ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

原罪

2017-11-28 10:23:20 | 日記・エッセイ・コラム
厄介なものがある。
実に厄介なもので、それは言葉である。
ところがその厄介を自覚できないのか、
取扱いが実に危ういのです。
自分をバカだと思ってる人はまだいい。
賢いと思ってる人が危ういのです。
バカな人には謙虚の柱が立つ。
その時、言葉は祈りとなる。
賢い人はそれ故にか弄ぶ。
その時、言葉は嘘になる。
・・・・・
昨今セクハラやパワハラという言葉をよく聞く。
そんな言葉を創っても、事実は何も変わらない。
言葉は何も解決しないのだ。
本当に理不尽な嫌がらせなら、
それが性的なことでも、
立場上のことでも、
またその他のことでも、
解決せねばならない。
それだけのことだ。
世間にはいろんなハラスメントがある。
それに一々名前を付ける必要もないだろう。
名前があるからか、理不尽でもないのに問われることがある。
無用の摩擦を増やすだけだ。
とはいえ、人間は言葉の生物だ。
これはどうしようもない。
言葉を捨てることはできないのだ。
ただ知っておくべきである。
言葉は何も解決しないと。
事実は人の行動によってのみ解決されると。
・・・・・
ここに綾がある。
人間が発した心の音が声であり、
それが言葉となる。
だから言葉には心が乗っている。
心は心に響く。
だから言葉には力がある。
それはつまり、
言葉が人の行動に影響を与えるなら、
事実は言葉によって解決される、
とも言える。
言葉が声の時代は真にそうだったろう。
だが言葉が声から離れたらどうなる。
言葉に力がなくなるのか。
それも考えられる。
それでも力が残っていればどうなる。
その時、嘘が始まる。
しかして人類に嘘が広まって久しい。
現今は正に嘘の時代である。
私にはそう見える。
・・・・・
日本は天皇の国である。
天皇は歌を詠む。
歌は理屈ではない。
そこに嘘の入る余地はない。
天皇は時にお言葉を発せられる。
それは声である。
魂の音である。
文字に起こせば声から離れるが、
すべては声に始まる。
天皇は祈り主・祭り主である。
すなわち歌もお言葉も祈りなのだ。
理屈(説明・説得・言い訳)でないのは知っての通り、
すべては祈りなのである。
その天皇が中心におられるのだ。
頂点ではなく中心にである。
それが日本である。
















川崎市のこと

2017-11-23 06:50:31 | 日記・エッセイ・コラム
川崎市がヘイトスピーチの事前規制のガイドラインを作るという。
事前規制のガイドラインと謂うは、その前に規制の条例があるのだろう。
条例そのものもどうかと思うが、更にその上を行くのか。
とうとうここまで来たか。
・・・・・
暴力とは力の濫用である。
武の力はよく誤解される。
一律に暴力というレッテルを貼られる。
要は使い方次第なのに。
ガキ大将が一喝してイジメを止めさせれば、それは正義の力だ。
警察の存在もそうだ。
リベラル人士はそれを暴力装置だと言うが。
要は使い方なのに。
知の力(言葉)も誤解される。
それは往々にして正義を装う。
使い方によれば暴力となるのに。
それを時にヘイトと言う。
勿論酷い言葉が良いとは思わない。
でも言葉には良い意のものも悪い意のものもある。
それは現実を反映しているのだ。
現実を表現するのに必要なのだ。
良い言葉だけにすれば、言葉が減るだけでなく、何も表現できなくなる。
それはもはや現実ではない。
言葉に力がなくなる。
言葉は知でなくなる。
・・・・・
言葉は人を差別しない。
人を差別するのは人であり、人の心だ。
差別心が無ければこの世に差別語など存在しない。
逆に差別する心を持ってすれば、すべてが差別語となる。
なのになぜ差別語狩りをするのか。
差別語狩りする心こそ差別する心であり、差別そのものなのに。
昨今はそんな差別語狩りが横行している。
ヘイトスピーチというのもその道具の一つだ。
安易にレッテルを貼って排除するなかれ。
魂は本来自由なのだ。
本来自由な魂のその表出をむやみに妨げるな。
好き嫌いは誰にでもあり、それは何人も否定できない。
コインの裏表で、裏だけを排除はできないのだ。
確かに差別は良くない。
だが差別もまた現実である。
この世界に差別のなくなることはないだろう。
その現実もまた認めよう。
その上で、取り分け酷い差別は何とかしなければならない。
そこでだ、時に縛りを掛けるのも止むを得ない。
法律という言葉で。
・・・・・
この世界が何の問題もない楽園なら、
法律等という無粋なものは要らないだろう。
だが、実際は悪に満ちている(と思う)から必要なのだ。
つまり法律とは必要悪なのだ。
だからこそ無闇に作れば只の悪になる。
それにしても最近の風潮は…。
何でも法律(言葉)によって解決しようとする。
何でも法律(言葉)を作れば解決できると思っている。
そういう風潮を危惧している。
胆に命じよ!
法律とは事を治めるものであり、
魂を縛るものではないのだ。
それにしても一向に聞こえてこない。
戦前・戦中を生きた日本人へのヘイトスピーチを止めろ、とは。
沖縄に駐留している米軍兵士へのヘイトスピーチも。
むしろ積極的に叫んでいるようだ。
その一方でシナや朝鮮のことは…。
ウイグルやチベットのことはどうでもいいのか。
無垢な市民の拉致は無視か。
余りに度し難い!








繁栄の輸出

2017-11-14 13:22:35 | 日記・エッセイ・コラム
物価が思うように上がらない。
日銀が苦慮している。
庶民は一向にかまわないのだ。
収入が減ったり無くなれば大変だが。
そうでなければ、
むしろ好都合だ。
・・・・・
現今の世界はすっかり一体化している。
そも人類はアフリカで発祥し、そこから世界に広がった。
それに文明は分業とは切っても切れぬものであり、
だからこそ交易はその最初からあったのである。
交易なくして分業なし、分業なくして文明なし。
すなわち、もともと世界は繋がっている。
現今のような交通と通信の発達した状況では尚更である。
鎖国と謂われる江戸時代も完全に閉じていた訳ではない。
情報はすぐれて取っていたのである。
明治維新は単なる偶然ではないのだ。
そこに明らかに意思と覚悟があった。
・・・・・
戦後日本は貿易立国として立ち、経済成長を為した。
その基は製造業の復活と成長であった。
その中で物価も上がったが、それ以上に賃金が上がった。
そして豊かになったのだ。
まさに貿易立国であり、何より輸出が大いに貢献した。
だが貿易は一方が豊かになるだけでは続かない。
双方が豊かにならなければならない。
そうでなければ、欧米の植民地支配のような一方的搾取になる。
本来の交易は相互主義である。
故松下幸之助翁が言っていた、
繁栄とは一部の者が豊かになることではない、
皆が豊かになることであると。
それにこの世は競争社会である。
公平で開かれた競争は止むを得ないところだ。
だから物作りは賃金の安いところへ移る。
貧しい国が少しづつで豊かになって行く訳である。
それが自然の流れである。
それはつまり、繁栄を輸出するということだ。
真っ当な交易は繁栄を輸出するのだ。
日本は率先してそれを行なうのがよい。
もとより自分を犠牲にする必要はない。
自分もそれなりに成長すればいいのだ。
今の日本はそういう状況にある。
だから経済成長を求めるのは当然としても、
拘り過ぎるのはどうも…。
物価も賃金もそうは上がらないだろうし、
それこそが繁栄を輸出している証である。
・・・・・
注意せねばならない。
世界は腹黒い、というのも現実である。
確かに戦前のようなあからさまな搾取はなくなった。
だが「会社は株主のものだ」と平然と言われる。
そのような資本の論理がまかり通っている。
これは金持ちが金儲けするための論理でしかない。
だからこそ、所謂1パーセントの人間に富が集まる。
つまり貧富の格差が拡大するのだ。
現下はそういう状況である。
だからといって、共産主義は尚危うい。
というより、資本の論理と共産主義は同根である。
資本の論理は金持ちが一方的に仕切る社会であり、
共産主義は共産政党が一方的に仕切る社会である。
私には一卵性双生児にしか見えない。
どちらも自分の都合を押し付けるだけの、
詭弁である。








物価が上がらない

2017-11-06 16:28:51 | 日記・エッセイ・コラム
日銀が2%の物価上昇を目標にしている。
だが一向に上がらない。
金融政策ではそもそも無理なのだ。
確かに、
物とお金の量の関係だけなら、
お金を増やせば物価は上がる。
すなわち、
お金を100倍増やせば物価は100倍になる、
ということだ。
これは名目上だけであって、実質的には同じである。
どうもこれを狙ってるのか。
これが成れば借金が100分の1になる。
預金や債権も100分の1になるが。
ということは、
国民の負担で政府の借金がなくなるということだ。
ひとつ問題がある。
これが成るには賃金も100倍にならなければならない。
どうもそれが難しいようだ。
物価だけ上がって賃金が上がらなければ、
庶民は生活できなくなり、
そもそも経済が成り立たない。
・・・・・
物価を上げるにはもう一つ方法がある。
それはお金の量はそのままに物を少なくすることだ。
すなわち物不足にすればいいのだ。
これは金融ではできない。
これを一番手っ取り早くするのは戦争である。
戦争は言わずもがな物不足を惹起する。
物価は上がり極端なインフレになる。
だから本当に必要なものは時に配給制となる。
日本も過去に経験している。
逆に平和な時代はデフレ(基調)になる。
彼の長谷川慶太郎さんも言っている。
まことにその通りだと思う。
供給が順調なら物は減ることはない。
効率化によりむしろ増加するだろう。
さすれば物価は下がる。
すなわちデフレである。
・・・・・
先記でお金を増やせば物価は上がる、と言った。
だが今はそれでも上がらない。
需要と供給の関係である。
欲しいのに物がないなら価値はどんどん上がる。
欲しくなければ物があっても価値は上がらない。
値段を下げて売れるなら、むしろ下がるだろう。
下げても売れないなら最後は廃棄である。
供給が多ければそういうことになる。
そこはお金の量とは関係がないのだ。
今はそういう状態である。
そんな状況で幾らお金を増やしても物価は上がらない。
しかして余ったお金はどこへ行くのか。
それは投資である。
株や不動産あるいは商品先物などへと流れる。
金持ちが投資ゲームをしてるのだ。
庶民も少しは加わっているが。
それが現下の状況である。
・・・・・
とにもかくにも、
長谷川慶太郎さんの言う通りだ。
戦争はインフレを呼び、平和時はデフレとなる。
今は一体どういう時なのか。
本当の平和なのか、
戦争の間の束の間のひと時なのか、
私には、
束の間のひと時としか思えない。














昔のことだが

2017-11-03 11:26:18 | 日記・エッセイ・コラム
もう随分昔のことになるが、
考えさせられる話があった。
ある会社のことである。
その会社は思うように業績が上がっていなかった。
はた目には良い会社のように見えていたが。
トップ曰く、
うちの会社は社員がバカだから業績が上がらない、
と。
従業員曰く、
うちは役員が保身と権力争いばかりでどうしようもない、
と。
もちろん同じところで同時に聞いた訳ではない。
よく覚えていないのだが、なぜかそういう話が耳に入ってきた。
業績が上がらないのは当然だろう。
理由は説明するまでもない。
・・・・・
仮に社員がバカだとしても、それこそ経営の問題である。
採用に不都合があるのか、はたまた社内教育が上手くいっていないのか。
まさに経営そのもので、経営者が問われるものだ。
それをまるで他人事のように…。
もちろん日本的経営で大事なのは社員である。
現場で仕事するのは社員なのだから。
当時よく言われていたが、
社員がしっかりしていれば役員はアホでもいい、
と。
これはあくまで譬えであり、つまり人が大事だということだ。
当然だが役員が本当にアホでは困る。
方向性を見定め、働きやすい環境を整える、
ということが何より重要であり、
それは役員の仕事である。
それがあっていよいよ社員の出番である。
そこで各自が与えられた役割をしっかりこなす。
業績はそういう中でしか上がらない。
そのとき大切なのは信頼関係である。
社員が役員を信頼できないようでは駄目だろう。
それは社員同士でも同様であり、
すべからく敬意と信頼が必要なのである。
いい会社はそれができている。
・・・・・
私がまだ若い頃、職場の上司がよく言っていた。
皆さんがしっかり働いてくれるから、日々の仕事が順調に進んでいる。
すべて皆さんのお陰だと。
口癖のように。
彼は役員ではなかったが、当時の私から見れば役員と代わらなかった。
その時は何となく聞いていたのだが、今にして思えば成程である。
ちなみに彼はいわゆる中間管理職である。
日本企業は中間管理職がしっかりしていれば大丈夫だ、
ともよく言われるが、その通りだと思う。
ともかく、そういう環境が大事なのである。
日本的経営では特に。
それを社風という。
それは目に見えないものだけに、尚更大切であり注意が必要なのだ。
もちろん変化の時代には、
方向性の見定めがより重要になるのは致し方なく、
そこは考えどころだが、
良い社風を守り・育てることを忘れては、
元も子も無くしてしまう。