晴れ、ときどき映画三昧

映画は時代を反映した疑似体験と総合娯楽。
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「マレーナ」(00・伊) 70点

2015-07-16 15:41:40 | (欧州・アジア他) 2000~09

 ・ 少年の目を通してムッソリーニ時代のシチリアを描いたJ・トルレナード

                   

 「ニューシネマ・パラダイス」(88)のジュゼッペ・トルナトーレが、ムッソリーニ時代の故郷シチリアを舞台に少年の一途な片想いを描いた物語。

 ’40の春、シチリア島漁村に住む12歳の少年レナート(ジュゼッペ・スルファーロ)は自転車を買って貰いグループの仲間入りをする。

 そこで視たのは村一番の美しい女性マレーナ(モニカ・ベルッチ)で、その時以来頭に浮かぶのは寝ても覚めても彼女のことばかり。

 <女は美しいことが罪作りである>ことを、時にはコミカルに時には残酷に、無力な少年の目を通して大人社会を描いていくトルレナード。

 男たちは欲望の対象として、女たちは嫉妬の目で絶えず視線を浴びるミューズ役は、イタリアの宝石M・ベルッチなくして成立しないような展開。

 それを意識しながらも堂々と村を闊歩するのがマレーナで、夫が戦地に赴き独り一途に想いながらアリタ・ヴァリのレコード「MA L’AMORE NO」で踊るシーンは覗き見するレナートでなくても男から見れば魅力的。

 男なら、少年時代出会った年上の女に憧憬の念を抱いた経験は誰にもあるはず。夢の中でそのヒトと善からぬ妄想をするのも自然現象だが、さすがに映像で見ると恥ずかしい。

 レナートができることは、マレーナを遠くから見守ることだけ。それはストーカーと変わりないが、観客は同じ視線で見ることになりどうしても男目線となってしまう。

 戦地に出向いた夫の訃報・父親の死・不倫裁判・マザコン弁護士との結婚、ついにはドイツ兵相手の娼婦になったマレーナ。レナートは、元気をなくす出来事が続き家族を心配させる。

 父親がとった荒療治はプロによる童貞を失う儀式。これには幾らイタリアでも早過ぎるだろうと驚かされた。イタリア映画にはこういったオーバーな喜劇シークエンスはつきものだが・・・。

 マレーナはミューズなので、殆ど台詞を発しない。存在そのものの演技はモデル出身であるM・ベルッチのスタイル・容貌を上手く生かし切っての起用が見事に嵌っていた。

 そのミューズが村の女たちにリンチされるシーンは残酷で、傍観する男たちも無力だ。

 終盤で、マレーナとレナートがそれぞれ新しい人生を歩み出すところで幕が下りる。どうやら筆者が観たのは日本用短縮版(92分)のようだ。

 半ズボンから長ズボンになったレナートが<お幸せに!マレーナさん>と言ったとき大人への第一歩を踏み出した清々しさがいっぱいで、エンニオ・モリコーネの音楽がシチリアに流れ、観客を安堵させてくれる。

 イタリア映画はラストシーンがいつも感動的だ!
 
 
 
 


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