ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

空気を読むなとは言うが

2014-11-25 10:24:21 | 日記・エッセイ・コラム
空気を読むな、と言う人がいる。
そのような表題の本がある。
その本を読んではいない。
でも何んとなく想像はできる。
・・・・・
人は空気を読んでいる。
もとより動物にとっては必要なものである。
就中、人間には必要不可欠である。
それは生きること、そのものなのである。
周りの環境を察知しようとする。
周りに人の顔色をうかがう。
その上で自分の行動を決める。
当たり前のことである。
生まれたばかりの赤ちゃんは、
あまりに無防備でそれどころではないだろう。
だが成長と伴に探ろうとする。
必死に探ろうとする。
全身全霊でである。
それこそ全き命懸けである。
これはすべての人が通る道である。
だから空気を読むことは、
当然のこと皆身に着けている。
なのに空気を読むな、とは。
・・・・・
それは空気を読むなという字義通りのことではない。
そんなことは百も承知であろう。
誰もが空気は当然に読む。
読んだ上でどうするかである。
流されたければ流されればいい。
流されたくなければ否と言えばいい。
それだけである。
でもである。
流されるのはたやすいが、
否を言うのは難しい。
だからこそ時には覚悟して言うべし、
ということである。
でなければ新しい展望は望めない。
一般論としては分かる。
が現実はままならない。
・・・・・
私はとにかく流されやすい。
争い事が嫌いである。
無難な方を選んでしまう。
そんなこんなで、
淀みに浮かぶ泡沫のごとく、
である。
まあ、しょうがない。
自業自得である。




ついでに

2014-11-18 09:10:46 | 日記・エッセイ・コラム
ついでにではあるが、
そもそも小選挙区・二大政党制というのは、
インチキかつ詐欺である。
・・・・・
これはという人を選びたいのに選べない。
確かに立候補の自由はある。
しかし結局のところ二者択一になる。
そして政党の戦いになる。
個人で立候補しても無理である。
有力な党に属さなければ戦えない。
それは選挙の前に党の振るいに掛けられるということであり、
言葉は悪いが残りかすの中から選ぶことになる。
それで国民が選んだことになるのである。
こんな状態では、
被選挙権があるなどとは言えないし、
自由な投票だと言われても意味がない、
のである。
しかもである。
二者択一というのは、
常に半数近くの票は死票になるのである。
さらになおである。
半数近くが死票になるのに、
一票の格差を問題にして裁判を起こす者もいる。
世も末である。
・・・・・
ごらんの通り、
これはアメリカ大統領選挙に同じである。
これを持ち込んだ者は日本を壊そうとしたのである。
それでもなお日本は壊れない。
であるのだがやはり、
日本人のように賢く複眼思考の民には、
中選挙区制が良い。







大茶番劇

2014-11-17 09:04:26 | 日記・エッセイ・コラム
大茶番劇だと思っている。
アメリカ大統領選挙のことである。
あれを良いと思っている人がいる。
それも少数ではない。
・・・・・
大統領が代っても何も変わらない。
オバマを見れば分かる。
形式的には確かに大統領はトップである。
もちろん大統領個人の意思は少しは反映されるだろう。
でも当たり前だが、人間一人では何もできない。
支える者がいなければ何もできない。
それ以上に大統領にした者に逆らうことなどできない。
では誰が大統領を決めているのだろう。
アメリカ国民であろうか。
茶番劇のミソはここにある。
ほんとうにアメリカ国民が選んでるのか。
多くの選択肢の中から自由に選んでるなら、
そうと言えるのかもしれない。
しかし二つの内の一つである。
どちらを選んでも根が同じなら意味がない。
アメリカをほんとうに動かしている者は、
当然どちらにも繋がっている。
それが支配というものである。
それが政治というものである。
・・・・・
それを膨大な時間とお金をかけてやる。
意味があるのか。
あるのである。
特定の者が勝手に決めていない、
ということを見せるためである。
国民自身が選んでる、という演出なのだ。
結果どういうことになろうと、
それは国民自身で受け止めなければならない。
自業自得というわけである。
それで状況が良くなればいいのだが、
そんなことはほとんどない。
特に最近は。
そういうことを繰り返している。
まことに茶番劇である。
大茶番劇である。
・・・・・
よく言われるジョークだが、
大統領になるより大統領候補になる方が難しい、
と…。
ここにもシッポが見えている。
ふむ、ふむ、、、





万世一系とは

2014-11-10 16:11:14 | 日記・エッセイ・コラム
天皇は万世一系である。
この万世一系ということこそ、
天皇が天皇たる所以である。
・・・・・
万世一系とはいえ、
それは男系か女系かといえば、
もちろん男系である。
女系はダメだという訳ではない。
女系であれば、
最初から女系でなければならない。
なぜなら、
父から息子には同じ血が受け継がれる、
母から娘にも同じ血が受け継がれる、
ということがある。
天皇はその初めより男子である。
よって男系男子による万世一系なのである。
世間では双系でもいいではないか、
と言う人もいる。
一見最もなように聞こえる。
が、双系では血が拡散する。
代を重ねるごとに他人になる。
だから、双系は万世一系とは言えない。
あなたも私も隣のおっちゃん・おばちゃんも、
同じ万世一系と言えるのか。
・・・・・
双系でもいいというなら、
天皇は血で決められなくなる。
ならばである。
選挙で選ぶのか、徳で選ぶのか、、、。
選挙で選ぶなら、
アメリカ大統領選挙のような茶番劇を、
そんな茶番劇を延々繰り返すことになる。
徳で選ぶなら、
シナの易姓革命のような動乱を、
そんな動乱を延々繰り返すことになる。
万世一系という方途こそ安定の道である。
人の思惑に係わらず決まる、
決まるべくして決まる、
自ずから成る安定の道である。
それでこそ、
人を大切にする王国、
千年王国となる。



後から来た人たち

2014-11-06 08:49:09 | 日記・エッセイ・コラム
日本を造った人たちは、
日本列島を目指してやってきた。
船団を組んで海路で。
遅れてなお多くの人々がやってきた。
大陸を横断して。
中には同じような時期に来ていた人もいただろう。
・・・・・
後から来た人たちで、
なお先に来た人々がいる。
出雲族である。
彼らは主に朝鮮半島南東部を経由しただろう。
朝鮮半島南東部(新羅)から来れば、
黒潮分流に乗って出雲に着く。
あるいは伯耆、因幡、若狭あたりに。
その後来た人たちがいる。
おそらく西暦紀元後であろう。
彼らは主に朝鮮半島南西部を経由している。
朝鮮半島南西部(百済)から来れば、
対馬、壱岐を経由して九州北岸に着く。
天孫族である。
・・・・・
日本には八百万の神がいる。
出雲族の神は大国主であるが、
それはスサノオの系譜である。
天孫族の神はアマテラスである。
古事記、日本書記によれば、
スサノオとアマテラスは兄弟姉妹である。
つまりは同族であるということだ。
先に来た出雲族はすでに国を造っていた。
同じような時期かそれより先に来ていた人たちとは、
特に争うこともなく。
あるいは協力して。
それはイザナキの神の系譜である。
そこでである。
事情は分からないが国譲りがなされる。
出雲族から天孫族へである。
これも古事記、日本書紀に記されている。
国譲りというが、
幾多の争乱もあっただろう。
最終的に譲るということになったのである。
・・・・・
なお国譲りは二回ある。
出雲の国譲りおよび大和の国譲りである。
その間の事情は古事記、日本書紀に記されている。
近年まで作り話ではないかと思われていた。
しかし、どうも事実らしい。
さすが正史である、
古事記、日本書紀は。