昨今はイットイットと喧しい限り。
まさにITの時代である。
だからって命の足しにはならない。
あくまで補完的にあるものです。
もの凄く有用なものではあるが。
それに一旦手にしたらもう手放せない。
なくてはならぬ物になる。
それだけに要注意なのだ。
さりながら、
今の状況は余りに無防備、
そこが心配。
・・・・・
以前に言ったのだが、
コンピュータとは何かと問えば、
それは「言葉」だと。
電気信号を入力してそれを捏ね繰り回し、
そしてそれを又電気信号として取り出す。
それだけのことだがその本質は言葉です。
それにこれも言ったことだが、
言葉とはつまり線を引くこと、
世界(物事)に線を引いてそれを分ける。
分けるから「わかる」と言う。
というか分かったような気になる。
それが仕掛けである。
ちなみに私は「わかる」を「分かる」といつも記している。
それはこのことを意識しているからです。
でも分かると言っても真理は分からない。
真理を捉えるには全体を一とせねばならない。
言葉ではそれが出来ないのだ。
分けるだけ分けたあと、
それを戻そうとしても、
決して元には戻らない。
それを知らねば。
それにしても言葉が凄いのは、
事実の一端が捉えられること。
だから部分的には再現できるのです。
それが科学の凄いところ。
大いに意味がある。
それにしてもコンピュータは原理的には、
二進法からできていると言われる。
普通はゼロとイチで出来ていると、
これはイチとニと言っても同様だ。
つまり1と2の世界である。
これ言葉の本源に同じ。
コンピュータとは言葉である、
との私の思いはここに繋がる。
実に素晴らしいこじつけ。
我ながら感心する。
・・・・・
イットイットはデジタルである。
デジタルもまた見事なまでに分断の技なり。
時計を考える。
アナログでは円盤上で時を指す針は、
止まることなくすべての時刻を表示。
デジタルでは一時間間隔の表示なら、
それは24の時刻を表示するだけで、
各間合の59分59秒…は置き去り。
分断して切り捨ててしまう。
それでも間隔を小さくすれば連続するが如し。
でも切り捨てていることに変わりなし。
昨今はコロナ問題で、
リモートワークとかリモート会議とかが奨励されている。
実に困ったもんだ。
確かに情報の多くは言葉である。
だから相性はいい。
それに何より場所を選ばない。
離れていても時を共有できる。
この便利さは圧倒的ではある。
でも人は育たない。
そして人は壊れる。
情報とは言葉だけではない。
60兆個にも及ぶ細胞の蠢きの中で、
人はその五感や第六感を総動員して、
場の空気や流れを察知し創りながら、
情報を交換している。
そのほとんどが切り捨てられる。
命を見失うのは必定。
まことに危うい。
まことに。
・・・・・
私はアナログ党である。
それに現場第一である。
それを口に出せば古いとか時代遅れとか、
はたまた競争に負けるとか、
いやはやぼろ糞に言われる。
私はデジタルを否定しない。
時に有用性は圧倒的である。
大いに活用すればいい。
でも原点はアナログにある。
そも二者択一の発想が問題。
対であるのではなく、共にあるものなのだ。
さすれば第三の道も第四の道もあると。
道は無数にあるのだ。
それを知ろう。
時代は必ず還る。
まさにITの時代である。
だからって命の足しにはならない。
あくまで補完的にあるものです。
もの凄く有用なものではあるが。
それに一旦手にしたらもう手放せない。
なくてはならぬ物になる。
それだけに要注意なのだ。
さりながら、
今の状況は余りに無防備、
そこが心配。
・・・・・
以前に言ったのだが、
コンピュータとは何かと問えば、
それは「言葉」だと。
電気信号を入力してそれを捏ね繰り回し、
そしてそれを又電気信号として取り出す。
それだけのことだがその本質は言葉です。
それにこれも言ったことだが、
言葉とはつまり線を引くこと、
世界(物事)に線を引いてそれを分ける。
分けるから「わかる」と言う。
というか分かったような気になる。
それが仕掛けである。
ちなみに私は「わかる」を「分かる」といつも記している。
それはこのことを意識しているからです。
でも分かると言っても真理は分からない。
真理を捉えるには全体を一とせねばならない。
言葉ではそれが出来ないのだ。
分けるだけ分けたあと、
それを戻そうとしても、
決して元には戻らない。
それを知らねば。
それにしても言葉が凄いのは、
事実の一端が捉えられること。
だから部分的には再現できるのです。
それが科学の凄いところ。
大いに意味がある。
それにしてもコンピュータは原理的には、
二進法からできていると言われる。
普通はゼロとイチで出来ていると、
これはイチとニと言っても同様だ。
つまり1と2の世界である。
これ言葉の本源に同じ。
コンピュータとは言葉である、
との私の思いはここに繋がる。
実に素晴らしいこじつけ。
我ながら感心する。
・・・・・
イットイットはデジタルである。
デジタルもまた見事なまでに分断の技なり。
時計を考える。
アナログでは円盤上で時を指す針は、
止まることなくすべての時刻を表示。
デジタルでは一時間間隔の表示なら、
それは24の時刻を表示するだけで、
各間合の59分59秒…は置き去り。
分断して切り捨ててしまう。
それでも間隔を小さくすれば連続するが如し。
でも切り捨てていることに変わりなし。
昨今はコロナ問題で、
リモートワークとかリモート会議とかが奨励されている。
実に困ったもんだ。
確かに情報の多くは言葉である。
だから相性はいい。
それに何より場所を選ばない。
離れていても時を共有できる。
この便利さは圧倒的ではある。
でも人は育たない。
そして人は壊れる。
情報とは言葉だけではない。
60兆個にも及ぶ細胞の蠢きの中で、
人はその五感や第六感を総動員して、
場の空気や流れを察知し創りながら、
情報を交換している。
そのほとんどが切り捨てられる。
命を見失うのは必定。
まことに危うい。
まことに。
・・・・・
私はアナログ党である。
それに現場第一である。
それを口に出せば古いとか時代遅れとか、
はたまた競争に負けるとか、
いやはやぼろ糞に言われる。
私はデジタルを否定しない。
時に有用性は圧倒的である。
大いに活用すればいい。
でも原点はアナログにある。
そも二者択一の発想が問題。
対であるのではなく、共にあるものなのだ。
さすれば第三の道も第四の道もあると。
道は無数にあるのだ。
それを知ろう。
時代は必ず還る。