今世界は虚(うつろ)で満ちている。
言葉はそも虚になり易いもの。
ゆえ禁忌とされたのだ。
そう思っている。
・・・・・
言葉とはつまり名前である。
論理と雖も結局はその張り合わせ。
ものは名前を付けて初めて切り離される。
全体が一つの世界から、それが浮かび上がると。
ときに体が現れる。
名が体を表すのだ。
所謂「名は体を表す」とはこのこと。
逆もまた同じ、
「体は名がなければ現れない」のだ。
名前は現実を分けるもの。
分けて分けて分けまくる。
そしてどこまでも細分化される。
これが言葉の技のひとつ。
だがこれだけでは収集がつかなくなる。
だから逆の作用が起こる。
細分化したものを纏めるのです。
それを一般化とか抽象化という。
これは便利なものである。
大きく体(たい)を捉えられる。
所謂概念とはこのことか。
ともかくも、
細分化と抽象化は言葉の必然かと。
思えば、
細分化は現実から離れにくいもの、
抽象化は逆に現実から離れるもの。
ここに問題がある。
現実から離れても、
現実に基づいていれば良いのです。
そも現実があっての抽象なのだから。
現実がハテなの抽象は亡霊に過ぎない。
それがまさに虚(うつろ)なのです。
そういうことだが、
それらすべてが虚と言うのではない。
それを仮定や仮想とするならそれは良い。
それを止むを得ずの方便とするならそれも又。
それを事実だと言ったとき、
ときにそれは虚となる。
ちなみに、
一寸余談。
世間のリベラルに対する定義は知らず、
私の定義では、
現実に依拠してるか否かがすべて、
つまり平気で虚を吐く人をリベラルと言い、
そうでない人を保守と言っている。
なお真正保守とは「まこと」に生きる人のこと。
自称真正保守の私は、
そうできているかは?ですが、
そう心がけています。
それもこれもこの日本が、
その真ん中に天皇陛下がおられる、
「まこと」の国だからであります。
有難いことで、
・・・・・
言葉を持った人間は、
それに依って現実の機微を捉えた。
その結果として文化・文明があらわれる。
字義の通りそれは文(つまり言葉)の技である。
日本語はそう捉えている。
まさに正にである。
だから言葉を支配する者が人を支配する。
これは必ずそうなる。
まあ言わずもがなかと。
でも言葉はそも音である。
それを支配するのは難しい。
だからその支配は緩やかだと。
そこに変種として文字が現れる。
これは言葉を支配するのに便利で、
そも文字は技術を要するものだから。
ゆえ支配者は言葉(文字)を独占する。
ここに帝国があらわれる。
にしても「まこと」なら支配にはならない。
支配とは人を仕切ること。
恣意的に人を仕切ること。
そこには虚が付いて回る。
ちなみにだから、
ゆえに天皇陛下の存在意義がある。
そこで現下を見れば、
その道具である言葉を支配しようとする者がいる。
既に文字の独占はできなくなったのに。
それにコンピュータの出現もあってか、
音や映像まで記録として残る時代です。
つまり文字と同じ効果を持ったのです。
それが誰かれなく受発信できる。
そんな情報化社会になっている。
では何を支配するのか。
それは分り切ったこと。
それはその情報である。
だから今は言論統制と検閲の時代となった。
為に、
メディアが乗っ取られており、
それを阻止するのが教育だが、
その教育も押さえられており、
いまや気付けば周りはプロパガンダばかり。
だからそこはフェイクだらけ。
さらにそれを隠す荒業もある。
それが例のファクトチェックです。
実にしたたかなのだ。
しかして、
民衆は誘導されたり洗脳されたり、
気付かない人がほとんどなのだが、
気付いていてもどうしようもない。
歯がゆいばかりです。
・・・・・
先のG7の広島サミット、
コロワクポリコレ地球温暖化脱炭素の「うつろ」、
そろそろ店仕舞いかその兆候あり。
嘘はどこまで行っても嘘、
嘘が真になることはない。
それに多くの人は知ってるだろう、
嘘は一度吐いたらもう止められないと。
結局最後は壊れて破綻するより他ない。
ちなみに、
こんなことを言ったら叱られるかも知れないが、
G7の連中よりプーチンの方が嘘は少ない、
それも圧倒的に。
コロワクポリコレ地球温暖化脱炭素の取り扱い、
その取り扱いを見ればあきらか。
だからあの戦争も実はロウの戦いではない、
と確信している。
うん!
言葉はそも虚になり易いもの。
ゆえ禁忌とされたのだ。
そう思っている。
・・・・・
言葉とはつまり名前である。
論理と雖も結局はその張り合わせ。
ものは名前を付けて初めて切り離される。
全体が一つの世界から、それが浮かび上がると。
ときに体が現れる。
名が体を表すのだ。
所謂「名は体を表す」とはこのこと。
逆もまた同じ、
「体は名がなければ現れない」のだ。
名前は現実を分けるもの。
分けて分けて分けまくる。
そしてどこまでも細分化される。
これが言葉の技のひとつ。
だがこれだけでは収集がつかなくなる。
だから逆の作用が起こる。
細分化したものを纏めるのです。
それを一般化とか抽象化という。
これは便利なものである。
大きく体(たい)を捉えられる。
所謂概念とはこのことか。
ともかくも、
細分化と抽象化は言葉の必然かと。
思えば、
細分化は現実から離れにくいもの、
抽象化は逆に現実から離れるもの。
ここに問題がある。
現実から離れても、
現実に基づいていれば良いのです。
そも現実があっての抽象なのだから。
現実がハテなの抽象は亡霊に過ぎない。
それがまさに虚(うつろ)なのです。
そういうことだが、
それらすべてが虚と言うのではない。
それを仮定や仮想とするならそれは良い。
それを止むを得ずの方便とするならそれも又。
それを事実だと言ったとき、
ときにそれは虚となる。
ちなみに、
一寸余談。
世間のリベラルに対する定義は知らず、
私の定義では、
現実に依拠してるか否かがすべて、
つまり平気で虚を吐く人をリベラルと言い、
そうでない人を保守と言っている。
なお真正保守とは「まこと」に生きる人のこと。
自称真正保守の私は、
そうできているかは?ですが、
そう心がけています。
それもこれもこの日本が、
その真ん中に天皇陛下がおられる、
「まこと」の国だからであります。
有難いことで、
・・・・・
言葉を持った人間は、
それに依って現実の機微を捉えた。
その結果として文化・文明があらわれる。
字義の通りそれは文(つまり言葉)の技である。
日本語はそう捉えている。
まさに正にである。
だから言葉を支配する者が人を支配する。
これは必ずそうなる。
まあ言わずもがなかと。
でも言葉はそも音である。
それを支配するのは難しい。
だからその支配は緩やかだと。
そこに変種として文字が現れる。
これは言葉を支配するのに便利で、
そも文字は技術を要するものだから。
ゆえ支配者は言葉(文字)を独占する。
ここに帝国があらわれる。
にしても「まこと」なら支配にはならない。
支配とは人を仕切ること。
恣意的に人を仕切ること。
そこには虚が付いて回る。
ちなみにだから、
ゆえに天皇陛下の存在意義がある。
そこで現下を見れば、
その道具である言葉を支配しようとする者がいる。
既に文字の独占はできなくなったのに。
それにコンピュータの出現もあってか、
音や映像まで記録として残る時代です。
つまり文字と同じ効果を持ったのです。
それが誰かれなく受発信できる。
そんな情報化社会になっている。
では何を支配するのか。
それは分り切ったこと。
それはその情報である。
だから今は言論統制と検閲の時代となった。
為に、
メディアが乗っ取られており、
それを阻止するのが教育だが、
その教育も押さえられており、
いまや気付けば周りはプロパガンダばかり。
だからそこはフェイクだらけ。
さらにそれを隠す荒業もある。
それが例のファクトチェックです。
実にしたたかなのだ。
しかして、
民衆は誘導されたり洗脳されたり、
気付かない人がほとんどなのだが、
気付いていてもどうしようもない。
歯がゆいばかりです。
・・・・・
先のG7の広島サミット、
コロワクポリコレ地球温暖化脱炭素の「うつろ」、
そろそろ店仕舞いかその兆候あり。
嘘はどこまで行っても嘘、
嘘が真になることはない。
それに多くの人は知ってるだろう、
嘘は一度吐いたらもう止められないと。
結局最後は壊れて破綻するより他ない。
ちなみに、
こんなことを言ったら叱られるかも知れないが、
G7の連中よりプーチンの方が嘘は少ない、
それも圧倒的に。
コロワクポリコレ地球温暖化脱炭素の取り扱い、
その取り扱いを見ればあきらか。
だからあの戦争も実はロウの戦いではない、
と確信している。
うん!