湘南ライナー日記 SHONAN LINER NOTES

会社帰りの湘南ライナーの中で書いていた日記を継続中

部活に復活

2010-04-30 20:11:07 | あんな話こんな話家族編


「楽しー!」
我が家の高一女子は毎晩帰宅するなり、まずこう叫ぶのである。
高校では部活には入らない、ましてやバレーボールなんてもうやらないと公言していたのに、今は毎日バレーボールの部活のために登校しているようなもの(笑)。エライ変わりようなのだ。
入るつもりなどさらさらなかったのだが、一通り各部活をのぞいてみた。すると、バレーボール部の先輩たちがみんなジュニアや中学時代に対戦したことのある見慣れた顔ばかりだった。それが、心変わりの第一歩。しかも、同じクラスにもかつての対戦相手がいて、その子も入部するというのでさらに針が振れた。
そして、何より決め手となったのは、そこで目にした練習風景。
「先生がちゃんとした練習をつけてたんだもん」
学校から“あてがわれた”指導者だった中学時代には考えられなかった中身の濃い練習にときめいちゃったというのだ。
「中学の部活は何だったんだろう、あの3年間を返してほしい」と振り返るほど、今ではイキイキと取り組んでいる。とはいっても、これが決して強豪チームの話ではないのだから面白い。
そういえば息子はまったく逆のパターンだった。中学時代は市内でも1、2といわれるほど熱心な先生だったので夢中で部活に取り組んでいたが、高校では“あてがわれた”先生となりすっかり戦意喪失。1年の途中で早くも幽霊部員となってしまった。生徒たちに「先生にやる気がない」と言われてはおしまいだ(笑)。
つくづく学校スポーツは指導者だと思う。運・不運で学生時代が、そしてもしかしたらその子の未来までも決まってしまうと思うと、ちょっと恐ろしい。
「楽しー!」
普通の部活で素直にそう言えるのは、とても幸せなことなんだね。

まるまるレタス包み

2010-04-29 18:08:04 | 湘南夕日食堂


これはいったい何でしょう?
レタスを丸ごと食べようとしているわけではありませんよ(笑)。
何かがレタスに包まれています。












答えは…ハンバーガーです(笑)。

息子と二人のランチは、またしても湘南夕日食堂特製『グルメバーガー』。
ただし、今日はそのレタス包みなのだ!
昨夜ハンバーグを作った時に、あらかじめハンバーガー用に小さめで薄いパテをこさえておいた。そして、今日はそれをWで食べることにしたのだ。
ところが、いざ重ねてみたらとにかくすごいボリューム(厚さ)に。かぶりつくと、トマトやらオニオンソテーやらソースやらが次々に飛び出してしまった。こりぁお店みたいに紙の袋に入れないとダメダなぁと言いながら、ふと思いつく。
大きめのレタスを袋がわりにしてはどうか。
やってみると、これがなかなか素晴らしいものになった。紙の袋は、食べ進めながら少しずつめくっていかなければならない。手もベトベトになる(オレだけか)。
しかし、このレタス袋はそんなこと一切おかまいなしに、一緒に食べちゃっていいのである。しかも、常にシャキシャキと瑞々しくさわやか。もちろん手もサッパリしている。実においしく快適なメニューを発明したものだ(笑)。
かつて、モスバーガーにはバンズの代わりにレタスを使用したハンバーガーがあり大好きだったが、それともまた違うおいしさになった。早めに特許を申請しておいたほうがいいかな(笑)。
でも、いまレタスって高いから…いえいえ、今日のレタスは、たまたま寄ったスーパーの日替わりで1玉なんと150円だったのだ!


海の不幸、山の幸

2010-04-28 18:28:31 | 自分四季報


「大磯町大雨警報発令中」
1号線の電光掲示板のこんな表示を見ながら大磯港へ。
こちらを拝見してヨダレが出て、今日はオフの妻と息子を連れて出かけたのだ。
横殴りの雨と防波堤に打ちつけた波が白くはじける様が、「警報」という文字を際立たせる。
「いま40分待ちです。小一時間はかかるかもしれませんね。おまけに今日はシケで魚も上がっていませんから料理も限られちゃいます」
雨ガッパのフードの前を押さえながら車のところまでやってきて係の方が言う。
平日だし、雨だし、大丈夫だろうと開店時間に合わせてやってきたのに、甘かった。すごい人気なんですね。係の方と話している間にも、後から後から車がやってくる。
残念だが今日はあきらめることに。
普通にランチをして買い物を済ませた帰り道、ふと見上げた湘南平が霧に包まれていた。高い山なら、頂上が雲に隠れているような風景だ。
「上はどうなっているんだろう」という息子のつぶやきに反応して、ハンドルを切った。
上の写真は登坂の途中、車の中からのショット。緑のトンネルの先が霧の中。なんだか幻想的なシーンで、車内は盛り上がる。
展望台に上がると白一色。視界10メートルといったところか。かなり冷えている。
雨が小降りになる。すると、少しずつ見通しもよくなってきた。千畳敷へ歩みを進める。
あっと思ったら、今の今までまったく見えていなかった大きなテレビ塔がいきなり僕達の前に浮かび上がった。


どんどん霧が晴れてくる。同時にみるみる気温も上昇し、まったく寒くなくなった。
さっきは白い霧に隠れて見えなかった町並みが、今はくっきりと目に飛び込んでくる。
わずかの間に夢のようなひとときを過ごし、僕たちはゆっくりと坂を下っていくのだった。
魚料理は食い損ねたが、山で珍しい体験ができたね。
おや、よく見ると、テレビ塔にはいつのまに白いパラボラアンテナがたくさん取り付けられていますね。

ママチャリフルマラソン

2010-04-27 18:26:00 | あんな話こんな話家族編


昨日昼ご飯を済ませ洗い物をしていると、ただいま~と息子が帰ってきた。
たしか帰宅が遅くなると言っていたはずだけど…
「ハンコ、忘れちゃってさ」
その日に申請する書類と一緒に印鑑を持参しなければならなかったのだが、またまたやらかしてしまったらしい。
「ちょうど授業が空いたから、ちょっと取りに帰ってきた」
という。おいおい待てよ。「ちょっと」と言っているが、実は片道10キロもあるのだ。しかも、重~いママチャリこいで!
「メール寄越せば届けてやったのによ(もちろんオレも自転車でだけど)」
と言って僕は呆れてみせた。
しかし、彼にしてみれば入学式前後に、あんなことこんなことがあって迷惑をかけたという負い目もあったのだろう。ん~、けなだなぁ(笑)。
しばらくしてから、息子はまたママチャリにまたがって平塚のはずれに向かったのである。

ところが、暗くなって帰宅した彼の第一声は
「ハンコ、いらなかったよ」
である。往復20キロの道のりをママチャリで走ったのに、だ。
念のため、印鑑持参と書いてあるのですがと尋ねたところ「いや、だいじょうぶですよ」と軽く答えられてしまったという。
「あ~あ、時間がムダだった」と嘆きながらも「まあ今晩はぐっすり眠れそうだからいいや」と笑っている。このあたりの感覚が、どうも僕の血を引いていると思えて、こっちも笑顔になってしまった。それにしても…

ママチャリで2往復、40キロ!

もう、この記録は更新しなくていいと思うよ(笑)。
ちなみに、あさ雨が降っていてバスで登校した日の帰りに、小降りになったからと10キロをぶらぶら歩いて帰ってきたことがあった。あの日も、呆れる一方で親のDNAの存在を感じずにはいられなかったものである(笑)。

写真は先日歩いた横浜橋商店街で。本文とは関係ありません。ママチャリが写っていたもので(笑)。

イカすばんや天丼

2010-04-26 18:09:52 | B食の道


あれ?イメージと違ったなぁ…
これが、お店を目にした第一印象だ。

先日のおっさん二人の小径チャリンコ旅で、お昼に寄った千葉県鋸南町保田の『ばんや』である。
ネット上の情報では、もっとこぢんまりとした港の古い食堂といったイメージだった。ところが、実際には観光バスが乗り付けちゃうようなスケール。もう、ワイワイガヤガヤと人であふれかえっていたのだ。
7~8組待ちで「第一ばんやへどうぞ」と案内される。なにやら第3まであるらしい(向かいには団体専用の建物も見える)。もちろんスペースも大きいが、そこで働いているスタッフの数も尋常ではない。いやいや圧倒されてしまった。
さらに、壁にかけてあるメニューもかなりの数。その中から名物の『イカかき揚げ丼』(800円)を頼んだ。

混み合っているというのに、ほどなく丼、味噌汁、お新香、そしてなぜか何も載っていないお皿が一緒に運ばれてきた。
丼に箸を入れる。おや?かき揚げが厚くてなかなかご飯に行き着かない。厚いというか…写真ではわかりづらいが、丼とほぼ同径のかき揚げが、なんと3枚も重なっていたのだ。
なるほど!ここでようやく、何も載っていないお皿の意味を理解する。いったんこのかき揚げを、お皿に1~2枚置いてから格闘せよということだ。
僕は1枚だけはずして食べることに。おいしい。イカの弾力と玉葱の歯切れの良さが甘いたれとよく合う。ガンガンいける。でも、さっきからずっとガンガンいってるんだけど、なかなか減らない。いくらなんでも量が多過ぎるよ(笑)。

おや、隣席の70代とおぼしきご夫婦の前には『イカかき揚げ』が単品で置かれているぞ。丼ではないので、タレがかかっていない。見るからにカラッ、パリッとしていてうらやましい。丼に何も載っていないお皿が付いてくるのだったら、タレのかかったかき揚げは1枚だけにして、あとの2枚はカラッ、パリッのタレなしであらかじめお皿に載せておいてもらったほうがうれしいなぁ。というか、そのほうが間違いなく飽きずに食べられるはず。
最後のほうは望んで頼んだ者のプライドだけで、気合いでどうにか飲み込んだ(笑)。友人は、プライドなど捨てて1枚残す。

お店も、楽しみにしていたメニューも、今回は予想外だった。やっぱり、もっと田舎っぽくて枯れている小さなお店で、いかにも昔っからのメニューをのんびり食べるというのが僕たちにはお似合いなのだ。
しかし、見渡せば周りの人たちが食べているお寿司や煮魚、アジフライなども実にうまそうじゃないか。少し考えてからオーダーすればよかったのかな。
ただ、あれだけ食べたのに胸焼けが襲来しなかったのは幸い。さすがに夕飯は抜くことになったけどね(笑)。
B食バンザイ!


アジのたたき(手前)とアジのなめろう(奥)。二人で似たようなものを頼んだな。

晴天の阪田村

2010-04-25 20:07:22 | 湘南ベルマーレ


まるでこれまでもずっとレギュラーだったかのような落ち着いた坂田選手のプレー。そして、天敵ともいえる中原選手をしっかり抑えた田村選手のスマートさ。
二人に与えられた二つの賞は、納得です。
特に、田村選手。相手がヒステリックになるほど泥臭くいくマンマークではなく、少し距離をおいて終始スマートに対応。カラダをはるというよりも、クレバーなプレーが目を引いた。
時折、坂田選手に受け渡すものの、二人は似ているので中原選手には判別できなかったかも(笑)。
その坂田村兄弟はもちろん、今日はいつものように誰もが手を抜くことはなく走っていた(監督の言う「無駄走り」かどうかはわからないけど)。というか、いつのまにかテキトーにやるとか、最後まで追いかけないとか、手抜きをする選手はいなくなったんだなぁとしみじみ。いつのまにか誰もが当たり前のように全力で闘うようになった。そう思うと、J2時代に下位に低迷していた頃はやっぱり甘かっんだよなぁと、またしみじみ。
今日のようにたった1点で勝てるものも、全員が全力でやっているからだもんね。だからこそ僕たちも応援しがいがあり、勝てば喜びも大きくなるのだ。
しかも、今日はノーファールでの勝利!これも成長した証でうれしい。
おぉ、いま買い物に付き合ってスポーピア(シラトリ)の駐車場でこれを打っていたら、選手たちを乗せたユーバスが129をクラブハウスに向かって南下して行った!
本当にお疲れさま。さあ、次が大切。みんなで川崎へGO!



地獄のぞきと極楽ぽたり

2010-04-24 23:59:55 | おっさん二人旅


「今晩のアド街、たしか富津市だったよね」
「そうそう、でも惜しかったなぁ、これから行く鋸山は鋸南町だもんな」
朝、浜金谷港へ向かうくりはま丸の中で、おじさんたちは語っていたのだ。
ところが、さっき帰宅してそのアド街を見ていたら、富津市の第一位はマザー牧場を抑えててなんと鋸山だった!
でも、鋸山の上にある日本寺でもらったパンフレットの住所はやっぱり鋸南町。で、調べてみたら、富津市と鋸南町の境界線が鋸山の稜線になっていました。なるほど!
というわけで、久しぶりに大学時代の友人と小径自転車旅である。東京湾横断道路の通行料が800円に値下げになり大打撃を受けている東京湾フェリーを応援しようと、船上の人となった。船に乗る行為は、旅気分を盛り上げてくれるのだ。
そして、まず向かったのが、その鋸山。もちろん、山頂へのアプローチはロープウエイ。これで、また旅気分が高まっていく。


しかも、切符が硬券。係員さんが懐かしいパンチを入れてくれる!
到着した山頂の施設がいい具合に枯れていて、おじさんたちはさらに興奮だ。
展望台から急な階段を下って、拝観料600円を払い日本寺の敷地に入る。まず地獄のぞき(一番上の写真)へ。石を切り出した跡とはいえ、どうしてこんな形に残ったのか。そして、誰がそこへ行こうと思いついたのか。
一見すると恐ろしそうだが、実際にその場へ足を踏み入れるとアラ不思議。自分がいま居る場所の状況が見えないからか、案外怖くないぞ。


こうして横から見たら地獄のぞきの周囲の方が、かなり怖かったりして(笑)。

な~んだ地獄のぞきなんてたいしたことなかったじゃんと思っていたら、本当の地獄はその先からはじまった。とにかく、階段ばかり。しかも、かなり急な角度なのだ。パンフレットや旅行情報誌などのイラストマップからは想像できない、非常に厳しいアップダウン。しかも、どこをどう行っても階段がついてまわる。このところ運動不足の身には、かなりこたえる。息は上がる、大汗はかく、これは間違いなく苦行だと思っていたら、かつてここは修行の場だったとパンフに書いてありました。


これが、身丈だけでも21.3mあるという日本一の大仏様。ちなみに鎌倉の大仏様は11.3mなので、その大きさがわかる。でも、この写真ではわかりづらいので、下をどうぞ。左下の人のサイズと右端にいらっしゃる大仏さんを比べてみてください。


さて、ここからは修行の途中に拝める1500羅漢さんの一部を。






それでも、なんとか修行を終えて房総半島を南下し、とんでもないメシを食って、おっさん二人はぶらぶらするのであった。たった35分船に乗っただけで、のどかな田舎町を満喫できる。ウチのほうとは色も匂いも違う海辺のポタリングが楽しめた。さっきの修行は厳しかったが、あとは超極楽の房総半島だったのである。


こちらは1500羅漢ではありません(笑)。通りかかった海岸で行なわれていた東大少林寺拳法部の進入部員トレーニング風景。ある意味、修行(笑)。

湘南タオマフ1993

2010-04-23 18:37:01 | 湘南ベルマーレグッズ

『湘南ベルマーレ』は、2000年J2に降格する前は『ベルマーレ平塚』だった。
しかし、もっとずっと前、わずかな期間だが現在と同じ『湘南ベルマーレ』と名乗っていた時期があった。
それは、1994年Jリーグに昇格する直前のこと。『フジタF.C』だった1993年JFL(当時J1)リーグ戦中に、公募で『ベルマーレ』というチーム名が採用され、Jリーグ加盟を前提として『湘南ベルマーレ』になったのだ。
ところが、いざ昇格となった際に『湘南』という名称にイチャモンがついた。正式名称はホームタウンの都市名でなければなんというJリーグからのお達しである(じゃあ『ガンバ大阪』は『ガンバ吹田』じゃないのかと文句を言いたかったけどね)。そこで、『湘南ベルマーレ平塚』を経て『ベルマーレ平塚』となる。
このタオルマフラーは、そのわずかの期間『湘南ベルマーレ』と名乗っていたころに製作されたものだ。肩には、まだ『Fujita F.C』と記されている。
ご存じのように、その後クラブ消滅の危機に瀕してホームタウンエリアを拡大、名称も『平塚』から『湘南』に変更することに。今度は、Jリーグのお墨付きとなるのだから面白い。
さて、タオルマフラーと書いてみたものの、周囲の始末などからしてただの細長いタオルにも見える(笑)。たしか入場者に配布されたもののような記憶があるので、それも仕方ないか。ただし、今となればベルマーレの歴史を語る“お宝”なのである。