ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

もう一つの嘘

2015-02-26 15:06:04 | 日記・エッセイ・コラム
円が暴落する、
というのは嘘だと言った。
もう一つ嘘がある。
日本国が借金で破綻する、
というものである。
これも嘘である。
・・・・・
国には通貨発行権がある。
円は幾らでも発行できるのである。
だから、円は借りても返せなくなることはない。
円以外の通貨を借りたなら、
返せなくなることもある。
その場合は破綻する。
だが円で借りている限り破綻はしない。
現下の状況では破綻することはない。
とはいえもちろん、
刷り過ぎたら弊害があるのは当然だ。
そこは注意が必要だ。
ということは、
弊害が出そうになるまでは刷ってもよいということだ。
今の状態ではまったく問題ない。
のである。
・・・・・
従って、
日本国が財政破綻する、
というのは嘘である。
99%嘘である。
まったきの大嘘だ。
ちなみに、
100%と言わなかったのは、
武士の情けである。



経済評論家の嘘

2015-02-23 16:52:55 | 日記・エッセイ・コラム
経済に関して嘘を言う人がいる。
学者・評論家の他、政治家・官僚にも。
曰く、円が暴落する。
曰く、財政破綻する。
これらは明らかに嘘である。
はてさて何を考えてるのか。
さっぱり分からない。
・・・・・
円はただの紙である。
そもそも価値はない。
価値あるものに交換できるというだけである。
その交換価値は日本国が保証している。
日本国を信用している限り価値はある。
円の価値はそんなもんである。
ともかく、
日本国に価値あるものが在る限り、
円は価値がある。
円が暴落するとは、
日本国に価値あるものが無くなるということだ。
ところで日本国とは何か。
日本国とは具体的に何を指すのか。
取り敢えずは政府である。
が、政府を成り立たせているのは国民である。
ならば日本国とは日本人のことである。
言わずもがな。
ということは、
円を担保してるのは日本人である。
日本人が担保してるのである。
勤勉で物作りに長けた者、
好奇心旺盛で新し物好きな輩、
それに何より「まこと」の人、
それが日本人である。
だから円は暴落しない。
暴落するとは日本人が壊れることであり、
日本人が日本人である限り暴落することはない。
とはいえ、
もちろん刷れば刷るほど価値が下がるのは当然だ。
そこは留意が必要だ。
・・・・・
終戦直後は確かに大きなインフレがあった。
相当酷いものであった。
でも、いわゆるハイパーインフレではなかった。
そこまで酷くはなかった。
暴落と言われれば否定はできないが。
でも、それは戦争の結果である。
それでも復活する。
それは日本人の力である。
それが日本人の力である。
それなのに、
平時においてハイパーインフレが来るなどとは、
どの口で言えるのか。






世界は日本化する

2015-02-20 13:25:31 | 日記・エッセイ・コラム
世界は日本化する、
と言う人がいる。
まことにその通りである。
・・・・・
勘違いしている。
大きな勘違いをしてる。
お金に価値はない、本来的に価値はない。
あるのは交換価値である。
価値あるものに交換できなければ意味がない。
ただの紙切れである。
価値あるものが無い世界では、
お金は無意味である。
言うもでもない。
価値あるものが在る世界では、
価値あるものを創ることができる社会では、
そこにお金があれば、
それは価値になることができる。
すなわち、
交換できることが保証されるなら、
お金は正に価値である。
・・・・・
お金を幾ら集めても意味がない。
誰も価値あるものを創らず、
皆お金集めのために奔走するなら、
そこには何もない。
日本人は知っている。
お金集めに意味がないことを。
お金集めに意味を持たせるには、
順番が大事なのである。
すなわち、先ず価値あるものを創るのである。
よい物を作って、
よい業を為して、
その結果としてお金を得る。
この順番を守れば、お金は価値になる。
この順番を大事にしているのが日本であり、
これが日本である。
・・・・・
順番を違えると、詐欺師や泥棒と変わらない。
欧米の植民地支配はその類であった。
なお言っておくが、
日本は過去に植民地支配などしていない。
日本人にはそもそも他人から掠りとるような発想はない。
それが日本である。
世界はそのことに気付き始めた。
だからである。
世界は日本化する。
のである。



言挙げする者

2015-02-18 12:39:43 | 日記・エッセイ・コラム
以前にも言ったが、
現実が先で言葉はその後に在る。
言葉はあくまでも現実の投影である。
・・・・・
自分の命に替えても子供を守りたい。
親なら普通そういう気持ちになる。
これは人間だけではない。
でも人間はそれを言葉にする。
愛という言葉である。
愛という言葉は「命に替えても守りたい」という思いを表象したものである。
だけどもちろん、
愛という言葉があるから愛があるのではない。
愛という現実が在ってこそである。
現実の投影である言葉は、
現実を離れれば嘘になる。
悲しいかな、
人間は、
愛がなくとも「愛してる」とは言えるのだ。
・・・・・
当然在るものを在るとは言わない。
言う必要がないから。
在ると言うのはそれが怪しいからだ。
在るかどうか怪しいからだ。
そういうふうに思うのが日本人である。
だから、口にすれば嘘っぽくなると思うのである。
これは「あえて口に出す」ことを嫌う日本の歴史・伝統・文化である。
すなわち「言挙げせず」である。
これは私の解釈である。
別の解釈がある。
これが本来だろう。
それは、
口に出せばそれが実現してしまう、
というものだ。
どちらにしても、
つまりは、
人間は言葉に左右されるということだ。
現実がどうあれ。
・・・・・
前回の続きではあるが、
だから私は「世に聞こえるもの」を信用しない。
特に愛や平和を声高に語る者を信用しない。
耳障りの良い言葉を言い、
それに従わない者は徹底的に否定し、
現実を顧みない。
そんな言挙げする者を信用しない。
注意しよう。
言葉に真のある者は必ず実を伴っている。
そこを見よう。
そして、しっかり聞こう。







世に聞こえるもの

2015-02-17 12:06:50 | 日記・エッセイ・コラム
世界では厭なニュースが溢れてる。
「イスラム国」とそのテロ事件あるいはウクライナ問題とか。
よいニュースもあるのだろうが、
何よりそういう厭なものがニュースになる。
さりながら、
メディアが伝えなければ、
当人が知らなければ、
それらは無いことで済むのに。
しかし、どうも好んで伝えているようだ。
そうとしか思えない。
それもセンセーショナルに。
耳目を引くように。
とは言え、ネットの時代である。
ほっといても広がるという面もある。
こんな時代だから注意しよう。
聞こえてくるものに。
でなければ利用される。
この世界を仕切ろうとする者に。
・・・・・
現場でことを起こしてる人は、
もちろん本気だろう。
でも、裏で操る者がおるような気がする。
ことを起こすには力がいる。
何より怒りの力、
そしてそのための武器や資金等。
誰が支えているのか。
彼らに力を貸している者がいる。
金銭的には得にもならないのに。
なぜ力を貸すのか。
それは不安をあおるためである。
不安をあおった上で彼らを潰すである。
さすれば感謝される。
おおいに感謝される。
そしたら賞賛と人望を得ることができる。
そこで初めて仕切れるのである。
この世界を…。
・・・・・
日本も既に巻き込まれている。
日々ニュースに接してはいても、
どこか遠い世界のように思ってきたが。
いよいよ我が身に振りかかった。
気にしても仕方ない。
注意は必要だが、取り越し苦労は止めよう。
慌てふためくと思うツボである。
そして何より、
世に聞こえてくるものに惑わされないように、
しよう。