ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

日本の不思議

2017-07-30 13:03:45 | 日記・エッセイ・コラム
やっと加計問題が終わりそうだ。
火の無いところに煙どころか大火事であった。
放火犯はたぶん反省などしない。
むしろ、ほくそ笑んでいる。
戦後日本は明らかにアメリカの頸木の中にある。
だが最近何とか対等に近づきつつある。
そんな中での火事である。
犯人はどこにいるのか。
こんなあからさまな攻撃がアメリカにできるのか。
アメリカは自身の内に問題を抱えているのに。
なら、これは何なのか。
・・・・・
日本は世界最古の王朝国家である。
なので、その支配者層も入れ替わっていない。
欧米などと違うのは、
支配者層が庶民と断絶していない、
ということだ。
何しろ一君万民であり、天皇以外は皆臣民なのだ。
だから奴隷がいないのである。
にしてもだ、あきらかに支配者層はいるだろう。
でなければ国家を維持できない。
これほどの長きに渡って。
このことは当然なのだが、そこが実の所よく分からない。
天皇は権力者ではないのだ。
権力を行使しようとした天皇もいるが。
後醍醐天皇のように。
それは例外である。
なら権力はどこにあるのか。
それが分からない。
学校の歴史では、これはさっぱり分からない。
歴史学者の言うことは、これまた要領を得ない。
結局藪の中…。
・・・・・
権力闘争は勿論ある。
政治には付き物で、歴史上幾らでも見られる。
普通は勝った者が支配する。
だが奇妙である。
例えば曽我・物部の戦いである。
神道派と仏教派との争いであったと言われる。
で結局曽我氏が勝ち、物部氏は都を追われた。
なのに、その曽我氏も乙巳の変で滅んだ。
勝った方も負けた方も退場である。
同じことが源平の戦いである。
源氏が平家を滅亡へと追い込んだ。
その源氏も鎌倉三代実朝で血が途絶えた。
あとは北条氏の執権である。
これも、勝った方も負けた方も退場である。
別の様相もある。
東西対決である。
ひとつは壬申の乱である。
天智天皇が崩御した後、大海人皇子が天智派を退け天皇に付いた。
それが代を重ねたが、長屋王のとき謀略により天智派に交代した。
ひとつは応仁の乱である。
西軍の山名宗全と東軍の細川勝元の戦いである。
結局決着が付かず、ただ都が荒廃したのみ。
何の為に戦ったのかも未だよく分からない。
不思議な戦いであった。
ひとつは関ケ原の戦いである。
西軍の豊臣側と東軍の徳川側との争いである。
東軍が勝って徳川氏の天下となった。
宗教的には寺請制度などにより仏教を主軸にした。
それが幕末になって政権を朝廷に返上した。
これが明治維新となるのだが、
結果薩長藩閥政治となり、
それはつまり西軍の復活であり、
宗教的には神道主軸となった。
さらに奇妙なことがある。
なぜか南朝の復活ということになっている。
その現れが皇居前に建てられた楠木正成像である。
何があったのか。
・・・・・
ちまちまと述べたが、
言いたいのは、
天皇には権力がなかったこと、
では権力がどこにあるのかと言えば、
それがよく分からないこと、
権力には大きな二つの流れがあるということ、
それは時に西と東に分かれるのだが、
むしろ神道と仏教に分れると言った方がよく、
それにしても神道と仏教は一体でもあること、
等々…。
大きな二つの力の綱引きがあるのだが、
さて今回のもりかけ騒動は、
そんな綱引きと関わりがあるのだろうか。
あるとしか思えないが、
もしそうなら、
実に興味深いことです。












仕掛け人は

2017-07-23 08:53:58 | 日記・エッセイ・コラム
もりかけ報道の酷さには呆れているが、
では誰がそれを仕掛けたのか。
それが分からない。
まったく分からないのだ。
それなりの線を幾ら辿っても…。
でも大きく捉えれば大体分かる。
それは戦後体制そのものであり、
日本の頭を押さえておきたい力である。
・・・・・
今回の主役は反日新聞は当然ながら、
特にテレビのワイドショウの役割が大きかった。
番組には打合せがあり、大筋は決められている。
MCが自分の意見を言うことはほぼないだろう。
つまり初めから筋書きがあるのだ。
コメンテーターはそれに添って意見を言うが、
それにも脚本はあるだろう。
でもそこには少しは綾があると思う。
生番組では編集できないこともあり、完全には押さえられない。
当然出演者を選別してるとしても、
ある程度バラエティーも必要だし、
レギュラーメンバーもいるだろう。
だから予期せぬ意見が出ることもある。
多くは御用コメンテーターか人寄せパンダの芸能人である。
彼らには反保守が多いようだが、
そうでなければ事情のよく分からない芸能人である。
そこでは適当に話を合わせるより他ない。
でも普段から関心のある人もいる。
そんなこんなで時に異議を唱える。
そういう場面もあるようだ。
・・・・・
どちらにしても現場の人は直接の手先ではない。
手の中で踊らされてるだけだ。
だから仕掛け人には決して辿れない。
それはプロデューサーとかディレクターでも同じだろう。
本人の出自や思想が巧みに利用されてるのだ。
もっと上へ行ってもそれは変わらないだろう。
そういう風に種が播かれている。
だが種があるだけでは動かない。
時に動くように仕向ける者が必要だ。
糸を引く者がいるのだ。
それが一本ならともかく、何本あるか分からない。
たぶん蜘蛛の巣状態である。
でまあ結局分からないのだ。
分かってるのは意図してやらなければ、
こんなことにはならないということだ。
今回は民進党はあくまで脇役であった。
あんな無理押しを引き受けたのは痛恨の極みだろう。
これで国民からほぼ見放される。
それにしてもこんな犠牲を払ってでもやったのは、
余程追い詰められてるということか。
安倍政権にも相当ダメージがあった。
それでも潰れないだろう。
期待を込めてだが、
そうあってほしいと思っている。
・・・・・
種はどこに播かれたのか。
それは教育界に、それは新聞等メディア界に、
それは政界官界に、そしてその他あらゆる業界に。
日本を良しとする主たる人々は追放された。
とは言え、すべての人を追放することはできない。
元々ほとんどの日本人は日本を良しとしていた。
だからこそ戦争をしたのだ。
だからこそ所謂A級戦犯が靖国神社に祀られてるのだ。
そういうことである。
最大最強の種は元日本である朝鮮・台湾に播かれた。
だがご存知のように台湾では逆効果であった。
決定的に効いたのは韓国である。
彼の国の国民性か現下は箸にも棒にも掛からない状況だ。
言語に絶する酷さである。
もはや国が潰れるまで直らないだろう。
仕掛けた者も手を焼いてる、かも。
シナも勿論その種の一つである。
一時は本気で友好を結ぼうとしたのに。
胡耀邦の時である。
それは結局、戦後体制の意に反するものだった。
だから潰された。
・・・・・
本当の奥の院はアメリカにある。
アメリカこそ先の戦争の唯一の戦勝者であり、
戦争を欲したのはその中枢である。
国民も軍も使われただけだ。
戦争などしたくないのに。
その象徴が「リメンバー・パールハーバー」である。
その言葉にまんまと乗せられた。
それが太平洋戦争である。
ちなみに、だからである。
南京大虐殺というインチキ本が出版されるのも、
慰安婦像という偽りの像が建てられるのも。
訳があるのだ。
ところが今日では日米同盟は日本の大きな支えである。
素晴らしい支えであるが、同時に危うい支えでもある。
彼の漱石は言った、
とかくこの世は住みにくい、
と。

それにしても

2017-07-16 18:02:52 | 日記・エッセイ・コラム
酷い有様である。
今回のもり・かけ騒動である。
しかも、まだ終息していない。
火のないところに煙を立て、火事にしてしまった。
表向きは反日政党の策略であるが、
実態はマスメディアの仕業である。
本来官邸側には問題となるものは全くない。
だから、ほっとけば独り芝居の茶番劇でしかないのだ。
それをマスメディアが火を付けた。
結託してるのだろう。
分からないように仕組んでいるが。
これは明らかに仕掛け人がいるということだ。
しかも今回は反日メディアだけでなく、ほとんど総動員であった。
とりわけテレビが酷かった。
連日ワイドショウで取り上げるのだ。
長時間かつ全てのテレビ局で。
とは言っても、私は全く見ていない。
ワイドショウ嫌いなのだ。
それでも夜のニュースはよく見る。
そこでも同様であった。
時間としては短いのだが、典型的な印象操作を行なう。
本筋の経緯はそっちのけで。
今回ばかりは、その酷さに呆れかえっている。
だが、それが効果あるのだ。
残念ながら。
なめられたものである、国民も。
・・・・・
そも言葉は最後は必ず嘘になる。
これは私の持論である。
言葉が現実と共に在るなら、そうはならないだろう。
だが往々にして現実から離れる。
そして最後は嘘になるのだ。
何故なら言葉は現実の投影でしかない。
現実が無ければ影はできないのである。
そういうものだ。
それを覚悟しよう。
だから常に現実と共に在るべし。
だが弄ぶ者がいる。
おのれ等の都合で。
戦後世界も正にその中にある。
全くもって嘘でできてるのだ。
嘘のひとつ、南京大虐殺。
被害者および加害者のいない大事件である?
被害者の名簿がない。
被害者の写真もない。
加害者として裁かれた者がいない。
戦地でも東京でも。
他の理由で裁かれた者はいたが。
当時南京にいた兵士は日本へ帰っている。
事後に取材や調査があったとは聞かない。
あの朝日新聞をもってしてもだ。
嘘のひとつ、従軍慰安婦。
戦地の駐屯地に慰安所があり、売春婦がいたのは事実だ。
それはそれなりの商売としてだ。
軍による強制連行などないのだ。
これは既に朝日新聞が誤報だと認めている。
それに韓国人慰安婦は一人もいない。
いたのは日本人慰安婦である。
中には半島出身者もいただろう。
それも結局日本人である。
事実上問題がないのに、
それを女性の人権問題にすり替えて糾弾しようとする。
ならそれは世界の問題であり時代の問題なのだが。
嘘のひとつ、広島・長崎への原爆投下。
これこそ歴とした戦争犯罪だ。
にもかかわらずアメリカはそれを認めていない。
これこそ大嘘の二枚舌である。
私は何も謝罪を求めている訳ではない。
そも日本人は謝罪など求めていない。
戦争とはそういうものだと覚悟している。
でも嘘は嘘である。
あからさまな嘘である。
嘘のひとつ、国際連合。
正しくは連合国という。
第二次世界大戦の戦勝国のクラブである。
そこにシナ共産党政府が入っている。
そも戦後にできた新しい国なのに。
戦勝国でないのは勿論だ。
それに後に敗戦国側も加わったのだが、
未だ当初の規約を変えていない。
敗戦国の烙印を押したままなのだ。
そんな国連が平和を主導することなどできない。
現にできていないが。
嘘のひとつ、地球温暖化。
地球は過去に温暖化と寒冷化を繰り返している。
それは地球や太陽系のリズムであり、
大きくは宇宙のリズムによるものだ。
それに比べれば人間の行為など知れたものだ。
今温暖化と言われているが、逆に寒冷化してると言う人もいる。
科学的には分かっていないのだ。
仮に温暖化してるとしても、その原因が二酸化炭素かどうかは怪しい。
少しは関係してるかも知れないが。
等々。
まことに世界は嘘でできている。
・・・・・
今回のもり・かけ騒動はその中にある。
戦後体制の悪あがきである。
安倍政権が目指しているのは、日本を取り戻すである。
それは戦後体制の転換を意味する。
だから体制側はそれを阻止するために必死なのだ。
嘘に嘘を重ねての無理筋でもだ。
にしても非常に強力なのである。
なお国は違うが、戦後体制に挑戦してる人がいる。
アメリカのトランプ大統領であり、
それにロシアのプーチン首相も。
イギリスのメイ首相もそうかも。
勿論他にもいるだろう。
だから彼らは攻撃される。
リベラルメディアに。
トランプ大統領がCNNをフェイクニュースというは訳があるのだ。
彼らは皆それぞれ国益を背負っている。
だから必ずしもお友達という訳ではないだろう。
でも親和して協力する。
目的が同じなのだから。
まあ、そういうことだ。

面従腹背

2017-07-09 13:25:13 | 日記・エッセイ・コラム
面従腹背で思い出したが、
例の前川喜平氏が記者会見で、
堂々と言ったとか。
本来は余り良い言葉ではない。
人々に広言するのはどうかと思う。
自身の心底に留めておけば未だしも。
辞めたから言わせたのか、そも人品が疑われる。
しかもそれが文科省である。
教育に携わる機関なのだ。
そこの事務次官であったのに…。
・・・・・
考えてみれば、面従腹背なんてどこにでもある。
人が集まって組織ができれば、皆が皆よろしきとはならない。
割を食う人もいるだろう。
組織(の権限者)の意向なら断れない。
厭なら「否」と言えばいいのだが。
力や理をもって迫られたら、そうもいかないだろう。
皆生活が懸かってるのだ。
それを前向きにこなす人もいるだろう。
それを渋々認める人もいるだろう。
中には表向きは認めても裏で舌を出してる人もいるだろう。
最悪なのは陰で足を引っ張る人である。
これが完全な面従腹背である。
でもまあ面従腹背的なことは普通にあるだろう。
人が集まればそういうことになる。
世の中は世知辛いのだ。
・・・・・
日本は「まこと」の国である。
嘘を嫌うのだ。
だから「ハイ」と言えば「ハイ」である。
それを「ハイ」と言って、裏で「イナ」とは最悪だ。
他人は騙せても自分は騙せない。
自分を否定し認められなくなる。
そも「イナ」なら最初から「イナ」を通すべし。
「ハイ」なら少なくとも「イナ」は引っ込める。
積極的でなくとも、少なくとも認めるべし。
それが「ハイ」の覚悟である。
日本人の「まこと」をもってすれば面従腹背はありえない。
面従腹背的なことはあるだろうが。
知っての通りシナ・朝鮮では普通にある。
彼らには「まこと」がない。
嘘と本当の区別がないのだ。
自分の都合しかない。
だから面従腹背というのは日常である。
騙される方が悪いという常識がある所以だ。
まあそういうことだ。
・・・・・
さりながら、
勿論、
シナ人・朝鮮人にも少しは「まこと」が残されている。
彼らの厳しい歴史の中であらかた壊されてしまったが。
それはそうだが、
人科の単一種(ホモサピエンス)としての遠い昔の名残なのか、
まったく無くなった訳ではなさそうだ。
なので「まこと」の人もいるのだ、それなりに。
それはつまり、
日本人もいろいろ、
シナ人もいろいろ、
朝鮮人もいろいろ、
ということだ。
それに付けても、政治の世界は恐ろしい。
魑魅魍魎が跋扈する…、
桑原桑原!






相似象

2017-07-03 15:32:09 | 日記・エッセイ・コラム
自由・平等・友愛はまあ良い言葉です。
友愛が自由・平等の囲い込みにならなければ。
友愛が博愛の入り口であるなら。
・・・・・
よく似た事象に華僑がある。
華僑は本国を出て流浪する華人のことだが、
いろんな説明があるがまあそんなとこです。
彼らは地縁や血縁で繋がっており、互いに助け合う。
これは必然である。
知らぬ土地にいけば誰でもそうするだろう。
結果世界各地に中華街ができる。
すべてが所謂華僑とは限らないだろうが。
ともかく彼らは固まる。
特に経済的に。
古の国「商」にちなんで商売する人を商人というが、
シナ人はすぐれて商人なのだ。
「金は天下の回りもの」とは彼らの言とも謂うが、
その場合の天下とはつまり仲間内のことである。
これは友愛と同じである。
自由とか平等という発想はなさそうだが、
とりわけ金においてはまさにそうである。
その点だけは相似象のようだ。
・・・・・
いつも言うことだが、シナには祈り(信仰)が無い。
だからである。
余人を交えず自分に向き合うことがない。
自分と同じように他人を見ようとしない。
他人は無視でどこまでも自分中心である。
それが中華思想なのだが。
だから人を信用しない。
すべて自分の都合で計るだけ。
そういう社会である。
それでも地縁・血縁は何とか信用できる。
だからその中で固まる。
シナ国内でもそうだが、異国ではなお更である。
それが華僑であり、華僑のネットワークとなる。
そうは言っても、時に信用できるとなれば外とも付き合う。
でなければ発展は覚束ないだろう。
まあ例外である。
昨今よく言われているが、
シナのアフリカなどに対する支援は多くを身の内で回し、
地元(支援国)にはほとんど益を落とさない、
などと。
まさに華僑的発想である。
自分の都合だけで、他人は顧みない。
そこはまったく同じだ。
・・・・・
日本人とは水と油だ。
日本人も移民先では日本街を作る。
そこは当然同じだ。
だが「郷に入れば郷に従え」である。
土地になじみ人になじめば同化する。
そして土地の人となる。
日本人の矜持を持ち続けたとしても。
だから多くの日本街はさびれていく。
それも良しである。
そこが中華街と違うところだ。
友愛は博愛に繋がるのだ。
中華街はどこまでも中華街たらんとする。
友愛を博愛にしようとはしない。
勿論例外はあるだろう。
韓国にはそもそも中華街が無いらしい。
シナ人も敬遠してるのか?
日本ではどうだろう。
神戸と横浜の中華街はなかなか有名である。
それに結構町に溶け込んでいる。
・・・・・
リベラルは明らかに誤魔化している。
友愛を博愛であるかのごとく。
多くの欧米人は勿論本気で博愛だと思っている。
たぶん嘘はないだろう。
でも支配者・権力者はそうは思えない。
自分たちの利益だけを求めている。
それが所謂1%と99%と言われる所以である。
ならそれは中華思想と変わらない。
得意の言葉で言いくるめているが。
だから戦前も今も、
欧米とシナは裏で繋がっている、
と私は思っている。
それにしても同床異夢である。
お互いの利害がぶつかれば必ず争うことになる。
現にぶつかっている。
だとしてもシナは負ける戦いはしない。
最後は得意の面従腹背だろう。
それにしても、これから世界はどう動く?
まことに興味深い。