やっと加計問題が終わりそうだ。
火の無いところに煙どころか大火事であった。
放火犯はたぶん反省などしない。
むしろ、ほくそ笑んでいる。
戦後日本は明らかにアメリカの頸木の中にある。
だが最近何とか対等に近づきつつある。
そんな中での火事である。
犯人はどこにいるのか。
こんなあからさまな攻撃がアメリカにできるのか。
アメリカは自身の内に問題を抱えているのに。
なら、これは何なのか。
・・・・・
日本は世界最古の王朝国家である。
なので、その支配者層も入れ替わっていない。
欧米などと違うのは、
支配者層が庶民と断絶していない、
ということだ。
何しろ一君万民であり、天皇以外は皆臣民なのだ。
だから奴隷がいないのである。
にしてもだ、あきらかに支配者層はいるだろう。
でなければ国家を維持できない。
これほどの長きに渡って。
このことは当然なのだが、そこが実の所よく分からない。
天皇は権力者ではないのだ。
権力を行使しようとした天皇もいるが。
後醍醐天皇のように。
それは例外である。
なら権力はどこにあるのか。
それが分からない。
学校の歴史では、これはさっぱり分からない。
歴史学者の言うことは、これまた要領を得ない。
結局藪の中…。
・・・・・
権力闘争は勿論ある。
政治には付き物で、歴史上幾らでも見られる。
普通は勝った者が支配する。
だが奇妙である。
例えば曽我・物部の戦いである。
神道派と仏教派との争いであったと言われる。
で結局曽我氏が勝ち、物部氏は都を追われた。
なのに、その曽我氏も乙巳の変で滅んだ。
勝った方も負けた方も退場である。
同じことが源平の戦いである。
源氏が平家を滅亡へと追い込んだ。
その源氏も鎌倉三代実朝で血が途絶えた。
あとは北条氏の執権である。
これも、勝った方も負けた方も退場である。
別の様相もある。
東西対決である。
ひとつは壬申の乱である。
天智天皇が崩御した後、大海人皇子が天智派を退け天皇に付いた。
それが代を重ねたが、長屋王のとき謀略により天智派に交代した。
ひとつは応仁の乱である。
西軍の山名宗全と東軍の細川勝元の戦いである。
結局決着が付かず、ただ都が荒廃したのみ。
何の為に戦ったのかも未だよく分からない。
不思議な戦いであった。
ひとつは関ケ原の戦いである。
西軍の豊臣側と東軍の徳川側との争いである。
東軍が勝って徳川氏の天下となった。
宗教的には寺請制度などにより仏教を主軸にした。
それが幕末になって政権を朝廷に返上した。
これが明治維新となるのだが、
結果薩長藩閥政治となり、
それはつまり西軍の復活であり、
宗教的には神道主軸となった。
さらに奇妙なことがある。
なぜか南朝の復活ということになっている。
その現れが皇居前に建てられた楠木正成像である。
何があったのか。
・・・・・
ちまちまと述べたが、
言いたいのは、
天皇には権力がなかったこと、
では権力がどこにあるのかと言えば、
それがよく分からないこと、
権力には大きな二つの流れがあるということ、
それは時に西と東に分かれるのだが、
むしろ神道と仏教に分れると言った方がよく、
それにしても神道と仏教は一体でもあること、
等々…。
大きな二つの力の綱引きがあるのだが、
さて今回のもりかけ騒動は、
そんな綱引きと関わりがあるのだろうか。
あるとしか思えないが、
もしそうなら、
実に興味深いことです。
火の無いところに煙どころか大火事であった。
放火犯はたぶん反省などしない。
むしろ、ほくそ笑んでいる。
戦後日本は明らかにアメリカの頸木の中にある。
だが最近何とか対等に近づきつつある。
そんな中での火事である。
犯人はどこにいるのか。
こんなあからさまな攻撃がアメリカにできるのか。
アメリカは自身の内に問題を抱えているのに。
なら、これは何なのか。
・・・・・
日本は世界最古の王朝国家である。
なので、その支配者層も入れ替わっていない。
欧米などと違うのは、
支配者層が庶民と断絶していない、
ということだ。
何しろ一君万民であり、天皇以外は皆臣民なのだ。
だから奴隷がいないのである。
にしてもだ、あきらかに支配者層はいるだろう。
でなければ国家を維持できない。
これほどの長きに渡って。
このことは当然なのだが、そこが実の所よく分からない。
天皇は権力者ではないのだ。
権力を行使しようとした天皇もいるが。
後醍醐天皇のように。
それは例外である。
なら権力はどこにあるのか。
それが分からない。
学校の歴史では、これはさっぱり分からない。
歴史学者の言うことは、これまた要領を得ない。
結局藪の中…。
・・・・・
権力闘争は勿論ある。
政治には付き物で、歴史上幾らでも見られる。
普通は勝った者が支配する。
だが奇妙である。
例えば曽我・物部の戦いである。
神道派と仏教派との争いであったと言われる。
で結局曽我氏が勝ち、物部氏は都を追われた。
なのに、その曽我氏も乙巳の変で滅んだ。
勝った方も負けた方も退場である。
同じことが源平の戦いである。
源氏が平家を滅亡へと追い込んだ。
その源氏も鎌倉三代実朝で血が途絶えた。
あとは北条氏の執権である。
これも、勝った方も負けた方も退場である。
別の様相もある。
東西対決である。
ひとつは壬申の乱である。
天智天皇が崩御した後、大海人皇子が天智派を退け天皇に付いた。
それが代を重ねたが、長屋王のとき謀略により天智派に交代した。
ひとつは応仁の乱である。
西軍の山名宗全と東軍の細川勝元の戦いである。
結局決着が付かず、ただ都が荒廃したのみ。
何の為に戦ったのかも未だよく分からない。
不思議な戦いであった。
ひとつは関ケ原の戦いである。
西軍の豊臣側と東軍の徳川側との争いである。
東軍が勝って徳川氏の天下となった。
宗教的には寺請制度などにより仏教を主軸にした。
それが幕末になって政権を朝廷に返上した。
これが明治維新となるのだが、
結果薩長藩閥政治となり、
それはつまり西軍の復活であり、
宗教的には神道主軸となった。
さらに奇妙なことがある。
なぜか南朝の復活ということになっている。
その現れが皇居前に建てられた楠木正成像である。
何があったのか。
・・・・・
ちまちまと述べたが、
言いたいのは、
天皇には権力がなかったこと、
では権力がどこにあるのかと言えば、
それがよく分からないこと、
権力には大きな二つの流れがあるということ、
それは時に西と東に分かれるのだが、
むしろ神道と仏教に分れると言った方がよく、
それにしても神道と仏教は一体でもあること、
等々…。
大きな二つの力の綱引きがあるのだが、
さて今回のもりかけ騒動は、
そんな綱引きと関わりがあるのだろうか。
あるとしか思えないが、
もしそうなら、
実に興味深いことです。