ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

どこへ行ったのか

2023-04-24 22:12:02 | 日記・エッセイ・コラム
安倍さんはどこへいったのか。
それが分からない。
でもその理由は分かる。
余りにも歪んだこの世界に、
もう居られなくなったのだ。
ある意味必然であったのか。
でも不本意ではなかったと、
そう思っている。
私は事件現場の近くに住んでおり、
ときにその場に行ったのだが、
特に怨念は感じなかった。
むしろ清浄を感じた。
そこはかとなく。
勝手ながら。
・・・・・
またまた事件があった。
和歌山市雑賀崎漁港で。
選挙応援演説会場で爆弾騒ぎがあったとか。
応援に行った岸田首相が襲われたのだ。
幸いにも事は未然に防げたようだ。
安倍元総理の件の二番煎じの大茶番劇。
安倍氏に関しては結構計画的であった。
その前からもつけ狙って移動していた。
にしても、
そのじつ、
その内容は動機も状況も実に不自然である。
今回はどうだろう。
これも動機?は甚だ不自然である。
大きな声では言えないが、
こんなことが動機になるなら、
どんなことでも動機になるだろう。
まさに大茶番劇である。
なぜこのようなことが起こるのか。
その裏側には社会の退廃があると。
日本はまだまだましだとは思うが。
これが今の世界の大問題なのです。
しかもこれらは仕掛けられている。
だから現実を無視してのポリコレ桜の花盛り。
アラブの春はその典型だった。
その結果としての移民の急増。
これが欧米社会を壊している。
だから世界は大混乱のさなか。
日本はその最後の砦であろう。
それを日本にも及ぼそうとあの手この手、
そんな画策が日夜横行してる。
つまり日本文化の破壊である。
夫婦別姓、同性婚、移民難民などの取り込み、
改革と言いながらの日本人の働き方潰し、
最後の最後はやはり天皇が標的かと。
そう言えば直近のこと、
性懲りもなく国連方で、
今の天皇の在り方は女性蔑視~とか、
と言い放った。
それをメディアがキキ?として報道。
まあこんなことです。
・・・・・
ところで安倍さんはどこへ。
戦勝国であったロシアでは、
ロシアファーストのプーチンはもうぼろ糞で、
西側のメディアからは袋叩きなのである。
表向きは侵略だから仕方ないのだが。
大迷惑はウクライナの国民とそれにロシアの国民も。
戦勝国の真ん中にいたアメリカはどうか。
これがまた嘘のてんこ盛り。
負けていた選挙をひっくり返し、
今また元大統領を起訴するとか。
何でも有りである。
そりゃそうだろう、
アメリカファーストのトランプ氏は、
武漢肺炎をもともせず化石燃料を推進していたから。
それとは真逆の政策を推し進めるには目障りだった。
それも長い時間をかけて練りに練った計画であった。
それが今の「コロワクポリコレ地球温暖化脱炭素」。
そりゃ何でも有りになるわな。
ちなみにインドやシナそれにアラブ諸国や南米諸国、
彼らはそんなロシアに対しても決して反露ではない。
むしろ反米てか反欧米のようでさえある。
彼らは既にその胡散臭さに辟易している。
勿論利があれば簡単に体を入れ替えるが。
そんなことで、
こんなことで、
安倍さんは身の置きどころがなくなった。
何しろ敗戦国であったし、
それに国連の敵国条項がなぜか外されず、
未だその頚木に繋がれたままなのである。
だからその看板を「日本を取り戻す」としたのです。
そして妥協に妥協を重ねていた。
それでも政権交代を余儀なくされた。
なおそれでも圧力が収まりきらなくなり、
終には消えてしまった。
どこへいったのか。
今回の爆弾騒ぎはその続きかな。
更なる脅しかはたまた~か。
それを思えば、
岸田首相はよくやっている、
上から目線のつもりはないが。
最初はなんかひ弱に見えた。
でも以外なことにそれが、
ちょっと見直している。
・・・・・
てか必ず最後に安倍は勝つ。
と勝手に思っているが、
ハテな?どこかで聞いたような、
必ず最後に愛は勝つ、という詞のことです。
愛をアベと読めばそうなる。
それにこれは日本人の感覚だが、
その死生観とでも謂うのか、
「そこ」から来「そこ」に居て「そこ」に帰る、
これが人の一生である。
命は必ず神に帰ります。
人の命は一時であり神の時は永遠である。
一時は必ず永遠に帰る。
そういうことです、

どこへ行ったのか

2023-04-24 08:58:28 | 日記・エッセイ・コラム
安倍さんはどこへいったのか。
それが分からない。
でもその理由は分かる。
余りにも歪んだこの世界に、
もう居られなくなったのだ。
ある意味必然であったのか。
でも不本意ではなかったと、
そう思っている。
私は事件現場の近くに住んでおり、
ときにその場に行ったのだが、
特に怨念は感じなかった。
むしろ清浄を感じた。
勝手ながら。
・・・・・
またまた事件があった。
和歌山市雑賀崎漁港で。
選挙応援演説会場で爆弾騒ぎがあったのだ。
応援に行った岸田総理が襲われたとか。
幸いにも事は未然に防げたようだ。
安倍元総理の件の二番煎じの大茶番劇。
安倍氏に関しては結構計画的であった。
その前からもつけ狙って移動していた。
にしても、
そのじつ、
その内容は動機も状況も実に不自然であった。
今回はどうだろう。
これも動機?は甚だ不自然である。
大きな声では言えないが、
こんなことが動機になるなら、
どんなことでも動機になるだろう。
まさに大茶番劇である。
なぜこのようなことが起こるのか。
その裏側には社会の退廃があると。
日本はまだまだましだとは思うが。
これが今の世界の大問題なのです。
しかもこれらは仕掛けられている。
だから現実を無視してのポリコレ桜の花盛り。
アラブの春はその典型だった。
その結果としての移民の急増。
これが欧米社会を壊している。
だから世界は大混乱のさなか。
日本はその最後の砦であろう。
それを日本にも及ぼそうとあの手この手、
そんな画策が日夜横行してる。
つまり日本文化の破壊である。
夫婦別姓、同性婚、移民難民などの取り込み、
改革と言いながらの日本人の働き方潰し、
最後の最後はやはり天皇が標的かと。
そう言えば直近のこと、
性懲りもなく国連方で、
今の天皇の在り方は女性蔑視~とか、
と言い放った。
それをメディアがキキ?として報道。
まあこんなことです。
・・・・・
ところで安倍さんはどこへ。
戦勝国であったロシアでは、
ロシアファーストのプーチンはもうぼろ糞で、
西側のメディアからは袋叩きなのである。
表向きは侵略だから仕方ないのだが。
大迷惑はウクライナの国民とそれにロシアの国民も。
戦勝国の真ん中にいたアメリカはどうか。
これがまた嘘のてんこ盛り。
負けていた選挙をひっくり返し、
今また元大統領を起訴するとか。
何でも有りである。
そりゃそうだろう、
アメリカファーストのトランプ氏は、
武漢肺炎をもともせず化石燃料を推進していたから。
それとは真逆の政策を推し進めるには目障りだった。
それも長い時間をかけて練りに練った計画であった。
それが今の「コロワクポリコレ地球温暖化脱炭素」。
そりゃ何でも有りになるわな。
ちなみにインドやシナそれにアラブ諸国や南米諸国、
彼らはそんなロシアに対して決して反露ではないと。
むしろ反米てか反欧米のようでさえある。
彼らは既にその胡散臭さを熟知している。
勿論利があれば簡単に体を入れ替えるが。
そんなことで、
こんなことで、
安倍さんは身の置きどころがなくなった。
何しろ敗戦国であったし、
それに国連の敵国条項がなぜか外されず、
未だその頚木に繋がれたままなのである。
だからその看板を「日本を取り戻す」としたのです。
そして妥協に妥協を重ねていた。
それでも政権交代を余儀なくされた。
なおそれでも圧力が収まりきらなくなり、
終には消えてしまった。
どこへいったのか。
今回の爆弾騒ぎはその続きかな。
更なる脅しかはたまた~か。
それを思えば、
岸田首相はよくやっている。
上から目線のつもりはないが、
最初はなんかひ弱に見えた。
でもそれが以外であった、
ちょっと見直している。
・・・・・
てか必ず最後に安倍さんは勝つ。
と勝手に思っているが、
ハテな?どこかで聞いたような、
必ず最後に愛は勝つ、という歌詞をどこかで。
愛をアベと読めばそうなる。
それにこれは日本人の感覚だが、
その死生観とでも謂うのか、
そこから来てそこに居てそこに帰る、
これが人の一生なり。
人は必ず神に還ると。
人の時は一時であり神の時は永遠である。
一時が永遠に勝てる訳がない。
聖書もそう示唆している。

設計図

2023-04-17 09:50:40 | 日記・エッセイ・コラム
これは命の設計図のことである。
人は人になり犬は犬になる。
これ自然の理なり。
だから設計図はあるのです。
当然にあるのです。
それがどこにあるのか分からなかった。
今は一応分かっている?
それはDNAである。
あのDeNAではない。
・・・・・
最初の細胞は一つである。
有性生物はその初めは二つかもですが、
やはり一つとしておこう。
人の場合は、
それが60兆個もの塊りとなる、
と言うこと。
その設計図は一つひとつの細胞の中にある。
ちなみにだから言うのです。
一つひとつの細胞に「私」はあるのだから、
どこかの部位をもって私だとは言えないと。
たとえそれが脳であろうと。
それに私とは実に曖昧なものです。
細胞の一つひとつが私であっても、
それがそれぞれに自己主張すれば、
所謂私は支離滅裂四分五裂となる。
私として生きることなどできない。
現実はそんなことはなく、
私は私として生きている。
さらに想えば、
それも私一人で生きているのではない。
多くの人々や物事によって生かされている。
なら所謂私を一つの細胞とすれば、
その塊り(家族・社会・国家・世界)もまた私である。
つまり上位の私だと謂えるのです。
そう言うことだと。
だからです、
全体と部分は対立するものではない、
共働するものです。
それにも関わらず、
欧米的思考、それはリベラルと言われるが、
その思考は偏っています、
余りにも私に偏っている。
しかもそれに気づかない。
むしろそれが良いものと。
それが現下の世界である。
てかまた話がそれた。
・・・・・
DNAのことだが、
これは生き物には漏れなくあり、
その身体を成すのに無くてはならぬものです。
しかもそれは一つの細胞/DNAから始まる。
人ならそれが60兆個にもなる、
たった10か月余りで。
それに聞いた話しでは、
その間に生物進化の全過程をたどるとか。
そして誕生する。
誕生後もDNAは影響を与える。
それは当然のことだが、
それが所謂文化にも言えるのか。
それはちょっと違うと。
でも人以外はそれも違うと。
彼らにも文化のようなものがあるだろう。
それは彼らの生き方としてある。
それは身体と伴にある。
そも身体とは切っても切れないもの。
身体がその行動を規定する。
でも環境の違いもあり、
同じような種でも違いが現れる。
だから文化らしいものもあるだろう。
でもそれはDNAの範囲内かと。
それを通常は本能と謂うと。
本能という言葉は最近は余り使われない。
特に科学者あたりでは。
こんな便利で的確な言葉はないのに。
てか又それたが、
なら文化にDNAは関わらないのか。
そんなことはあり得ない。
大元はDNAにある。
でもあきらかにそれは別物です。
それはどんなものか。
本当にあるのか、
あります。
それは言葉である。
それが「文化」を創る。
それは「文化」という言葉にあきらか。
文とはつまりは言葉である。
それが化けるのである。
それが文化である。
だから言葉はもう一つのDNAだと言える。
日本語は日本人のDNAなのです。
それを知ろう。
・・・・・
人間の言葉は元は一つだと、聖書によればだが。
人類の歴史を想えばそうとしか思えない。
その大元はやはりDNAであろう。
だから言語にも系統がある。
所謂DNAに系統があるように。
でも今もって分からないと、
日本語の系統がである。
独立した言語の様。
真に興味深い。
日本語の不可思議、
波動に意味あり、
その奥の深さ。
一音一意に、
一字一意、
面白い。

ウーヤータ~

2023-04-10 09:47:57 | 日記・エッセイ・コラム
なんなのか?
これは掛け声である。
私がまだ若い頃マンガ雑誌があった。
今も人気のあるあの週刊誌、
少年ジャンプである。
そこに「少年ジェット」という連載があった。
中身はほとんど覚えてないが、
そこに登場するのが主人公の少年である。
彼の武器が声である。
ミラクルボイスと言っていた。
その掛け声がウーヤータ~であった。
これが強烈な武器だったのだ。
それだけのこと。
・・・・・
同じようなものが、
あの有名な「ドラゴンボール」にある。
これはもう日本ならず世界を席巻した。
それは雑誌より映像化(アニメ)の影響かと。
これも少年が主人公である。
めっぽう強い少年であるが、
彼の最高の武器が声である。
そうです、あのカメハメハである。
先の話と同じ発想なのだが、
声もあるが腕の構えもあり、
全身で気を発するものです。
しかもその語尾がハになっている。
ハとは波であり、そのまんまかと。
にしても勝手ながら、
これは言霊の国・日本の面目躍如かと。
私は以前から言葉こそが武器だと、
人間最大の武器であると。
それはその概念を指してのこと。
でもこのカメハメハは音そのものです。
ここに日本の情動がある。
独特の情動があるのです。
ちょっとそれるが、
それに既に言っていることだが、
物はすべてが変化している、
それを運動・振動・波動と言い、
一言で言えば波動であると。
つまりすべては波(ハ)なのだ。
ならカメハメハの名はしかりと。
これは漫画での話だが、
実際にもそんな武器があるかも。
聞くところによれば、
電磁波動砲と言うものがあるらしい。
開発が難しくまだ完成していないと。
でも軍事のことは闇のなか。
本当は既にあるのかも。
他でもないこの日本に。
とかとかと思っている。
・・・・・
ちなみに声は喉から発せられる。
その大元は声帯である。
その声帯を振るわせるのだ。
それが空気を伝わるのです。
ここに奇妙がある。
空気の動きの大元は肺がなすのだが、
でもそれでは声が出せない。
吐く時には声が出ないのだ。
むしろ息を止めて声を出す。
為には事前に空気を吸わなけばならない。
それは必ずしも肺ではない。
それは声帯以下の所謂腹である。
現に腹式呼吸という呼吸がある。
それが腹に空気を貯めるのです。
そして息を止めて声帯を振るわせる。
それが声である。
大きな声や気合を付けるときは深く息を吸う。
声とはある意味全身を使って発するのだ。
日本語はそれを心得ている。
「腹を決める」、
「腹を据える」、
大事を為すときは、
そういう言い方をする。
言葉は思いを乗せて伝えるもの。
それが言葉に重みを与えるのだ。
腹はその役目を担うのだが、
それは全身の総意として行うのです。
思えば腸は脳と直結していると謂われる。
そう言えばそうかなとも?
てかそれは当り前でしょう、
すべての器官が脳と繋がってるのは。
前に錯覚していると言った、
脳が「私」であると。
脳さえ生きていれば私は死なないと。
ときに私の命が永遠に。
思い違いも甚だしい。
脳は私の器官の一部でしかない。
単に中継点に過ぎないのだ。
それを知ろう。
ただ違うのは、
そこに言葉(概念)があるから。
それが蓄えられているから。
これが厄介なのだ。
変な錯覚を起こさせる。
困ったもんだ。
・・・・・
以下は付録。
波動の元は腹にある。
腹の底のさらにその奥にある。
そうは言ってもそれは実部位ではない。
それは「こと」であって、
「もの」ではないのです。
だからそれを物に譬える。
それを日本人はカガミとする。
これは写すものです。
全細胞が現実と対峙して捉えた波動を、
そこに写しそれを波動として放出する。
それを本能という。
ところが人間は言葉を持ったのだ。
言葉として発信するのです。
それが本能に影響を与える。
それが人の行動である。
言葉を「こと」の「は」と言っていたが、
それはそれで変わらないが、
それは「こと」の「波」でもあったのだ。
日本語は奥が深い。
てか底が見えない。

命はいき

2023-04-03 06:41:07 | 日記・エッセイ・コラム
命は「いき」である。
まさに生きると言うがごとく。
言葉の初めは音(声)である。
「いき」の漢字は「息」であり、これは自らの心と記す。
それは「意」の「気」でもあり、これは音と心と気とで成る。
ここに示される。
息とは空気を振動させ、そこに音(声)を乗せる。
そこに更に心を載せて、ここに言葉が発現する。
まさにまさにである。
それを動詞化すれば「生きる」となる。
だから命はいきである。
これを成すのは肺という臓器。
この臓器は市である。
物(空気=酸素)を集めてそれを捌く。
その集積地の役目をになう。
だからそれを市と謂う。
なるほどなるほど、
ざワールド?
・・・・・
太古の人らはかく想っていた。
息が吹き込まれて命が始まり、
息が引き取られて命が終わる。
そしてその始まりと終わりは、
神様との直接のやり取りだと。
気(心魂)の受け渡しである。
命の定義は知らないし、
何が命かは一概に言えないが、
肺を横に置けば、
もう一つの核心は心臓にあるかと、
だからか心の蔵と記している。
これは物流の大元締めである。
空気=酸素などを運ぶための。
血管という道を通じて血という乗物を動かし。
そも命とは細胞のすべてが動いてるものだが、
心臓と肺臓が最も顕著に動く。
だから心肺停止が取り敢えずその終わりだと。
ほかに脳死というのもあるが、
これはまだ本当の死ではない。
脳死の場合身体の細胞はまだ動いているのだ、
脳の細胞もである。
脳がその機能の一部を失ってるが。
ここで誤解が起こる。
一部の科学者は言う。
先の話とは逆張りで、
脳さえ動いていればそれでいいと、
他の細胞がすべて止まっていても。
それが命の大元であると。
だから脳だけを取り出し、
栄養に満ちた溶液に浸し、
そこに心肺機能を付ける。
さすれば永遠の命ができると。
錯覚も甚だしい。
脳は身体の一部でしかない。
それ自体が生きていても、
それは私の脳であったものであり、
それは私ではないのです。
一部を切り取り、
以って全体だとは言えない。
確かに生きてる間は、
それが最も顕著に私を示す。
想いは脳が発するように見えるから。
それはそうだが、
それは結果としてなのです。
そも全細胞の発意があってこそです。
そういうことだが、
彼らの考えならば、
足を切り取りそれを私だと言っても同じこと。
それとどこが違うのか。
ピント外れも甚だしい。
上記で一部の科学者と言ったが、
現下は彼らが科学界を席巻している、
嘘に嘘を重ねて。
その結果、
コロコロワクワク地球温暖化脱炭素、
コロワクポリコレスッテンコロリン、
という念仏まがいが横行。
ついつられて私も唱える、
コロコロワクワク地球温暖化脱炭素、
コロワクポリコレスッテンコロリン。
いかんいかん、
チン!
・・・・・
ここに言葉がある。
聖書に記されているもの、
旧約聖書エゼキエル書三十七章。
(抜粋)
そこには骨が満ちていた。
はなはだ多くの骨があり、皆いたく枯れていた。
彼(主)は私(エゼキエル)に言われた、
「人の子よこれらの骨は生き返ることができるのか」
私は答えた、
「主なる神よあなたはご存知です」
彼はまた私に言われた、
「これらの骨に預言して言え、
 枯れた骨よ主の言葉を聞け、
 主なる神はこれらの骨にこう言われる、
 見よわたしはあなたがたのうちに息を入れて、
 あなたがたを生かす、
 わたしはあなたがたの上に筋を与え、
 肉を生じさせ皮でおおい、
 あなたがたのうちに息を与えて生かす」
私は命じられたように預言したが、
私が預言したとき声があった、
見よ動く音があり骨と骨が集まって相つらなった、
私が見ていると、
その上に筋ができ肉が生じ皮がこれをおおったが、
息はその中になかった、
時に彼は私に言われた、
「人の子よ息に預言せよ、息に預言して言え、
 主なる神はこう言われる、
 息よ四方から吹いて来て、
 この殺された者たちの上に吹き、
 彼らを生かせ」
そこで私が命じられたように預言すると、
息はこれに入った、
すると彼らは生き、その足で立ち、
はなはだ大いなる群衆となった。
(以上)
想うにこの話は、
息こそが命の始まりだと。
見事な勝手解釈。
よし!