「ものごと」はその一言で存在のすべてを表わす。
であるが分かりやすくするために、
「もの」と「こと」に分けられる。
見る対象により分けている。
「もの」を対象にするのは科学、
「こと」を対象にするのは文学、
ということになるのだろう。
所詮同じ「ものごと」を見ているのだが。
・・・・・
科学は「もの」を追う。
この世界は物だけでできているとし、
それをどこまでも追及しようとする。
唯物論的発想である。
科学はそれで差し支えない。
むしろその方が考えやすい。
文学は人の「こと」である。
「こと」の発信源を見据えなければならない。
だから人のことを追うとき、
唯物論的発想で追及するのは筋違いである。
もちろん合理的に考えるため、
唯物論的発想を用いるのは有用である。
人もまた物だから。
さりながらである。
唯物論的発想だけで追えば、
まことに怪しいことになる。
人のことは人の思いである。
人の思いの連鎖である。
「こと」の根っこ、
魂を見据えなければならない。
左派・リベラルは明らかにずれている。
唯物論的発想だけに頼るから。
とりあえずの手段としては構わないのだが。
分かってる人もいるとは思うが、
ほとんどの人は分かっていない。
だからレッテル貼りの観念論に陥る。
そして平気で嘘を言う。
「話せば分かる」と世間では言うが、それは無駄である。
最初から結論を決めているから。
・・・・・
私はよく言う、
「言葉は現実を切り裂く道具である」、
と。
だがリベラルの人士は、
「言葉の中に現実を閉じ込める」。
何のことはない。
それでは前に進めない。
リベラルは終焉している。
であるが分かりやすくするために、
「もの」と「こと」に分けられる。
見る対象により分けている。
「もの」を対象にするのは科学、
「こと」を対象にするのは文学、
ということになるのだろう。
所詮同じ「ものごと」を見ているのだが。
・・・・・
科学は「もの」を追う。
この世界は物だけでできているとし、
それをどこまでも追及しようとする。
唯物論的発想である。
科学はそれで差し支えない。
むしろその方が考えやすい。
文学は人の「こと」である。
「こと」の発信源を見据えなければならない。
だから人のことを追うとき、
唯物論的発想で追及するのは筋違いである。
もちろん合理的に考えるため、
唯物論的発想を用いるのは有用である。
人もまた物だから。
さりながらである。
唯物論的発想だけで追えば、
まことに怪しいことになる。
人のことは人の思いである。
人の思いの連鎖である。
「こと」の根っこ、
魂を見据えなければならない。
左派・リベラルは明らかにずれている。
唯物論的発想だけに頼るから。
とりあえずの手段としては構わないのだが。
分かってる人もいるとは思うが、
ほとんどの人は分かっていない。
だからレッテル貼りの観念論に陥る。
そして平気で嘘を言う。
「話せば分かる」と世間では言うが、それは無駄である。
最初から結論を決めているから。
・・・・・
私はよく言う、
「言葉は現実を切り裂く道具である」、
と。
だがリベラルの人士は、
「言葉の中に現実を閉じ込める」。
何のことはない。
それでは前に進めない。
リベラルは終焉している。