ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

税金の使いみち

2014-10-27 15:01:46 | 日記・エッセイ・コラム
税金の取り方はさておき、
その使い方を考えてみる。
私ごときにはよく分からないことですが。
・・・・・・
使いみちは色々あるでしょう。
生活基盤であるインフラの維持や建設、
教育や治安維持のための施策、あるいは外交・国防など。
とにかく必要な各種施策を行う。
まあ、そういうことでしょう。
そのことは置いておいて、
気に入らない使い方がある。
それは取ったお金をそのまま配ることです。
これはダメでしょう。
意味がない。
それなら初めから取らなければいい。
税金を取らなければいいことです。
控除すればいいのです。
例えば子供手当である。
子供にお金を使うことはいいことです。
幾らでも使って下さい。
でもお金で渡すのは最低です。
唯一お金を配るのは、
そもそもお金のない人にだけです。
事情により収入が極端に少ない人には、
やむを得ないことです。
・・・・・
施策にお金を使うということでも、
気に入らないことがある。
利用者に負担してもらうべきを、
税金で賄おうとすることです。
利用者が国民全員ならもちろん問題はない。
ですが特定の者に偏る場合は別です。
その場合は受益者負担が原則です。
例えば、高速道路利用料金です。
選挙公約で気前よく無償化を掲げた政党があった。
そうすれば負担が無くなるかのように。
でも無償化しても負担が無くなるのではない。
負担が国民全員にかかるだけである。
もちろん受益者負担といっても、
すべての費用を負担せよとは言わない。
できる限り安価にする方途も必要だ。
してみれば、
高速道路利用料金の無償化という公約は、
詐欺みたいなものである。
・・・・・
そんなこんなですが、
要するに、
直接お金を配ることは極力しない、
できるだけ受益者負担にする、
ということを、
胆に銘じてほしい。

よく分からない税金

2014-10-21 12:34:29 | 日記・エッセイ・コラム
消費税は悪税である。
というより、インチキである。
というより、詐欺である。
・・・・・
本来、税金は余裕のある者から取るものである。
大きく余裕のある者は大きく、
少ししか余裕のない者は少しだけ、
という具合に。
余裕の有無にかかわらず、同じように取るのはいただけない。
消費税を一方的に否定するつもりはない。
取るなら一般的に言われているように、広く薄くであろう。
思うにそれは5%以内である。
と同時に、他にもっと高率で取るものがあってもいい。
日常生活にかかわりの薄いもので高額のものには。
不動産取得税や自動車などの物品税として。
それを消費税だけにするのは最悪である。
これは金持ちをさらに金持ちにし、
貧乏人をますます貧乏にするものである。
そんなことは分かってる筈だが。
・・・・・
さらに消費税には詐欺まがいのとこがある。
消費税といいながら消費者は払っていない。
実際は事業者が払っている。
もとは消費者だというが、
それは価格に含まれているものである。
というか価格以外の何物でもない。
内税であれ外税であれ、所詮価格の内である。
事業者が儲かれば税金を払う。
儲からなければ払わない。
これが法人税(または個人事業税)である。
だが、消費税は損をしていても払わなければならない。
はなはだ事業者いじめである。
さらに訳の分からないことがある。
消費税を上げて法人税を下げる?
これは損をしている法人からも税金を取り、
儲かってる法人には税金をまけるということである。
意味不明、
まったくもって意味不明。




倒錯の欧米

2014-10-15 09:14:01 | 日記・エッセイ・コラム
欧米では同性婚が認められてるという。
男女間の結婚とは少し違うところもあるらしいが。
すべてを一緒にすべきだと主張し、
堂々とデモ行進することもあるとか。
反対する人もいるのだろう。
それにしても、
当たり前のようになってるのには、
違和感を覚える。
・・・・・
命あるものの王道は生きることである。
命をつなぐことである。
同性婚はその道に反する。
だからといって、非難・否定するつもりはない。
性同一性障害ということもあろうし。
ただ、道に外れてると言ってるだけである。
命の道に、自然の道に。
そのことをわきまえていれば、それでいい。
それだけのことだ。
もとより、道は一つではない。
道の外にも道がある。
それぞれの道にはそれぞれの価値がある。
それも王道を踏まえてこそである。
・・・・・
海に生きるものは海に生き、
山に生きるものは山に生きる。
集団で生きるものもおれば、
一人で生きるものもいる。
明るい世界を好むものもいれば、
暗い世界を好むものもいる。
皆それぞれである。
その生き方に上下はない。
その存在価値に上下はない。
言葉過多の世界で、
権利や平等などという言葉を振り回し、
何もかも同じでなければダメだと言いうのは、
愚かな考えである。
海も山もこねまわし、
光を均一に照らせば、
世界は一つになる。
そんな世界は現実ではない。
そんな世界では何物も生きられない。

命の使命

2014-10-13 08:56:22 | 日記・エッセイ・コラム
人はよく言う。
生まれてきた者には使命があると。
私にはよく分からない。
確かに、使命を持つことは素晴らしい。
持った方がよいとは思う。
しかし、
そもそも持って生まれてくるとは思えない。
・・・・・
ひとつ分かることがある。
命の目的は命である。
はて何のことかな。
簡単である。
命の目的は生き続けること、
ただそれだけである。
個体としての命には限界がある。
生き続けるのは無理である。
ではどうするのか。
次の命を残すのである。
その繰り返しが生き続けるということである。
もし使命があるなら、
そこにこそある。
生き続けるということを為す。
それを確かなものにする。
使命とはそこに尽きると思う。
・・・・・
その為には、
男が男であり女が女であれば、
それでよい。
それがすべてである。
言うまでもない。
戦後はそれを壊そうとする。
そういう言説があふれてる。
戦前の歌に核心をつくものがあった。
「命短し恋せよ乙女……」
女性こそ体を張って命をつなぐ。
子を産める期間は限られている。
多少は長くなってるが。
・・・・・
近頃いやなニュースが多い。
命への大罪である。
それは、
「親(大人)の子殺し」
「男の女殺し」
である。
ついでに言えば、
男が女に殺されるのは、
不運というだけである。
はい。