ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

謹賀新年

2023-01-02 08:23:41 | 日記・エッセイ・コラム
謹賀新年
 あらたまりの時を持てる
 日本は素晴らしい
 この時を世界にも
 初春の令月にして気淑く
 風和らぐ
 良き年になりますよう
 お祈り致します
令和5年正月

これは今年の年賀状です。
・・・・・
ここのところ、
いつも同じことを言っている、
正月には。
このお祭りは日本の真骨頂である。
祈りを大々的に行うのが祭りです。
その最大のものが正月祭りである。
庶民は知らないが、
庶民の知らないところで、
天皇陛下はお祈りをされている、
新年を迎えるにあたって。
国民の一人ひとりが幸せになるよう。
その先には世界の人々も。
そも祈りは心身をあらためるもの。
それは皆それぞれに行なうものだが、
それを同時に大きくやるのが祭りです。
祈りは素晴らしい。
身体は日々あらたまりを行っている。
それを新陳代謝という。
それは身体健康には必須。
ときに心魂はどうだろうか。
新陳代謝はなされているのか。
よく分からないが、
新陳代謝は必要なはず。
きっとなされてるいるかと。
そう想うのです。
てかそれが祈りでありましょう。
それは身体の新陳代謝と同じように、
それも日々行われていると。
適わぬ時の神頼みもそのひとつ。
誕生日や結婚式を祝うのもそれ。
所謂儀式にはすべて祈りが付いている。
無意識にやっているのです。
それを意識的に行うのが、
敢えての祈りであり、
それを皆でやるのが祭りです。
これが実に効果があるのです。
「あらたまり」感が半端ない。
とくにこの正月祭りは。
そう思うのです。
・・・・・
だから祝いましょう。
皆で祝いましょう。
なお受売りだが、
これは竹田恒泰先生の受売りだが、
正月の間は、
祝福の言葉(良き言葉だけ)で過ごしましょう、
少なくとも正月三が日は、
できたら小正月まで。
以前の私はこのことに無頓着でした。
今は気を付けている。
でも言葉は良くも悪くも必要なもの。
でなけりゃ話は成り立たない。
言葉は本来中立である。
でも「気」が立つもの。
そこは気を付けたいと。
まぁ正月に限らないが。
ということで、
あらためて、
新年あけましておめでとうございます、
はい!

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