厄介なものがある。
実に厄介なもので、それは言葉である。
ところがその厄介を自覚できないのか、
取扱いが実に危ういのです。
自分をバカだと思ってる人はまだいい。
賢いと思ってる人が危ういのです。
バカな人には謙虚の柱が立つ。
その時、言葉は祈りとなる。
賢い人はそれ故にか弄ぶ。
その時、言葉は嘘になる。
・・・・・
昨今セクハラやパワハラという言葉をよく聞く。
そんな言葉を創っても、事実は何も変わらない。
言葉は何も解決しないのだ。
本当に理不尽な嫌がらせなら、
それが性的なことでも、
立場上のことでも、
またその他のことでも、
解決せねばならない。
それだけのことだ。
世間にはいろんなハラスメントがある。
それに一々名前を付ける必要もないだろう。
名前があるからか、理不尽でもないのに問われることがある。
無用の摩擦を増やすだけだ。
とはいえ、人間は言葉の生物だ。
これはどうしようもない。
言葉を捨てることはできないのだ。
ただ知っておくべきである。
言葉は何も解決しないと。
事実は人の行動によってのみ解決されると。
・・・・・
ここに綾がある。
人間が発した心の音が声であり、
それが言葉となる。
だから言葉には心が乗っている。
心は心に響く。
だから言葉には力がある。
それはつまり、
言葉が人の行動に影響を与えるなら、
事実は言葉によって解決される、
とも言える。
言葉が声の時代は真にそうだったろう。
だが言葉が声から離れたらどうなる。
言葉に力がなくなるのか。
それも考えられる。
それでも力が残っていればどうなる。
その時、嘘が始まる。
しかして人類に嘘が広まって久しい。
現今は正に嘘の時代である。
私にはそう見える。
・・・・・
日本は天皇の国である。
天皇は歌を詠む。
歌は理屈ではない。
そこに嘘の入る余地はない。
天皇は時にお言葉を発せられる。
それは声である。
魂の音である。
文字に起こせば声から離れるが、
すべては声に始まる。
天皇は祈り主・祭り主である。
すなわち歌もお言葉も祈りなのだ。
理屈(説明・説得・言い訳)でないのは知っての通り、
すべては祈りなのである。
その天皇が中心におられるのだ。
頂点ではなく中心にである。
それが日本である。
実に厄介なもので、それは言葉である。
ところがその厄介を自覚できないのか、
取扱いが実に危ういのです。
自分をバカだと思ってる人はまだいい。
賢いと思ってる人が危ういのです。
バカな人には謙虚の柱が立つ。
その時、言葉は祈りとなる。
賢い人はそれ故にか弄ぶ。
その時、言葉は嘘になる。
・・・・・
昨今セクハラやパワハラという言葉をよく聞く。
そんな言葉を創っても、事実は何も変わらない。
言葉は何も解決しないのだ。
本当に理不尽な嫌がらせなら、
それが性的なことでも、
立場上のことでも、
またその他のことでも、
解決せねばならない。
それだけのことだ。
世間にはいろんなハラスメントがある。
それに一々名前を付ける必要もないだろう。
名前があるからか、理不尽でもないのに問われることがある。
無用の摩擦を増やすだけだ。
とはいえ、人間は言葉の生物だ。
これはどうしようもない。
言葉を捨てることはできないのだ。
ただ知っておくべきである。
言葉は何も解決しないと。
事実は人の行動によってのみ解決されると。
・・・・・
ここに綾がある。
人間が発した心の音が声であり、
それが言葉となる。
だから言葉には心が乗っている。
心は心に響く。
だから言葉には力がある。
それはつまり、
言葉が人の行動に影響を与えるなら、
事実は言葉によって解決される、
とも言える。
言葉が声の時代は真にそうだったろう。
だが言葉が声から離れたらどうなる。
言葉に力がなくなるのか。
それも考えられる。
それでも力が残っていればどうなる。
その時、嘘が始まる。
しかして人類に嘘が広まって久しい。
現今は正に嘘の時代である。
私にはそう見える。
・・・・・
日本は天皇の国である。
天皇は歌を詠む。
歌は理屈ではない。
そこに嘘の入る余地はない。
天皇は時にお言葉を発せられる。
それは声である。
魂の音である。
文字に起こせば声から離れるが、
すべては声に始まる。
天皇は祈り主・祭り主である。
すなわち歌もお言葉も祈りなのだ。
理屈(説明・説得・言い訳)でないのは知っての通り、
すべては祈りなのである。
その天皇が中心におられるのだ。
頂点ではなく中心にである。
それが日本である。