湘南ライナー日記 SHONAN LINER NOTES

会社帰りの湘南ライナーの中で書いていた日記を継続中

あの日あの時あの場所

2016-10-24 23:11:27 | 思い出日和




神奈川新聞の19面と20 面に意図したのかどうかは不明だが、元オフコースのお二人が掲載されていたので、先日実家の物置で発掘したこんな写真を。

横浜三越(現在のヨドバシカメラ)10階か11階だかにあった「テクニクス横浜」で定期的に行われていた公開録音の一コマ。たぶん40年位前の写真だ(笑)。

ラジオ関東(現在のラジオ日本)の「オフコースの小さな部屋」という番組。当時はまだ全く人気がなかったけれど好きでよく通ったものだ。

ときどき小田さんがピアノの回もあったが、毎回観覧者が数えるほどだったので(笑)、いつも最前列で陣取っていた。
ただ、デジカメもない時代に、なんで写真なんか撮ったのか全く記憶がないのである

七年後の向こう三軒両隣

2016-10-21 23:52:09 | 思い出日和


以前の職場が入居していたビルの隣が「ドン・キホーテ」になっていて驚いた。
前は何が建っていたのか聞いてもほとんどの人が覚えていなかったが、さすがに重鎮は「谷川電機(製作所)ですよ」と即答。

そうだった、そうだった。
戦後間もなくのような趣のあるベージュっぽいすてきな建物だった。古い観音開きの玄関の向こうに見える事務所の風景が、ザ・昭和という感じだったなぁ。

反対隣の「白木書店」もそのまま。大好きだった「味の店 後楽」も外観はそのままだったけど、相変わらずお弁当がメインで店を開けていないらしい。その隣のラブホはすっかりおしゃれにリニューアルされ、隠微な雰囲気が薄れていた(笑)。

まぁ7年も経てば変わるのは当たり前か。
暗くなった道を水道橋駅へ向かい、久しぶりに金毘羅さまに手を合わせて帰路に着いたのである。

奇跡が丘ショッピングセンター

2016-07-01 22:54:13 | 思い出日和


先日紹介した「日本一高くてまずい店」があったのは「希望が丘ショッピングセンター」だ。

小学生のころは隣駅に住んでいたので、ここへは野球用品を買いに自転車でやってきていた記憶がある。スポーツ用品店もあったのだ。
当然そのころは入居している20ほどの店舗ほ絶賛営業中だったが、アーケードがかかっているからか今と同じでやや暗い印象だった。

それでも各店が開いていたのでもう少し明るかった気もする。現在営業しているのは4〜5店ほどで、ますます暗い。

ところが、もうずっとこんな感じなのに半世紀を経た今でも残っているのは奇跡だ。

駅前の一等地でほとんどの店のシャッターが下りていたら、普通ならとっくにどーんとマンションに建て替えられているはず。
どのような理由で残っているのかは分からないが、この昭和感は今のうちにしっかり味わっておきたい。

そのうちガラガラと大きな音を立ててシャッターが開いて、スポーツ用品店のおじさんがにっこりしながら出てきそうな気もするのである。


手前と向こうに入口があって、中がコの字でつながっている。








Face to Facebook

2016-04-18 23:05:46 | 思い出日和


先日、フェイスブック上で「高校の同級生ですよね」と問われた。
なにしろ中学・高校あたりの記憶がとびきり希薄。特に高校の卒業アルバムも紛失しているため、なかなか思い出せない。

プロフィール写真を見て、何十年も経ってはいたけど引き出しを70個ほど開けたところで、低い声を聞いた。

そう、彼は高校生離れしたとびきり魅力的な低音の声の持ち主だったのである。

今日の夕方、蔵書室の扉が開くと「こんばんは~」と、その低音が響いたのだ。


間違いなく卒業式以来の再会。


聞けば、鎌倉市内に勤務しているというではないか(とはいってもモノレール沿線だけど)。

昔話、病気話、子供話に花が咲いた。彼はすでに二人の孫もちだった。

おまけに会員になってくれた。

なんだかとてもうれしい日になったよ。
ありがとうおじいちゃん!


先日も中学時代の同級生とフェイスブック上で再会したし、フェイスブック、すごい!
リアルに再会できるきっかけにもなっている。老後の楽しみが増えるなぁ(笑)。

遠い記憶も消えていく

2015-12-03 23:45:04 | 思い出日和


パン・アメリカン」が、いよいよ解体だそうだ。
マスター、どうしているだろうか。
当然、いちど入ってみたかった隣の中華飯店の中身も、もうなかった。



パイプは以前からあったもので、解体工事のために組まれたものではない(笑)。
いつ壊れても(壊すことになっても)不思議ではなかったけれど、いざ作業が始まると、とても寂しいものだ。街の記憶があちこちで薄れていく。


とうきゅうの旧友

2015-10-19 23:15:03 | 思い出日和


お昼過ぎ、階段を上がってくる靴音が聞こえ振り向くと、見たような顔のおじさんが立っていた。

「おぅ、わかる?」
と言った笑顔に、時間が20年以上巻き戻される。

白髪頭に立派なお腹ではあったが、間違いなく新卒で入社したときの同期だったのだ。
わかるもんだね。

「写真を撮りに来てさぁ、長谷から海に行こうとしたらいつの間にかこっちに来ちゃって。だったら寄ってこうと思って」

理由はどうあれ、嬉しいじゃないか。
しかも、手にシュークリームを提げて。

「たしかブログでシュークリームのこと、書いていたから」

いやぁ、ありがとう。その気持ちも嬉しい。

ちょうどお客さんも来なかったので、たっぷり旧交を温めた。
若い若いと思っていても、やっぱりおっさんになったと認め合うしかないのだと、しみじみ。

でも、元気で何より。
また、来てね。手ぶらでいいから(笑)

こういう場所だからこそ、いろんな人が訪ねてきてくれるのだと思う。いつかも、この日記の読者だという方がいらっしゃったしね。みなさん、お待ちしています(笑)。



そうそう、そういうわけで、今日も買っていった「ミニクリームパン」は、明日に回ったことは言うまでもありません。

駅チカの思い出

2015-10-07 20:39:52 | 思い出日和


子供のころから社会人になりたての頃まで住んでいた場所から、二俣川駅方面を望む。
その頃から計画されていた南口の整備と道路を通す工事がようやく始まっていた。
蝉やカブト虫をとった林は姿を消し、その向こうにあった相鉄会館(電車のシュミレーターがあって内緒で座らせてもらったことがある)のビルも取り壊され、駅が丸見えだ。
おぉ、駅がこんなに近かったんだ。

ただ、実際にはぐるりと右側の丘を越えていかなければならず、5分ほどかかった(5分なら充分近いか)。
そこをよく走ったもので、ホームまで2分だった(笑)。

今はもう、そんなムリはできないけどね。
しかも、今日は老父母のお供だったので、牛歩である。
でも、みんな一緒にかつての住居跡に立てたのは、ちょっと感慨深いものがあったな。

ラガーマンの憂鬱

2015-10-05 23:36:43 | 思い出日和


こう見えても(どう見えてる?)、かつてはラガーマンだったのである。

え~っとぉ、高校の頃ね。
しかも、3年生のとき。
はい、体育の授業で。

と、笑うなかれ。

なんと我が校は3年生になると、体育の授業はほほラグビーに当てられる。最後に卒業記念のクラス別対抗戦が設定されていて、そのための練習を毎時間やるという変わったカリキュラムだったのだ。

体育の先生が僕に課したポジションは、スタンドオフだった。
スクラムとかモールに参加しなくていいのはありがたかったが、出てきたボールを最初に受けるので、相手が猛然と襲いかかってくるのだ。もう恐ろしくて恐ろしくて、とにかく速くパスするなり蹴るなりしようと必死だったのを思い出す(笑)。

そして、試合の日、プレー中に僕らは鈍い音を聞く。
早々に運転免許を取り「今日、納車なんだ」と朝からウキウキだったクラスメートが足の骨を折ったのだった。

このところラグビーの試合での激しいぶつかり合いを見るにつけ(あんなに激しかったわけじゃないけど)、なんだか足下がゾワゾワしてしまうのである。

ちなみに、1年間、僕らにラグビーを仕込んだ先生は、後にラグビー部の監督となり何度も花園へ行くことになった。

月江寺仮面あらわる

2015-06-26 20:13:00 | 思い出日和


実は、かねてより行ってみたかったのが、月江寺という町。一度はたっぷり歩き回ってみたかったのだ。
先日、突然さくらんぼ狩りに山梨に行くことになり、おぉだったら一目でもと、むりやり吉田うどんを食べる口実を作って寄ったのである(笑)。

感動した!

商店街や飲み屋街がどこまでも広がっている。月江寺だけじゃなかった。富士山駅から月江寺駅を挟んで下吉田駅まで3駅ぶん続いちゃってた。すごいスケールな上に、そのほとんどが三丁目の夕日みたいな風景なのだ。

昭和ファンは例外なくヨダレが垂れ流し状態となる。

しかもだ、そんな巨大なセットを歩くエキストラの姿がほとんど見あたらない(笑)。

かつて繊維工業が盛んだった時代には、ここを往来する人であふれかえっていたのだろう。
みんなどこへ行ってしまったのか。
そして、商店の多くはシャッターを閉め、息を潜めている。営業中のお店を見つけるのは難しい。

中にはもう住む人もないのか、朽ちはじめている店も。保存はできなくとも、誰かが記録しておいてくれるといいな。ぜったいに風と共に去ってしまうはずだ。

今回は小一時間だったので、やっぱりなんとか都合をつけて、飽きるまで歩き回らないと。こんなすてきな昭和を、せめて自分の記憶の中にとどめておきたいと思う。縁もゆかりもない土地だけど。




看板建築博覧会開催中(期間限定かも)

























やっぱり昭和じゃんと思ってここをロケ地にしただろう映画があった。ぜひ借りてきて観よう。

ゴハンの節句

2015-05-05 18:15:09 | 思い出日和


先日実家で片付けをしていると、僕がホントに幼い頃に使っていたご飯茶碗が出てきた。
まぁ、よく残っていたものだ。
このイラスト、デザインは、とても遠いけれどハッキリと記憶に残っている。
片付けのはずだったが、紙に包んでもう一度、箱の中に戻しておいた。