ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

日本とは

2013-09-30 15:58:08 | 日記・エッセイ・コラム

「日本とは」は私の生涯の命題です。

日本で生まれて、日本で育ち、日本で生きている。

だから、日本のことが分からないとは言えない。

分かっていると言えば分かっている。

現に日本人であるのだから。

が、どこまで分かっているのか。

・・・・・

日本を分かるには歴史を知らねばならない。

日本という国ができた頃のこと、あるいはその前も。

もちろん、その後も。

人にはそれぞれ歴史がある。

自分史というものである。

では、全員の自分史を集めたら日本の歴史になるのか。

無理だろう。

私個人がいくら波乱万丈だとしても、

日本に何も影響を与えなかったら、

それは日本の歴史ではない。

日本という国にそれなりの影響を与える人の歴史、

それこそ日本の歴史である。

日本においては、それはすべからく天皇である。

天皇の歴史こそ、日本の歴史である。

日本を知るとは、天皇を知ることである。

では、天皇とは誰か。

これこそ命題である。

私の最大の命題である。

・・・・・

ここで、ちょっと話は逸れる。

化学の実験を考えてみる。

それは時間の経過の中で、

物と物がぶつかり合ってどう変化するか見るものです。

その点では物理学も同じである。

時間の経過の中で、物の変化を観察する。

位置関係や質的変化など。

歴史も一緒である。

時間の経過の中で、

人がどう思いどう行動してきたか、

それを知ることです。

歴史を知るとは人間を知ることである。

ゆえに人間社会で生きていくには、

歴史を知らねばならない。

ゆえにこそ、

日本人が日本の歴史を知らないで、

何んとする。

でも分からない。


偽りの大国

2013-09-18 09:20:15 | 日記・エッセイ・コラム

偽りの大国とは、まさに中国である。

が、今回は中国の話ではない。

アメリカの話である。

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もう随分前であるが、大統領ケネディーが暗殺された。

いまもって犯人が挙げられていない。

無様な話である。

当初、オズワルドが犯人だと言われた。

でも、オズワルドは犯人ではない。

仮に彼の銃弾が致命傷だったとしても、

彼は実行しただけである。

本当の犯人はそれを命じた者である。

その後何度も新事実が発表された。

マフィアの私怨によることも考えられる、とか。

皆、嘘である。目くらましである。

いやしくも大国アメリカの最高権力者である。

私怨により殺されて犯人を逮捕できないということは、

それは国として機能していないということになる。

そんなことはない。

ならば犯人は誰か。

結論はひとつ。

犯人が捕まらないのは、

捕まえようとする者が犯人だからである。

答えは明白である。

しかして、暗殺された理由は何か。

一番考えられるのはお金の問題である。

私営の銀行団が発行しているアメリカ紙幣を、

国に取り戻そうしたことである。

・・・・・

この件以外にも疑わしいことがある。

もう50年以上前であるが、月に行ったことである。

ほんとうに行ったのか。

行ってないと言う者が何人もいる。

トンデモ本として扱われ、社会からは相手にされていないが。

その内容はさておき、私が疑問に思うのは、

あれから50年以上経ち技術が格段に進んでいるのに、

以来一度も行ってないことである。

それはつまり、行けないからではないのか。

真に不可解である。

が、

他にもアメリカには腑に落ちないことがある。

9.11とか。


歪な国

2013-09-17 17:17:16 | 日記・エッセイ・コラム

隣国に歪な国がある。

半島の国である。

個人としては皆それなりであるが、

国としては歪である。

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理由は色々あるが、

最大の理由は国を守る戦いをしたことがない、

ということだ。

東アジアの覇権は常に中華帝国にある。

中華帝国の圧迫に対して、国を挙げて戦ったことがない。

それは国を一つにできないということ、

常に内部抗争の宿痾を持っていたからである。

ゆえに戦う前に中華帝国に屈服し、

自ら進んで中華となる。

これにより国内を抑え、国を維持してきたのである。

これが言われるところの、

事大主義であり小中華意識である。

対照的なのは、

インドシナ半島にあるベトナムである。

彼の国は国を守るために戦った。

命を懸けて戦った。

ゆえに立派な独立国である。

・・・・・

ひるがえってこの歪な国には、

よって立つ根っこ、アイデンティティーがない。

歴史歪曲を厭わない尊大な言辞と人を貶めることによってのみ、

自らをを立てようとする。

そうではなく、

謙虚に自身を顧み、素の自分を見つめ、

その中で自身の根っこを求めなければ、

本当の自立はない。


泥仕合の大地

2013-09-11 10:19:51 | 日記・エッセイ・コラム

中国とは国ではない、

地域であると言った人がいた。

そうだと思う。

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古来、農耕が主産業であった時代、

穀倉地帯を握る者が財力を握り、覇権を握った。

黄河、揚子江を擁する大平原は東アジアにおいて、

最も豊かな大地である。

そこを握った者は東アジアの覇者となった。

ゆえに、そこは奪い合いの大地となった。

幾多の民族の興亡の大地である。

一貫した国があった訳ではない。

興っては消え、消えては興るの連続である。

それを人は易姓革命と謂う。

徳ある者が統治する、とは方便である。

力のある者が蹂躙する世界である。

今もそのことは変わらない。

現在は中国共産党という名の王朝が支配している。

この泥仕合から脱することはできるのか。

その兆候は見られない。

ますます酷くなっているようだ。

今のままでは未来永劫無理だろう。

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日本は彼の地域との関わりには、

注意しなければならない。

思えば遣唐使の派遣を止めるよう建言した人、

菅原道真の慧眼には恐れ入るばかりである。

心しよう。


道の思想

2013-09-04 14:51:29 | 日記・エッセイ・コラム

華道、茶道、剣道、柔道、武士道、

他いろいろ道の付く言葉がある。

「人間の為すものごと」に道を付けたものである。

一般に流布しているもののほか、

すべての「ものごと」に道を付けることができる。

野球道、商人道、掃除道など。

人道もそうである。

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道とは邪念を排し、

その「ものごと」を真摯に追及し、

ただひたすらあるべき姿を追い求める、

その過程である。

あるべき姿とは人により異なることもある。

大きくは違わなくとも。

ゆえにこそ道なのである。

線ではなく道なのである。

道に終わりはない。

完成形はない。

どこまでも追及する。

死ぬまで、あるいは引退するまで。

それが道である。

道の思想である。

・・・・・

ところで、である。

道の最たるものは神道である。

神道こそ道の思想の根幹である。

神ながらの道、自然の道。

小賢しい計らいは捨て、

あるがまま自然に寄り添い、

生命を全うする。

造物主である神、

神はすべての「ものごと」に関わっている。

すべての「ものごと」に神を見、

神の手の中で生きようとする。

これが日本人であり、

日本人の思想である。