空気を読むって言葉がある。
これは日本人がよく言われることである。
それは言葉を使うことなく、無言の内に意思疎通を計る。
それを謂うらしい。
ゆえ海外からは曖昧でよく分からないと。
日本人でもそう言って揶揄する人がいる。
でも思うに、
しなくても済ますことが出来るなら、
する必要がないのは当り前、
それは当然のこと。
してもこの言葉は実に奥がふかい。
これは文化文明の根幹にかかわる。
それになによりこれは言葉である、
人間が人間である由の言葉である。
これは英語ではどう表現するのだろう。
いつものことだが私はそれを知らない。
でも思うのです、
これは実に当を得た表現であると。
その相手を空気と言うこと、
その動きを読むと言うこと、
基より日本語は妙であるが、
この言葉も正にそうである。
まことに、
まことに。
・・・・・
妙のひとつ、空気。
これはその場の空気のこと、酸素や窒素等の気体のこと。
また気とは存在の基底に潜むエネルギーのこととされる。
それは所謂空気だけでなく、
その場に存在するすべての物事の気も含まれる。
ところで物事は神の言葉によって現れる、
これは聖書(創世記)によれば、
それに物事は煎じ詰めれば運動振動波動に帰る、
これは私が勝ってに言っている、
また人の言葉は空気の波動によって伝わる、
とかなんとかと勝手に放題。
妙のひとつ、読む。
だからです、
見るでもなく知るでもなく「読む」である。
それは言葉であるから。
それはその基である神の言葉を読むのです。
だからの「空気を読む」である。
そしてそれが人の言葉にもなる。
ここに妙がある。
得も言われぬ妙がある。
・
尚ちょっと考えれば分かること。
空気を読むとはすべての生き物がしていること。
これは自ずとそうしているもの。
それは神の創った設計図(DNA)による。
これを私は神の手の中でまんまに生きると。
でも動物の哺乳類には少し外れるところが
それはまあ文化とも言える。
それは遊びの中で学ぶもの。
ヒトもそこまでは他の哺乳類とかわらない。
だから空気を読むのは当然。
ところがその中で人は言葉を持ったのです。
してもこれはDNAの意図ではなかったと。
すべからく後天的なものと。
ここでもやはり遊びの中での学びが必要且重要。
ときに人に育てられなければそれはダメなのだ。
今の学問的知見は知らないがそう言うことかと。
以前言った狼少年の例がそれである。
そこでであるが、
人も空気を読むがそれがときに全身全霊で徹底的に。
60兆個も有ると謂われる細胞のすべてを動員して。
ときに人は言葉を得たのである。
ここに一番のミステリーがある。
これが徹底的に分からないのだ。
まあ言葉ではどうとでも言える。
おもうに言葉は言葉を語らない。
考えても無駄でしょう。
だから私は言うのです、
ときに人は神に出会っていると。
往古の人もそれを想う。
そして語られたものそれが神話。
それが人間の始まりである。
・・・・・
ヒトは動物である。
ヒトは類としては哺乳類である。
特徴、自ら動くものである。
特徴、ゆえ意を持っている。
動く向きは自分で決めるのです。
為に場の空気を読む必要がある。
されど我もまた場の空気の一つ。
我を持ってるがそれを場から切り離さず、
これを当り前のように振る舞う。
でもヒトは意識を持ってしまう。
てかそのイをシキしたのである。
ときに我が表に出てきて露わに。
ここから人間の歴史がはじまる。
言葉は一度持てばもう離れない。
言葉と生きて行くしかないのだ。
でもであるこれは覚えておこう。
我は人間である前に動物である。
何より場に生きているのである。
神の事の場にである。
ゆえ空気は必然的に読んでいる。
でもそこに人の事の場を重ねる。
そして見えなくする。
日本は世界から見れば異質だと。
一寸昔はその様に言われていた。
でももうお分りでしょう。
日本が異質なのではない。
世界が異質なのであると。
それが今正に顕著に現れている。
それを知ろう。
さすれば、
そのとき未来は開かれる。
うん!
これは日本人がよく言われることである。
それは言葉を使うことなく、無言の内に意思疎通を計る。
それを謂うらしい。
ゆえ海外からは曖昧でよく分からないと。
日本人でもそう言って揶揄する人がいる。
でも思うに、
しなくても済ますことが出来るなら、
する必要がないのは当り前、
それは当然のこと。
してもこの言葉は実に奥がふかい。
これは文化文明の根幹にかかわる。
それになによりこれは言葉である、
人間が人間である由の言葉である。
これは英語ではどう表現するのだろう。
いつものことだが私はそれを知らない。
でも思うのです、
これは実に当を得た表現であると。
その相手を空気と言うこと、
その動きを読むと言うこと、
基より日本語は妙であるが、
この言葉も正にそうである。
まことに、
まことに。
・・・・・
妙のひとつ、空気。
これはその場の空気のこと、酸素や窒素等の気体のこと。
また気とは存在の基底に潜むエネルギーのこととされる。
それは所謂空気だけでなく、
その場に存在するすべての物事の気も含まれる。
ところで物事は神の言葉によって現れる、
これは聖書(創世記)によれば、
それに物事は煎じ詰めれば運動振動波動に帰る、
これは私が勝ってに言っている、
また人の言葉は空気の波動によって伝わる、
とかなんとかと勝手に放題。
妙のひとつ、読む。
だからです、
見るでもなく知るでもなく「読む」である。
それは言葉であるから。
それはその基である神の言葉を読むのです。
だからの「空気を読む」である。
そしてそれが人の言葉にもなる。
ここに妙がある。
得も言われぬ妙がある。
・
尚ちょっと考えれば分かること。
空気を読むとはすべての生き物がしていること。
これは自ずとそうしているもの。
それは神の創った設計図(DNA)による。
これを私は神の手の中でまんまに生きると。
でも動物の哺乳類には少し外れるところが
それはまあ文化とも言える。
それは遊びの中で学ぶもの。
ヒトもそこまでは他の哺乳類とかわらない。
だから空気を読むのは当然。
ところがその中で人は言葉を持ったのです。
してもこれはDNAの意図ではなかったと。
すべからく後天的なものと。
ここでもやはり遊びの中での学びが必要且重要。
ときに人に育てられなければそれはダメなのだ。
今の学問的知見は知らないがそう言うことかと。
以前言った狼少年の例がそれである。
そこでであるが、
人も空気を読むがそれがときに全身全霊で徹底的に。
60兆個も有ると謂われる細胞のすべてを動員して。
ときに人は言葉を得たのである。
ここに一番のミステリーがある。
これが徹底的に分からないのだ。
まあ言葉ではどうとでも言える。
おもうに言葉は言葉を語らない。
考えても無駄でしょう。
だから私は言うのです、
ときに人は神に出会っていると。
往古の人もそれを想う。
そして語られたものそれが神話。
それが人間の始まりである。
・・・・・
ヒトは動物である。
ヒトは類としては哺乳類である。
特徴、自ら動くものである。
特徴、ゆえ意を持っている。
動く向きは自分で決めるのです。
為に場の空気を読む必要がある。
されど我もまた場の空気の一つ。
我を持ってるがそれを場から切り離さず、
これを当り前のように振る舞う。
でもヒトは意識を持ってしまう。
てかそのイをシキしたのである。
ときに我が表に出てきて露わに。
ここから人間の歴史がはじまる。
言葉は一度持てばもう離れない。
言葉と生きて行くしかないのだ。
でもであるこれは覚えておこう。
我は人間である前に動物である。
何より場に生きているのである。
神の事の場にである。
ゆえ空気は必然的に読んでいる。
でもそこに人の事の場を重ねる。
そして見えなくする。
日本は世界から見れば異質だと。
一寸昔はその様に言われていた。
でももうお分りでしょう。
日本が異質なのではない。
世界が異質なのであると。
それが今正に顕著に現れている。
それを知ろう。
さすれば、
そのとき未来は開かれる。
うん!