ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

日本人の神

2013-04-30 15:47:22 | 日記・エッセイ・コラム

日本人には無宗教の人が多いらしい。

無宗教だから神を信じていないと思っている。

多くの人がそのようだ。

でもである。

無宗教と無神論とは別である。

人間の形をしたスーパースターとしての神は、

もちろん私も信じていない。

でも、私にとって神とは現実である。

この世界が神によって創られたなら、

人の子が人であり、犬の子が犬であるように、

神が創られたものはすべて神の子である。

神の子はすなわち神である。

現実(の世界)はすべて神である。

良きことも悪きことも、神の業である。

日本人は深奥でそう思っている。

・・・・・

日本人にとって、

神とは世界そのものであり、

世界の現実はそのまま神である。

しかして、

現実に即することを自然と言う。

神ながらの道、自然の道。

計らいを捨て、現実に寄り添って生きる。

これが日本人の思想である。

日本人に無神論者はいない。


契約と約束

2013-04-22 14:53:35 | 日記・エッセイ・コラム

契約と約束、同じことである。

私が言いたいのは、

欧米人の契約(約束)と日本人の約束(契約)の違いである。

約束とは人と人の間でなすものである。

欧米は人を信用しない社会である。

だから、人と人の約束はそのままでは成り立たない。

人と人の間に神(唯一の神)を介在させなければならない。

人と神の約束だけが、唯一認められる約束だから。

神の介在によって初めて約束は成り立つ。

だから、無神論者は嫌われる。

約束を守るという関係が成り立たないから。

日本は人を信用する社会である。

約束は神を必要としない。

もっぱら、人と人のみで成り立つ。

・・・・・

ちなみに、

中国も人を信用しない社会である。

しかも、欧米のような宗教心がない。

だから、人と人の約束が成り立たない。

どこまでも、力の世界である。

力あるものの約束だけが約束となる。

哀れ。


言葉の嘘

2013-04-15 09:28:09 | 日記・エッセイ・コラム

言葉は現実の「もの」「こと」に付けた「しるし」である。

そのしるしを頼りに、人は意思の疎通をはかる。

しるしから想起されるものを「受け渡し」して、意思の疎通をはかる。

でも、である。

しるしは現実ではない。

現実はしるしの向こうにある。

しるしは現実を想起させるひとつの断片である。

しるしは現実とともにあって、はじめて意味をなす。

現実から遊離した「しるし」に意味はない。

現実から遊離した「しるし」は最後は嘘になる。

気を付けなければならない。

覚悟しておかなければならない。

言葉は最後は嘘になる。

言葉こそ人間たる生き物のよって立つ根幹である。

言葉を嘘にしてはならない。

言葉は常に現実とともにあらねばならない。

・・・・・

私は理想というものが余り好きではない。

理想を語る人は、ときとして現実を否定する。

理想を先を照らす明かりとすれば、それは意味も意義もある。

理想に合わないといって現実を否定すれば、破滅しかない。

目の前に悪魔がいれば、好き嫌いは別にして認める、

とにかく存在は認める。

それが私の立場である。


歴史の虚実

2013-04-08 16:28:48 | 日記・エッセイ・コラム

歴史とは魂の軌跡である。

もとより、事実は事実としてありのまま記すことは当然である。

しかし、単に事実の記録なら歴史に意味はない。

事に臨んでどう思い、どう行動し、どういう結果になったか。

事実の顛末には、そこにいたる思いが乗っている。

それが人の歴史である。

・・・・・

同じ事実であっても、人によって思いは違う。

一時、自分史というのが流行った。

自分に特化した事の記録であり、思いの系譜である。

自分の思いが、その事に関わった他の人の思いと一緒でなければならない、

ということは当然にない。

でも、奇怪なことに思いは同じでなければならない、という人がいる。

それは人それぞれの思いを否定することになる。

そういう人に限って事実をも捻じ曲げる。

情けない限りである。

・・・・・

日本の歴史学者には「まがいもの」が多い。

他国が日本をどう思おうと、それは自由である。

立場によって思いは異なるものだから。

事実にたいして、歪曲・捏造がなければであるが。

だが、日本人でありながら自らの父祖に唾するものがおる。

他国におもねって、自国を貶める者がおる。

自国を貶めるために、他国を利用する者がおる。

歴史を取り戻さなければならない。

歴史を取り戻さない限り、

日本の復活はない。


動物の予知能力

2013-04-01 17:00:14 | 日記・エッセイ・コラム

植物はそこに在り続ける。

タネが落ちた、その場所に在り続ける。

枯れて亡くなるまで。

動物は書いて字のごとく、動くものである。

動くとは地理的移動である。前後、左右あるいは上下。

また、動くとは時間的な移動でもある。

現在から未来への移動、

不確定な未来への移動である。

・・・・・

動物は自らの意思により、未来へ移動するものである。

しかし未来は不確定であり、どうなるか分らない。

未来を予め定める必要がある。

未来を定めなければ動けない。

無意識ではあっても定めているのである。

植物にはなく、動物こそが持っている力である。

予知能力という言葉が適切かどうか分らないが、

予知能力があると言わざるを得ない。

インド洋大津波のとき、

象は海辺の近くで人とともに沢山いた。

が、一頭も死んでいなかったという。

皆、高台に逃げていた。

異変を察知したのであろう。

人間も動物であるが、どうもそういう力はなさそうである。

本来あるはずのものが消えている。

まったく失った訳ではないと思うが。

なぜだろう。