「自由・平等・友愛」であるが、
それはずっと「自由・平等・博愛」と言われてきた。
何時頃からか、誤訳だと言われるようになった。
確かに誤訳といえば誤訳である。
なら、そこにどんな意図があったのか。
てか、そも意図などなかったのか。
はて、
・・・・・
友愛が胡散臭いのは、
愛を部分に閉じ込めることである。
そも普遍的であるべきものを。
猫の好きな人は猫愛が強い。
犬好きなら犬愛である。
この場合の愛も一見片寄りに見える。
だが友愛とはまったく違う。
好きなものを示しているだけだ。
好きなものを強調してるだけだ。
他を否定している訳ではない。
友愛はどうも胡散臭さい。
もちろん他者を直接的に否定してはいない。
普通は無視である。
だが己の意に反すれば否定となる。
まったき否定となる。
そして苛烈な取扱いをする。
それは歴史の示すところだ。
・・・・・
欧米はキリスト教世界である。
イエスの信奉者の筈である。
イエスは愛を説いたが、それは普遍の愛である。
「汝の隣人を愛せよ」
「汝の敵を愛せよ」
「右の頬を打たれたら、左の頬を出せ…」 …。
なのになぜそうなるのか。
理由は明らかだ。
友愛はイエスの愛ではないということだ。
それを説いたのはイエスの信徒ではないのだ。
イエスの手からこぼれ落ちた者達である。
今共産主義という世界がある。
無神論を標榜している。
イエスの手(神の世界)を否定している。
彼らはリベラリストである。
彼らは言葉の信奉者であり、言葉の支配者であり、
言葉でもって世界を支配しようとしている。
何度でも言うが、
現実が在って言葉があるのであり、
言葉は現実を創らない。
言葉は現実を知らせるだけである。
このこと、胆に命じよう。
・・・・・
日本人はなぜ博愛と訳したのか。
誰が訳したのか。
どういう意図なのか。
善意なのか、悪意なのか。
分からない。
どちらにしても、広く伝えようとして敢えて訳したのだろう。
言葉としては友愛も博愛も愛であり、悪いものではない。
なのになぜそう訳したのか。
その背後に胡散臭い思想があるからか。
そしてそれを隠すためか。
そうなら悪意である。
そうではないとしたら、どういうことだろう。
すべてのものに神が宿ると考えるのが日本人だ。
そういう日本人に友愛は向かない。
そも博愛なのだ。
だから変な意図はなく、ただ思うところを訳しただけか。
とも思う。
そうなら善意である。
無邪気な善意である。
今となっては、
まあどちらでもいい。
・・・・・
同じような誤訳に国際連合がある。
昨今は大いに知られてきたが、
これは「連合国」と訳すのが正しい。
第二次世界大戦の戦勝国の集まりだから。
それを日本人は国際連合と訳した。
どういう意図なのか。
これもよく分からない。
戦後参加国が増えた時点で名称を変えればよかったのに。
もちろん敢えて変える必要もないだろう。
とは言えである。
規約の中に旧敵国条項というのがあるが、
それは削除すべきであった。
旧敵国の参加を承認したのならである。
それに常任理事国というのも腑に落ちない。
戦勝国が中心なのは仕方ないとしても、
戦後にできた新しい国がそこに入るのは面妖だ。
明らかに欺瞞がある。
それは今も続いている。
その欺瞞を隠すための誤訳なら、もう無駄である。
すっかりバレている。
それはずっと「自由・平等・博愛」と言われてきた。
何時頃からか、誤訳だと言われるようになった。
確かに誤訳といえば誤訳である。
なら、そこにどんな意図があったのか。
てか、そも意図などなかったのか。
はて、
・・・・・
友愛が胡散臭いのは、
愛を部分に閉じ込めることである。
そも普遍的であるべきものを。
猫の好きな人は猫愛が強い。
犬好きなら犬愛である。
この場合の愛も一見片寄りに見える。
だが友愛とはまったく違う。
好きなものを示しているだけだ。
好きなものを強調してるだけだ。
他を否定している訳ではない。
友愛はどうも胡散臭さい。
もちろん他者を直接的に否定してはいない。
普通は無視である。
だが己の意に反すれば否定となる。
まったき否定となる。
そして苛烈な取扱いをする。
それは歴史の示すところだ。
・・・・・
欧米はキリスト教世界である。
イエスの信奉者の筈である。
イエスは愛を説いたが、それは普遍の愛である。
「汝の隣人を愛せよ」
「汝の敵を愛せよ」
「右の頬を打たれたら、左の頬を出せ…」 …。
なのになぜそうなるのか。
理由は明らかだ。
友愛はイエスの愛ではないということだ。
それを説いたのはイエスの信徒ではないのだ。
イエスの手からこぼれ落ちた者達である。
今共産主義という世界がある。
無神論を標榜している。
イエスの手(神の世界)を否定している。
彼らはリベラリストである。
彼らは言葉の信奉者であり、言葉の支配者であり、
言葉でもって世界を支配しようとしている。
何度でも言うが、
現実が在って言葉があるのであり、
言葉は現実を創らない。
言葉は現実を知らせるだけである。
このこと、胆に命じよう。
・・・・・
日本人はなぜ博愛と訳したのか。
誰が訳したのか。
どういう意図なのか。
善意なのか、悪意なのか。
分からない。
どちらにしても、広く伝えようとして敢えて訳したのだろう。
言葉としては友愛も博愛も愛であり、悪いものではない。
なのになぜそう訳したのか。
その背後に胡散臭い思想があるからか。
そしてそれを隠すためか。
そうなら悪意である。
そうではないとしたら、どういうことだろう。
すべてのものに神が宿ると考えるのが日本人だ。
そういう日本人に友愛は向かない。
そも博愛なのだ。
だから変な意図はなく、ただ思うところを訳しただけか。
とも思う。
そうなら善意である。
無邪気な善意である。
今となっては、
まあどちらでもいい。
・・・・・
同じような誤訳に国際連合がある。
昨今は大いに知られてきたが、
これは「連合国」と訳すのが正しい。
第二次世界大戦の戦勝国の集まりだから。
それを日本人は国際連合と訳した。
どういう意図なのか。
これもよく分からない。
戦後参加国が増えた時点で名称を変えればよかったのに。
もちろん敢えて変える必要もないだろう。
とは言えである。
規約の中に旧敵国条項というのがあるが、
それは削除すべきであった。
旧敵国の参加を承認したのならである。
それに常任理事国というのも腑に落ちない。
戦勝国が中心なのは仕方ないとしても、
戦後にできた新しい国がそこに入るのは面妖だ。
明らかに欺瞞がある。
それは今も続いている。
その欺瞞を隠すための誤訳なら、もう無駄である。
すっかりバレている。