもそれは人の言葉の積み重ね。
これが本能の上にかぶさっている。
ところでこの歴史だが、
ここではそこに伝統や文化も含まれる。
ちなみに余談だが、
言葉と生きてゆく、
とは某~学会?がテレビで言っていること、
まったくもってその通りかと。
昨今蔓延っているリベラル的言辞には、
それが(歴史)欠落している。
言葉は時とともに変化すると雖も、
歴史の「こと」とともにあるもの。
なのにそのことへの尊重は欠片もなし。
しかしてのこの有様…、
・・・・・
思えば今世界は歪みに歪んでいる。
歴史の「こと」に嘘がこびりつき。
でもこれに気が付かない。
言葉はそも虚構であることを知らないから。
かくてもうしっちゃかめっちゃか。
そも人には人の歴史あり。
先ず自分史がある。
次に家族史がある。
次に郷土史がある。
更に同じ言語を有する者の歴史が。
更に同じ文化を有する者の歴史が。
並んでは近代の国家の歴史が。
そして世界史・人類史がある。
とまあこう言う訳である。
ゆえ歴史は一つではないのだ。
それは人の数だけあるのです。
今ここに嘘がこびりついてる。
ちなみに歴史の前には神話がある。
ちなみに聖書はその両方で出来ている。
ちなみに古事記・日本書紀も又そうである。
しかもこれはそれらが一つに繋がっているのだ。
神代から人代へと切れ目なく。
あのトインビーは言った、
神話の無い民族は滅ぶと、
まさにしかりである。
と謂うことだが、
歪みの大元は神話の忘却と歴史のウソにあると。
とは言っても歴史については、
ウソの前に更なる大嘘がある。
それは歴史は一つと言っていること。
その目的はインチキワンワールドの押し付けか。
次にウソのことですが、
事実は一つとは尤もなこと。
でもそれは神の目を持ってこそ。
人はその立ち位置で見え方は異なる。
なおその思いによってはもっと異なると。
だから異なることに問題はない。
むしろしかるべしであろう。
ことを最も歪めるのは嘘である。
それがいかに違っていても見えたままなら良し。
それがいかに違っていても思ったままなら良し。
それを敢えて違えるのが問題なのです。
それを嘘という。
現下はそれが蔓延っている。
近くは反日自虐史観である。
これは度が過ぎてる。
その証は逆を言えば否定されることに。
もってのほかである。
これを何とかせねば。
安倍さんを思えば尚。
うん、
・・・・・
ところで記憶障害にもどる。
今回の記憶障害は冒頭に記したとおりです。
これは過去の記憶をすべて失う訳ではない。
そんな一般的な記憶喪失ではない。
でもこれがシナの歴史に似ている。
これは中華思想の歴史観(所謂易姓革命)そのものと。
それは前政権の歴史を否定するが倣い。
でもそのもっと前はそうではないのだ。
中華五千年の歴史とか言って鼓吹する。
昔のことは覚えている?のである。
実に手前勝手であり、
中華思想の面目躍如。
まあそういう話です。
ところでこれはインチキワンワンワールドに似ている。
このワンワールドは漢字で記せば中華世界、
でグローバリズムは漢字で記せば中華思想、
ここにあきらかなり。
ゆえシナとコメのデイエス、
見た目は違っていても中身は同じ、
そういうことである。
まことに!まことに。