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「ホワイトハンター ブラックハート」(90・米) 75点

2015-07-01 17:02:42 | (米国) 1980~99 

 ・ C・イーストウッドは、自身とJ・ヒューストンを重ねていた。

                   

 「アフリカの女王」(51)でキャサリン・ヘプバーンと共演したハンフリー・ボガートがオスカー・主演男優賞を獲得したが、その監督がジョン・ヒューストン。アフリカ・ロケに同行した若き脚本家のピーター・ヴィアテルがそのときのエピソードを描いた原作・「アフリカの女王#エピソード」をクリント・イーストウッドが監督・主演した異色作。

 脚本がジェームズ・ブリッジス、バート・ケネディの異色コンビで原作者のP・ヴィアテルも加わっている。

 大ヒット作を生み出していたJ・ウィルソン(C・イーストウッド)だが、自分が気に入った作品以外は興味を示さないプロデューサー泣かせの監督で、「アフリカの女王」は象狩りをすることを条件にOKした作品だった。

 多大な負債を抱えているプロデューサーのランダース(ジョージ・ズンザ)は予算削減のため主要な部分はイギリスで撮って、どうしても必要なシーンだけアフリカ・ロケするよう勧めるが、ウィルソンはオール・アフリカ・ロケを主張する。

 ランダースは止むを得ずロケハンにユニット・マネージャーのロックハート(アラン・アームストロング)を監視役として付ける。

 撮影より象狩りに夢中なウィルソンはエンディングをハッピー・エンドにしたい脚本家ピート(ジョフ・フェイ)の話は上の空で、頭の中は象狩りでいっぱいだった。

 ウィストンのモデルであるJ・ヒューストンは若いころ軍隊経験・放浪生活・メキシコ部隊・ボクサーなどを体験した自由奔放な人。魅力と狂気を併せ持った性格で実生活では結婚を5度している。

 本編では撮影で使う古い蒸気船で自ら川下りをしたり、オンボロ軽飛行機でロケハンしたり、危険を顧みない破天荒ぶりを見せる。

 またユダヤ人を軽蔑した女性に対しハッキリ反論したり、黒人を虐待した支配人と決闘を挑んだりする監督の種差別主義者であることのエピソードがある。

 (J・ヒューストン監督はO・ヘプバーンが出演した西部劇「許されざる者」(60)でも人種差別がテーマだった。)

 自身をJ・ヒューストンに重ねている節が窺えて興味深い。イーストウッドが同名異作の西部劇が作られたのも無関係ではなさそうだ。何らかの影響があったのだろう。

 彼が最も共感したのは、プロデューサーが頂点であるハリウッド制作システムへの抵抗感だったかもしれない。本編でも若いピートに「映画をつくるときハリウッドのおえらいさんのことを考えちゃだめだ。自分はオスカー特別賞をもらって、作品・監督賞をもらうような連中を天国から笑ってやるんだ。」と言っている。

 「像を撃つのは罪だ。その罪を金を出して買えるからやってみたい。」と象狩りに魅せられたウィルソンは大自然の摂理で思わぬ終結を見せる。

 主人公たちが死ぬというストーリーをピートの言う通りハッピー・エンドにすることをあっさり認めたウィルソンには、もはや力なく「アクション」の声で撮影するすべしかなかった。
 
 C・イーストウッドが、持論である<JAZZと西部劇はアメリカの文化だ>を実践したのは「バード」(88)と「許されざる者」(92)だが、本作はその中間に作られたもの。製作費24百万ドルを掛けカンヌの招待作品となり好評だったが、北米ではその10分の1しか収入がなく興行的には失敗作だった。

 しかし、セルジオ・レオーネ、ドン・シーゲルを尊敬するイーストウッドは、J・ヒューストンを反面教師として短期間に予算内で作る映画の大切さを改めて実感した作品でもあった。その後のエネルギッシュな活躍はその裏付けでもある。

 

 
 
 


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