ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

天皇の霊力

2014-06-25 10:23:29 | 日記・エッセイ・コラム

言葉とは不可思議なものだ。

言葉は霊(もの思う力)が発した音であり、

その音には霊の思いが乗っている。

言霊といわれる所以である。

・・・・・

霊の抜けた言葉には意味がない。

現今はそんな言葉が氾濫している。

例えば、開発と破壊。

開発も破壊も中身は同じである。

現状を変更することである。

自分に都合が良ければ開発と言い、

そうでなければ破壊と言う。

あるのは自分の都合だけである。

意味がない。

例えば、説明と弁解。

ともに事象について話すことである。

説明といっても嘘やごまかしがあれば弁解と変わらない。

弁解といっても理があれば説明ともいえる。

発する者や受ける者の都合でどちらにも変わる。

意味がない。

現下の世界はそんな言葉で溢れてる。

・・・・・

日本にはまことの言葉がある。

天皇の言葉である。

祈主、斎主、祝主であり祭祀王である天皇の言葉。

天皇は説明しない。

天皇の言葉は祈りである。

受けての思いは様々だろうが、

そこに紛れはない。

まことの言葉である。

そのことは何より和歌に現れている。

和歌はもとより説明しない。

思いの、心からの思いの表現である。

霊のままの音である。

これが御製である。

御製はまさに祈りの体現である。

・・・・・

日本は守られている。

まことに。

天皇の霊力に守られている。


財源論争の嘘

2014-06-23 15:21:44 | 日記・エッセイ・コラム

国の財源は税金である。

このことに異論はない。

異論のあろう筈もない。

でも、財源は税金だけだろうか。

世間では税金だけだと思ってるようだが。

・・・・・

国には通貨発行権がある。

国が通貨を発行するのである。

そのお金は国のものであり、当然国が使うものである。

ならば、それは国の財源である。

確かに節操もなく発行すれば経済が破綻する。

でも、通貨は必要だ。

経済には不可欠のもので、経済の血であるとも言われる。

経済規模に見合った量の通貨は必要であり、

規模が拡大すれば増やさなければならない。

規模拡大にともない追加発行した通貨は、

それは国が使うものである。

国の財源が税金だけでないのは明白だ。

でも、誰もそのことを言わない。

そろいもそろって嘘を言ってる。

あるいは知らん振りしてるのか。

どちらにしても、

バカとしか言いようがない。

・・・・・

お金は経済の血である、と言われる。

これは、

お金は経済そのものではないが、

経済にとって無くてはならないもので、

今となっては経済の一部である、

ということだ。

古代社会にはお金のない時代があった。

が、そこにも経済はあった。

お金は経済の実ではない。

お金は実態経済を支えるものである。

お金だけの経済は虚業である。

今次世界は虚業にまみれている。

こんな嘘は続かない。

いずれ虚業は実業に収斂される。

じっくり見ていよう。


神様のプログラム

2014-06-17 17:48:39 | 日記・エッセイ・コラム

完璧である。

神様のプログラムは。

「そこ」から来て「そこ」に帰る。

「そこ」とは生まれる前に居た場所、

まさに「その」場所であり、

神の許(もと)である。

何も持たずに来、何も持たずに帰る。

何人たりとも例外はない。

しかも人だけにあらず、

生けるものすべてにである。

完膚なき公平の世界。

・・・・・・

生きてる間のことはすべて洗い流される。

幸・不幸は時の綾、うたかたであり、

結局はすべて収斂される。

完璧である。

さなればである。

生きてる間のことは人のことであり、

そこは人が適当にやればいい。

ということだが、

適当というのが難しい。

今まさに世界は困惑している。

でも、神には頼れない。

なにしろ神のプログラムは完璧だ。

完璧なプログラムの中で、

神は何もしない。

所詮、人のことは人のこと、

人が何とかせねばならない。

・・・・・

何とかしようとしても、

どうしていいか分からない。

ならば神を真似るより他ない。

小賢しい計らいを捨てる。

神を想い、神に思いを致す。

そして心を定める。

定まった心を持って、

その心のまにまに進めば良い。

赤き心、清き心、

「まこと」の心。

神ながらの道である。

人のこともまた、

神の手の中に在り。


シナの歴史

2014-06-12 18:03:17 | 日記・エッセイ・コラム

日本の空軍機にシナの戦闘機が異常接近した。

どういうつもりかは知らない。

理由はどうであれ、

陳謝するならそれはそれなりである。

陳謝しないまでも、

今後は気を付けるとでも言えばそれもそれなりである。

でも、かの国の人は譲らない。

どこまでも。

そしてひたすらに言う。

「自分は正しい、間違ってるのはあなただ」と。

・・・・・

シナ人には「まこと」がない。

ただ力があるだけである。

なにしろ易姓革命の国である。

力のある者が天下を取る。

力がなくなれば取って代わられる。

ゆえに天下を取った者は自分を正当化する。

都合の悪いものは否定する。

あるいは改竄する。

そして自分の正当性を誇示する。

徳治主義とかいうものである。

そこに「まこと」はない。

当然、歴史にも「まこと」はない。

歴史はプロパガンダであり、

どこまでも政治なのである。

・・・・・

かの国はともすれば歴史を誇る。

しかし実のところ歴史はない。

あるのは断絶の歴史である。

それでも遠い過去なら少しは「まこと」があるかもしれない。

嘘がふるいにかけられて。

しかし時の政権には「まこと」はない。

まったくない。

あるのは自己正当化した嘘である。

ゆえに歴史はない。

シナには歴史がない。

自分に都合の良い過去があるだけである。


メディアリテラシー

2014-06-04 13:40:32 | 日記・エッセイ・コラム

カタカナ語は嫌いである。

就中、日本語表記があるにもかかわらず使ってるのは。

まあ、日本人の旺盛な好奇心の現れではあるが。

メディアリテラシーという言葉がある。

よく分からなかったのだが、

最近少し分かるようになってきた。

これには適当な日本語表記がない。

情報感度あるいは情報解釈と言ってもいいと思うが、

ピンとこない。

要するに情報の取扱方であり、

適切に情報を取り扱えと言うことである。

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例えば流氷がある。

それを見ると、

まず海がありその上に氷が浮かんでる。

見えるのは海と氷である。

でも、氷は見えてる部分だけではない。

海面の下に半分以上隠れてる。

海もそうである。

海面だけが海ではない。

海面下はもっと広大である。

情報も同じである。

流されるものだけが全てではない。

さらにそこには思い違い・誤り・嘘が紛れている。

それに何よりもそもそも選別されている。

ということは、

流されるものだけを見ていれば騙される、

ということである。

信じたらもちろん騙される、信じなくとも影響を受ける。

だから情報に対する向合い方が大事なのである。

覚悟して真摯に向き合わなければならない。

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マスメディアはそもそも信用できない。

インターネットもある。

今次、世界は情報で溢れている。

情報の適否判断のために情報を求めてもたいてい無駄である。

取り敢えずは必要なのだが、

下手をすれば情報に埋もれるだけである。

いよいよ分からなくなる。

どうすれば良いのか。

最後は自分に問うよりほかない。

自分の魂に問うのである。

それには何より、

まず自分を磨かなければならない。

常に磨いていなければならない。

明鏡止水、鏡の心。