ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

じゃあ他の国は

2020-07-27 10:20:58 | 日記・エッセイ・コラム
他の国はどうなってんだ。
普通は自虐史観などない。
誇ることがないとしても愛国だろう。
先の強い国の一つ、ロシアは愛国だ。
ロシア革命という負の遺産はあるが、
それをもって自虐史観としていない。
そも強いロシアを是とする。
逆にノスタルジーを感じているかも。
そこは微妙だが…。
てか私には測りかねる。
・・・・・
測りかねるのは当然で、
学者でもジャーナリストでもない一庶民である、
それは仕方ないことだ。
でも思いはある。
それを記しているだけ。
以下も同様です。
そも戦後にできた国は論外だ。
自虐史観などあろう筈がない。
酷い現実から逃れるためには、
愛国を原動力にするよりない。
日本の戦いをきっかけにそれが澎湃した。
アジアやアフリカで。
例外はシナと朝鮮だ。
シナには曲がりなりにも国らしきものがあった。
その国らしきものは台湾に移った。
その後は共産党が支配した。
共産党の通例で、国より党を上位とした。
だから愛国はなかった。
共産党の敵はブルジョア階級だから。
それがあの文化大革命を契機として、
過去(愛国とも謂える)を否定した。
一種の自虐史観である。
それは易姓革命のシナ王朝の宿命でもある。
前政権を否定するのが習わしだ。
それが江沢民政権から変わった。
天安門大虐殺をきっかけにして。
共産党政権(王朝)を護るため。
だけど毛沢東の否定はできない。
だから愛国を打ち出したのです。
それはつまり、前政権を日本とすることだ。
だからの反日愛国である。
実に分かりやすい。
・・・・・
朝鮮は日本国であった。
朝鮮人は日本人だった。
そのことに心的には反感はあったろう。
でも実利的には認めざるを得なかった。
時の現実を知る人々はそうだったろう。
とくに庶民は後者だったろう。
それが日本が負けてしまった。
最早日本の出る幕は無かった。
連合国の差配のまま。
半島は独立することになった。
北のことは横に置いて、南には韓国が創られた。
それは彼らが勝ち取ったのものではない。
謂わば「棚から牡丹餅」である。
そこに肚からの愛国はない。
でも国を始めるには愛国が必要だ。
だから創られた。
だからそれは作られた愛国なのだ。
しかも根っこには中華思想がある。
一時は潜めていたが、それが表に出てきた。
易姓革命の常、前政権を否定するのは。
最初は北朝鮮をそれとした。
その後は歴代の軍事政権を。
それが文民政権に変わった。
もともとそうだったのだが、
それからはハッキリと日本となった。
そして年々激しくなるばかり。
もうお分かりだろう。
国が潰れない限り、彼らの反日は終わらない。
これは半島の宿痾である。
・・・・・
そこでこの二国が利用された。
強い日本を押さえる力として。
戦後の歴史を知る人は分かるだろう。
反日材料の多くが日本から出ていることを。
それに呼応して彼の国が出てくる。
反日の巣は日本にこそある。
シナ人は実に実利である。
利がなければ動かない。
今は雁字搦めの体制であり、
国としては最低だが、
国民はある意味柔軟である。
そこは押さえておこう。
手に負えないのが朝鮮人である。
中華思想の上に恨の思想があり、
時に損得を越えて心が暴走する。
勿論まともな人もいる。
思案が必要なところだ。

自虐史観

2020-07-20 09:56:40 | 日記・エッセイ・コラム
戦争に負けたら、昔なら皆殺しか奴隷である。
それは極端だが、事実上そうなる。
さすがに近代になってからは、そういうことはなくなった。
表向きはである。
勿論先進国ではそんなことはない。
でも戦前まではその影を引きずっていた。
第一次世界大戦後の講和会議で日本が「人種平等」を訴えたが、
多くの賛同を得ながらも結局否決された。
そのことが証である。
してみれば、明治維新の何たるかは明白だ。
維新のことをとやかく言う人がいるが、
その一点を忘れてはならない。
・・・・・
それはともかく、
戦争に負けるとはいかなることか。
それは昭和天皇の終戦の詔にあらわされている。
「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」である。
取り敢えず、一旦は国を否定されるのです。
それが戦後の出発です。
既にご存知のWGIPがその手段であった。
言論統制であり、焚書坑儒のごとくであり、
日本を良しとする人は公職を追放され、
それに逆らわない人々を要職に付ける。
それが今も続く、自虐史観の基である。
更にそれに利用されたのが半島系日本人である。
国内では在日として置かれ、
半島では新たに国を建てて。
それが国内と半島とを結んで反日活動をしている。
その執拗さはご存知の通りだ。
シナはついでである。
毛沢東も周恩来も反日ではなかった。
江沢民以来反日陣営に加わったのだ。
それが戦後の歴史です。
ここまでは、
これまでに言ってきたことです。
・・・・・
今一つ、はっきりしてきたのは、
勝ったアメリカにも自虐史観が埋められていたことだ。
戦後しばらくはテレビや映画で西部劇がよく見られた。
それが随分前から、見られなくなった。
アメリカの負の歴史によって。
つまり歴史が修正されてきたのだ。
しかしこれは捏造ではなく事実である。
黒人が奴隷として使われていたこと。
インデアンが虐殺されていたこと。
だから止むを得ないと思う。
でもである、
すべての移民者(白人)が関わっていたかというと、
そうではないだろう。
良しとしない人もいただろう。
事実を知らない人もいただろう。
現実は単純ではない。
どちらにしても反省はすべきで、
そしてそれを伝えればいいのだ。
負の歴史として。
人には光と影は付きものだし。
それがここに来てのBLM運動である。
度を越している。
見るに堪えない。
しかも、ほとんど絶えてしまったインデアンにとっては、
死人に口無しである。
・・・・・
思うに、
日本とアメリカの自虐史観は連動している。
元ネタが嘘か本当かの違いはあるが。
日本がそれを反論すれば歴史修正主義と非難する、
アメリカにおいては歴史修正主義そのものなのに。
それにインデアンの虐殺を反省するなら、
日本人虐殺も反省(謝罪)すべきだろう。
自分自身を言いくるめてきたのは同じだ。
ところで連動しているとは如何?
それは国(国家)を潰すことにある。
世界政府を創るには個々の国が邪魔なのだ。
弱い国はほっといてもいいが、強い国は邪魔になるのだ。
それが日本とアメリカである。
戦争に負けた日本だが、その強さは群を抜いている。
ゆえにその攻撃は執拗である。
勝ったアメリカが強いのは当たり前。
だから彼らの好戦的な気質を利用し、
数々の戦争に引きずり込み疲弊させてきた。
強すぎたからか相手がいなくなり、
最後はテロとの戦いだと言い出す。
やり口は見事だ。
今彼らに対する逆襲が始まっている。
それがトランプ大統領のアメリカファーストであり、
それが安倍首相の日本を取り戻すである。
二人は馬が合うと言われるが、そんなものではないでしょう。
少々思惑は違っていても、同志と言うべきでしょう。
だからか日米の様相は相似象である。
ともにリベラルから徹底的に攻撃されている。
何ともあからさまに。
・・・・・
もう一つ、強い国がある。
ロシアです。
経済的には大したことはないが、
何しろ軍事力が強大である。
ロシアが欧米リベラルから攻撃されるのは故である。
ところで日米は緊密な関係だが、
日米ともロシアとは微妙である。
少し前はトランプとプーチンは結構馬が合いそうだった。
安倍首相とプーチンも同様であった。
それが今は雲行きが怪しい。
?どうなっているのだろう。
でも未来を左右する鍵です。
だから今後も目が離せない。

異常気象?

2020-07-13 11:31:49 | 日記・エッセイ・コラム
九州で大きな水害があった。
今週も雨模様である。
さらなる被害も…。
特に酷いのは熊本県です。
死者も多数出ているようです。
家や橋も流されている。
鉄道や道路も寸断されている。
もう酷い状況です。
自衛隊が出動して救助に当たっている。
一般人にはできないことだ。
ありがたいことです。
・・・・・
それにしても気になることがある。
10年に一度の~とか、50年に一度の~とか。
ここのところ毎年聞かされている。
もう耳にタコである。
だから私は胆に命じている。
もう本気で覚悟しないと、と。
今回の皆様も覚悟してない訳ではなかったろう。
なおその上の想定外だったのかも。
確かに個人ではどうしようもない。
避難先ですら被害にあっては。
メディアではいつもの決まり文句を連発。
命を第一に、そして早めの避難を。
もっともなことではある。
さすがに聞かれなくなった、異常気象と謂う言葉は。
それはそうだ、もはや常態化している。
先年には中国地方で、さらには関東やその他でも。
全国どこででも起こるのだ。
だから覚悟しよう。
覚悟してできることをしよう。
先ずの頼りは自治体であろう。
特に現場を預かる消防等です。
いざという時は自衛隊である。
それにその後の復旧では地元の土建業者が必要です。
それにしては過去に少々叩き過ぎた。
そこは反省だろう。
・・・・・
ちょっと怒っている。
熊本県知事の発言に。
10年余り前のことだが、
球磨川上流にダムを造ることになっていた。
川辺川ダムである。
途中まで進んでいたという。
それを中止したのだ。
ときの知事選挙で当選した知事が、
ダム開発中止を約束していたから。
中止は止むを得ない。
民意ではある。
それはそれだけのことだ。
だが今回の発言はないだろう。
ダムができていれば被害はもっと少なかったろうに。
そこを問われて、それは民意だと言ったとか。
それはそうだが、それは住民の側からの話だ。
自治体の長が言うべきでは…。
無策の責任逃れのために、俺を選んだあんたが悪い、てか。
まあそんなつもりはないでしょう。
それにしても不用意な発言である。
被災者でもないのに憤慨している。
ところで、
ときの与党はどう思っているのだろう。
「コンクリートから人へ」と言って、
公共事業をやり玉にあげ、ダム開発中止の音頭を取っていた。
関東の水害時には一旦中止したダムが、
その後の知事等の反対で復活していた。
八ッ場ダムである。
おかげで被害が少なくて済んだ。
それにしても、
当時の与党は碌なもんではなかった。
はっきり言うが、
リベラルの綺麗ごとにはもう倦んだりだ、
騙されてはいけない。
と言っても、
今の日本にはデュープスが多過ぎる、
もう歯がゆくてならない。
・・・・・
ついでだが、
お隣のシナも今水害に苦しんでいる。
そも三峡ダムという時限爆弾を抱えている。
崩壊が近いともいわれる。
一番の問題は長江の本流に造ったことだ。
治水の為なら水量の多い支流に造るものだ。
二つでも三つでも、幾らでも。
そこで調節するのだ。
本流に造っても調節はできるが、
いざという時に融通がきかない。
決壊すれば一貫の終りである。
今はただ、
三峡ダムが崩壊してシナ共産党王朝が滅ぶか、
或いはその前に滅ぶかだけだ。
どちらにしても易姓革命の国である。
いづれ滅ぶのは間違いない。

素敵な選TAXI

2020-07-06 11:56:49 | 日記・エッセイ・コラム
以前に標記の題名のドラマがあった。
この武漢肺炎騒動で再放送していた。
既に見ていたが、また見てしまった。
けっこう面白いのである。
それに比べて、白けた選択があった。
都知事選挙である。
私は都民ではないので投票権はないが、
何と言っても日本の首都である、
その点では部外者とも言えない。
しかしまあ茶番である。
ご苦労なことであった。
・・・・・
選択枝がないのである。
正直、口ばかりで何の実績もない現職都知事。
だからか、訳の分からない横文字言葉の連発。
むしろ弊害の方が大きい。
それに続いたのが、
意味不明の宇都宮けんじ、
それに声だけは大きい山本太郎、
なるほどの意見も多少はあるが、
また前回の選挙では意外に健闘していた桜井誠、
少々発言が物議を醸すが、
勿論それ以外にもいるが、
よく分からない。
と言う訳で、
選挙権があったとしても選択枝がない。
前回の選挙では都民の選択にちょっと嫌気がさした。
同じ結果だが、今回は同情する。
選択枝がないのだから。
都民が悪いのではない。
自民党が悪いのだ。
選択肢を出せなかったのだ。
今更言ってもしかたないが、
最近の安倍政権はよく分からない、
自民党はなお分からない。
それでも、
ここでも、
他に選択枝がないのだ。
・・・・・
なお一番不可解なのが宇都宮けんじである。
都庁の前に慰安婦像を建てるとか。
意味不明を通り越している。
それに副知事候補に前川喜平を持ち出す。
ますます以て意味不明。
彼は文科省の前の事務次官である。
事務次官とは同省のトップである。
そのトップが自ら公用車で貧困調査に行ったという。
トップが自ら行くことはないだろう。
それにその報告書も提出していない。
まあ、嘘八百である。
ここに妙な倒錯がある。
忖度と面従腹背である。
官僚は首相に忖度して、報告を歪めてしまうと。
忖度とは「相手の心中を推し量る」ことで、
これは思いやりや気遣いなどの、
日本人の文化であり美徳である。
歪めることは良くないが、おもてなしでもあるのだ
忖度という言葉は、
もともと中立的ではあるのだが、
むしろ良き意味を内包している。
それが今では逆転している。
次に面従腹背である。
これは「表向きは従うが裏では背く」ということで、
あきらかに良くない言葉である。
とりわけ事務方のプロである官僚には。
前川喜平はこれを己の旗印にしている。
完全に倒錯している。
・・・・・
そも官僚とは仕切らない。
決まったことを実行する立場です。
だから忖度こそ柱であり、面従腹背などもっての他。
だからと言って政治家個人に忖度する必要はない。
国民に忖度するのです。
国民の選択に忖度するのです。
宇都宮けんじも最悪だが、前川喜平はそれ以上か。
しかもそれが文部科学省である。
教育を司る機関なのだ。
戦後は日教組による反日教育が酷かったが、
文科省もグルだったのか。
闇は深い。