ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

参議院選挙の後で

2013-07-22 13:35:46 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、参議院選挙があった。

自民党など与党が圧勝した。

・・・・・

選挙公約には、経済(金銭のこと)や生活、福祉、環境など諸々あったが、

どうもいけない。

肝心なこと、一番大事なことが抜けている。

これは国政である。

生活、福祉、環境などを守るには、

もちろん金銭が必要だが、

なにより国という枠組みを守らなければならない。

国をいかに守るかということが、抜けている。

国が滅んでは生活、福祉、環境など意味がない。

先の東日本大震災で分かったと思うが、

日本人は実にまっとうかつ誠実な人々である。

苦しい時こそ「助け合い」「分かち合う」ことができる。

そういう在り方を大事にしてきたのである。

国を守るということは、

もちろん土地を守るということであるが、

国柄を守るということでもある。

この国柄は戦後突然できたものではない。

時代とともに表面的な変化はあるだろうが、

戦前からあったものであり、

もっと言えば、江戸時代あるいはそれ以前からあったものである。

連綿とした歴史の中で培われてきたものである。

・・・・・

戦後日本はそのことを忘れていた。

ゆえにこそである、「日本を取り戻そう」。

なにより国柄を守るために、

「日本人の心は、日本人の手で、日本人の言葉で」、

著わそう。


謙虚とは

2013-07-18 17:36:15 | 日記・エッセイ・コラム

素直は既に記したことだが、

それは「自分に問う」ものであり、

とにもかくにも自分の内で完結するものである。

それに対して、

謙虚は他者に対したときの自分の在り方であり、

他者にどう向き合うかである。

他者を想定して、はじめてこの言葉は意味をなす。

他者とは自分以外のすべてである。

人はもとより動物など存在するものすべてである。

すべての存在に神が宿ると思っている日本人にとっては、

煎じ詰めればそれは神ということになる。

素直は解釈的にぶれやすいところがあるが、

謙虚はぶれることがない。

すべての存在にたいして、先ず相手を立てる。

相手が神の場合は、ひたすら畏れいる。

謙虚とはどこまでも謙虚なのである。

・・・・・

私は素直という言葉も好きではあるが、

一抹の不安を持っている。

その点、謙虚はぶれがない。

だから、謙虚という言葉が好きである。

無条件に。

大人になってからの私のもっとうは、

「一に謙虚、二に謙虚、三四がなくて五に謙虚」であった。

今も。

思うに、日本の文化・文明には根に謙虚がある。

だから、外交が苦手である。

なにせ相手に付け込まれやすい。


素直とは

2013-07-05 18:18:56 | 日記・エッセイ・コラム

素直とはいい言葉である。

でも、ちょっと難しい。

松下幸之助翁は素直ということを大事にされ研究もされていたようです。

思うに、

素直とは人に対して言うべきものでなく、

自分に向けて問うものである。

難しいのは、

「自分に対して素直である」ことは

単に「自分のしたいようにする」ことではない、ということです。

「自分のしたいようにする」だけなら、

欲望のままに生き、我儘も良し自堕落も良しである。

幸之助翁が大事にした素直とはそんなものではない。

では、どう解釈すればよいのか。

要は素直の「素」である。

素とは本来の自分、生まれたままの自分であり、

人の垢にまみれてない自分である。

でも、それが分からない。人垢にまみれて分からない。

しからばである。

そういう自分を常に探し求めて問うよりほかない。

・・・・・

日本人はそれをしているのである。

神社の拝殿奥に鏡が奉ってある。

神様の依代であり、ご神体である。

なぜか。

神様の前で、

自らを写し自らの魂に問い、

己の罪・穢れに思いを致し、

そして神の許しを請い、

祈るのである。

かくのごとく、

祈りを通して素の自分に向き合っている。

思うに、

すべからく日本人は神道の者である。

でも今は、

自分が何を持っているのか分からない、

そんな人が多い。


人権という嘘

2013-07-01 09:43:26 | 日記・エッセイ・コラム

人権、人権とうるさいことである。

私は人権という言葉が好きではない。

もともといい言葉であろうが、

あまりに傍若無人に使われると嫌気がさす。

天邪鬼な思いではあるが、ふと思う。

人間にだけ権利があると思っているのか。

権利があるから生きているのか。

自然界に権利などない。権利という言葉などない。

それでも、自然界は厳然として在る。

立派に在る。

弱肉強食という面はあっても、それ以上に共生の世界である。

その世界は完結している。

嘘のない世界である。

現実がすべてであり、嘘のない世界である。

人間も当然ではあるが、

人権という言葉に生かされているのではない。

現実に生かされているのである。

人間にだけ権利があるのはおかしい。

権利があるとすれば、

すべての生き物に権利がある。

・・・・・

とは言うものの、

人権という言葉は、

「人間として生まれてきたら、人間として生きる」

という宣言の「しるし」である。

実に当然のことである。

ならば、

「日本人として生まれてきたら日本人として生きる」、

「男として生まれてきたら男として生きる」、

「私以外の誰でもない、私として生まれてきたら私として生きる」、

なども同じである。

人間社会での切り分けで、どんな権利でも表すことができる。

まあ、どうとでも言える。

人権を天賦の権利のように言うのは大嘘である。

事項、事象を的確にとらえ慎重に使うなら、

素晴らしい。