酷い事件が起こってしまった。
今日5月28日の事件である。
18人が殺傷されて、内2名は亡くなったという。
何とも痛ましいことだ。
それにである。
大人ではなく、子供を狙ったようだ。
まことにもって最悪である。
それが川崎市だと謂うのは皮肉か…。
現代の宿痾がはっきりと現れている。
・・・・・
私はいつも言っている。
大人の子殺し、男の女殺しは命を冒涜する最悪の犯罪だと。
幼い命やその命を育むのは何より大切なのだ。
それを護るのが社会の存在理由であろう。
すべての大人の役目だと。
とりわけ長く生きた者にとっては。
まさに私がそうだが。
だからこの事件を知ってから、
ずっと吐き気をもよおし、七転八倒しているのです。
何ともやり切れない。
それにもう一つ言ってることがある。
自然に立ち返ろうと。
自然はいつも先生なのだ。
人間以外の生物は腹いせに殺すことはない。
恨みつらみで殺すことはない。
己の道づれに殺すことはない。
ましてや面白がって殺さない。
人間だけが異様なのだ。
それを知らねば。
勿論ほとんどの人はそうではない。
もとより自殺は良くないが、普通は一人で逝くのである。
であるのに、なぜこんなことに。
聖書に言う原罪ゆえか。
・・・・・
生物は己のすべての細胞で眼前に向き合う。
その眼前は宇宙の一端とはいえ、大宇宙そのものなのだ。
そこに全細胞が向き合い感応し、揺らぎが起こる。
その揺らぎが行動の原点となる。
しかしてその原点を魂と言うのだろう。
人間ももとより他の生物と同様である。
そこに違いはない。
なのになぜあのような事件を起こすのか。
私は確信している。
それは細胞の揺らぎがどこかで抑制されるからだ。
何かに引っ張られて抑制されるのだ。
何かとは言葉であり、その概念にだ。
己の全細胞で感応する前に、大脳で処理してしまうのだ。
そしてそれが現実だと。
自分の良くない状況を社会(他人)のせいにする、
そういうことが少しはあっても、
自分のことはまったく棚に上げ。
そうなると大脳に留まったまま降ろせない。
60兆個もの細胞の多くが置き去りになる。
そして仮想現実だけを見てしまう。
その挙句煮詰まってしまうのです。
現実は言葉(合理)を越えて神秘に満ちているのに。
それを見過ごせば、大きな闇を抱える。
・・・・・
小さい頃にそのような揺らぎを体験できなかったか。
全細胞の揺らぎとは、魂の発動でもあり、それは普通感動とか言う。
そういう感動を体験することが大事です。
知育と同時に、いやそれ以上に大事です。
今でも日本の教育は悪くはない。
でも知育先行で情が疎かになっている。
自由・平等・人権それに平和というお題目は、
勿論それ自体悪くはないのだが、
それだけでは情は育てられない。
情は大脳だけでは無理なのです。
全細胞の揺らぎが必要なのです。
日本語は言葉そのものに情が満ちている。
日本人は言葉をそのように使うのが好きなのだ。
まことに言霊の幸はう国である。
なのに、その国語が歪められている。
戦後教育がそうしている。
そしてやたら先鋭化した欧米の論理(言葉)を重用する。
これ皆、所謂リベラル人士の技である。
実に困り果てた状況だが、大半はそのことに無頓着。
もうそろそろ気付いてくれよと。
川崎市はそのリベラルに完全に犯されている。
今回の事件が川崎市で起こったのは因縁かも。
ふとそう思ったのですが、
川崎市の皆様御免なさい。
今日5月28日の事件である。
18人が殺傷されて、内2名は亡くなったという。
何とも痛ましいことだ。
それにである。
大人ではなく、子供を狙ったようだ。
まことにもって最悪である。
それが川崎市だと謂うのは皮肉か…。
現代の宿痾がはっきりと現れている。
・・・・・
私はいつも言っている。
大人の子殺し、男の女殺しは命を冒涜する最悪の犯罪だと。
幼い命やその命を育むのは何より大切なのだ。
それを護るのが社会の存在理由であろう。
すべての大人の役目だと。
とりわけ長く生きた者にとっては。
まさに私がそうだが。
だからこの事件を知ってから、
ずっと吐き気をもよおし、七転八倒しているのです。
何ともやり切れない。
それにもう一つ言ってることがある。
自然に立ち返ろうと。
自然はいつも先生なのだ。
人間以外の生物は腹いせに殺すことはない。
恨みつらみで殺すことはない。
己の道づれに殺すことはない。
ましてや面白がって殺さない。
人間だけが異様なのだ。
それを知らねば。
勿論ほとんどの人はそうではない。
もとより自殺は良くないが、普通は一人で逝くのである。
であるのに、なぜこんなことに。
聖書に言う原罪ゆえか。
・・・・・
生物は己のすべての細胞で眼前に向き合う。
その眼前は宇宙の一端とはいえ、大宇宙そのものなのだ。
そこに全細胞が向き合い感応し、揺らぎが起こる。
その揺らぎが行動の原点となる。
しかしてその原点を魂と言うのだろう。
人間ももとより他の生物と同様である。
そこに違いはない。
なのになぜあのような事件を起こすのか。
私は確信している。
それは細胞の揺らぎがどこかで抑制されるからだ。
何かに引っ張られて抑制されるのだ。
何かとは言葉であり、その概念にだ。
己の全細胞で感応する前に、大脳で処理してしまうのだ。
そしてそれが現実だと。
自分の良くない状況を社会(他人)のせいにする、
そういうことが少しはあっても、
自分のことはまったく棚に上げ。
そうなると大脳に留まったまま降ろせない。
60兆個もの細胞の多くが置き去りになる。
そして仮想現実だけを見てしまう。
その挙句煮詰まってしまうのです。
現実は言葉(合理)を越えて神秘に満ちているのに。
それを見過ごせば、大きな闇を抱える。
・・・・・
小さい頃にそのような揺らぎを体験できなかったか。
全細胞の揺らぎとは、魂の発動でもあり、それは普通感動とか言う。
そういう感動を体験することが大事です。
知育と同時に、いやそれ以上に大事です。
今でも日本の教育は悪くはない。
でも知育先行で情が疎かになっている。
自由・平等・人権それに平和というお題目は、
勿論それ自体悪くはないのだが、
それだけでは情は育てられない。
情は大脳だけでは無理なのです。
全細胞の揺らぎが必要なのです。
日本語は言葉そのものに情が満ちている。
日本人は言葉をそのように使うのが好きなのだ。
まことに言霊の幸はう国である。
なのに、その国語が歪められている。
戦後教育がそうしている。
そしてやたら先鋭化した欧米の論理(言葉)を重用する。
これ皆、所謂リベラル人士の技である。
実に困り果てた状況だが、大半はそのことに無頓着。
もうそろそろ気付いてくれよと。
川崎市はそのリベラルに完全に犯されている。
今回の事件が川崎市で起こったのは因縁かも。
ふとそう思ったのですが、
川崎市の皆様御免なさい。