Snowtree わたしの頭蓋骨の下 *鑑賞記録*

舞台は生もの、賞賛も不満もその日の出来次第、観客側のその日の気分次第。感想というものは単なる個人の私感でしかありません。

池袋 あうるすぽっと『ベルリン・ドイツ座『野がも』』 中央センター

2010年11月29日 | 演劇
池袋 あうるすぽっと『ベルリン・ドイツ座『野がも』』 中央センター

あうるすぽっとで開催中の『国際イプセン演劇祭』の演目の一つ、ベルリン・ドイツ座『野がも』を観劇。海外の劇団の芝居をお初で観ました。ドイツ人がドイツ語で芝居をする。しかもイプセン劇。字幕が出るとはいえドイツ語がわからないのに大丈夫か?という不安より、海外の演劇はどんなのだろう、言語がわからなくて、どこまで理解しうるのだろうという興味のほうが先に立った観劇でした。演劇とダンスが混在したコンテンポラリーダンスを少しばかり観る機会があって、「表現する」というものの幅を知りたいという気分もありました。そのコンテンポラリーダンス指南役の友人の誘われたのが良い機会と飛びつきました。

さすがに原作は読んでおくべきとは思いましたがまだ先と思っているうちに機会を逸し、こうなったら粗筋も読まないまっさらな状態で臨もうという無謀な観劇(笑)。で、見始めて最初のうちはほんと無謀だったか…と。肝心の字幕が非常に読みづらい。席が中央センターだったですよ、それであの読みづらさは、ひどい。読ませる気ない?くらいな…。これを思えば国立劇場の字幕は読みやすいよ。

しかも、役者の動きが極端に少ないんです。朗読劇か?と思わんばかり。最初は舞台面と字幕を必死に追いかけ、内容を理解するのに必死。これはどうしよう、と原作を読んで来なかったことを後悔。でも、少しづつ、字幕は確かに追いかけてはいるけど、普通に役者の芝居に集中していけた。動きは少なく、間合いもゆったりとし、そのなかでの動作はちょっと誇張された動作でいかにも芝居的動き。それでいて台詞の感情は非常にリアル。だからとても判りやすいんです。言葉がわからなくても人物たちの感情のあり方が骨太にストレートに伝わってくる。ストーリーがサスペンスフルなこともあり、どんどん惹きこまれていきました。どうするの?どうなっちゃうの?とっても哀しい物語で、泣きそうになっちゃった。また台詞には暗喩が込められているのだけど、その解釈も「今現在」に通じる解釈なので胸に迫ってくる。全部がわかったとは到底いえないし、断片を少し理解しただけかもしれないけど、でも凄く面白かった。自分がここまで入れ込んで観られるとは思ってなかったのでそれにも驚いた。人という肉体の表現てやっぱり凄いし、民族が違っても普遍性というものはあるんだと思った。その反面、感覚的なところでキリスト教での罪悪の考え方などは判りきれてないなというのも実感したし。こういう体験ができてよかった。

セットは超シンプル。舞台全体に白い大きな円錐を斜めにカットしたものを置き、廻り舞台で廻すだけ。高い部分が中央に来ると高い白い壁の前での芝居、斜面が中央に来た時はその斜面も舞台の立ち位置に使われる。部屋になったり森になったり、観客側のイマジネーションにおまかせといったところ。また極端な斜め舞台を役者に行ったり来たりさせることによる不安定さが戯曲にある物語のなかの人々の不安定さを表現しているようでありました。すさまじく効果的だったと思う。シンプルって凄い。でもこういう演出は役者がよくないと活きないんだろうなあとも思った。

今回のドイツの役者さんたち、それぞれとてもよかった。私は特に少女役の人が気になった。体つきからして本当の少女ではないと思うのだけど「本物の純粋な罪のない少女」だった。

それと今回の演出でどのくらい原作通りなのかどの程度原作を脚色しているのかはわからないけど、イプセンの戯曲、凄すぎ。読まなきゃです。「生きていくための嘘を奪うと、その人間の幸福まで奪ってしまう」という台詞が印象に残ります。

後日追記:

イプセンの普遍性というのは凄い。自身の問題を他に転化し押し付ける。最終的に一番弱いものに被害がおよび、その罪に対することの自覚なく生きていく。13番目の男。 何事も度が過ぎるとすべてに説得力を失いがち。どちらに対しても言える。積み重ねも失う。

現状に不満・プレッシャーをもっている男どもが弱きもの(この場合、女と子供)を不幸にしていく物語としても読めるし、もっと大きく「正義」とか「原罪」とか、そういう部分の解釈も。なれなかったものへのあこがれと転化、押し付け。愛情から憎しみへの転化。

未成熟と無垢の違い。

グレーグルスとヤルマールは合わせ鏡か。愛を信じられない男、夢を追いきれない男、責任の転嫁。

改めてドイツ・ベルリン座の役者さんたち相当レベル高かったと思う。肉体と台詞のコントロールが抜群でした。言語(ドイツ語上演)を理解できないのに感情があれほど伝わってくるとは。

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ベルリン・ドイツ座『野がも』
○演出:ミヒャエル・タールハイマー
○美術:オーラフ・アルトマン
○出演:アルモット・ツィルヒェル、インゴ・ヒュルスマン、
スヴェン・レーマン、ヘンリッケ・ヨハンナ・ヨリッセン ほか
1850年に設立されたドイツの伝統を誇る劇場の一つ。近代劇創始者のひとり、オットー・ブラームも芸術監督をつとめた。1905年にマックス・ラインハルトが監督となってからは、ドイツ語圏の最高峰の劇場として世界的に知られるようになる。現在のドイツの若手演出家の筆頭、タールハイマーの舞台は、2006年に来日して評判となった「エミーリア・ガロッティ」に次いで二度目の日本公演となる。今回の「野がも」は、その現代的かつ的確な解釈・演出によってドイツ内外で高い評価を受けた