晴れ、ときどき映画三昧

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「浮草」(59・日) 80点

2014-11-21 17:56:59 | 日本映画 1946~59(昭和21~34)

 ・晩年の小津作品では義理人情世界を描いた異色作。

                    

 松竹の至宝・小津安二郎が唯一大映で監督した本作は、晩年の小津作品では異彩の輝きを放っている。

自身のサイレント映画「浮草物語」(34)のリメイクなので、東京で暮らすサラリーマン一家での家族を描いた一連作品とは趣が違って、戦前の旅廻り一座の人間模様や、地方の漁港での暮らしぶりが余情豊かに描かれた異色作だ。

 筆者が幼少の頃、母親と一緒に観た旅廻り一座。映画館がなくても股旅ものに、幕間に踊りがあってもうひと芝居ある3本立ては、子供心に興奮して観た記憶が蘇る。

冒頭で一座が興行を前にビラ配りをしながら若い衆が女探しをする風情が、旅廻り役者と土地のひととの関係が観られて何故か<古き良き時代の?日本>を観るようで面白い。

 一座の座長は初老の嵐駒十郎で先代・中村鴈治郎が扮している。ドサ廻りの役者にしては風格がありすぎる気もするが、人生の紆余曲折を経ながらなお色気を感じさせる旅役者ぶりを演じて流石。

 一座の花形で座長との仲も夫婦同然のすみ子を演じるのは京マチ子。気風が良いが情が深く嫉妬深い。女剣劇の国定忠治はワザと棒読みの台詞で如何にもという芝居で雰囲気が出ていた。大女優の芸の幅を感じさせる役柄で、こういう女を演じても魅力が画面から溢れ出ている。

 久しぶりにこの漁港に来たのは訳がある。一膳飯屋・お芳との間にできた息子・清に会いに来たのだ。清は成長し地元の郵便局に勤めている。親子の名乗りはしないまま伯父・甥としての再会だ。お芳は杉村春子・清は川口浩が演じている。小津作品の常連・杉村の抑えた演技には感服する以外にない。ちょっとした眼の演技でヒトトナリや感情が浮かび上がってくる。

 お芳の存在に嫉妬したすみ子が、一座の若手・加代を使って清を誘惑すること。この経緯がなかなかお洒落で、電報を頼むふりをして電文で清を誘うという手口。若さから自然に湧き出る色気を若尾文子が発揮している。純情な清は<赤子の手を捻る>より簡単なことだったが、世の中は皮肉で<嘘から出た実>となってしまう。

 ハイライトは雨宿りの軒下で道路を挟んでの駒十郎とすみ子の罵り合い。溝口健二のコンビだったカメラ・宮川一夫のアイデアを小津がそのまま受け入れ、イキイキとした男と女のヤルセナイ情愛がコダマする名場面となった。

 ローアングル、固定カメラ、カットバック、同一画面での人物並列描写などいつもの様式美も健在だが、俯瞰で撮った映像も新鮮で、台詞も多くアップも多用して小津作品の定番を覆している点も見逃せない。

 庭の鶏頭など赤が絶えず画面を飾り、夜汽車のテール・ランプで完結する情感溢れるラストシーンが2人のこれからを暗示するようだ。

 小津は北陸を舞台に進藤英太郎、淡島千景、有馬稲子、山田五十鈴で映画化を企画しロケハンまでしたが、雪が少なく断念したとのこと。本作と見比べて遜色のないキャスティングだったので実現して欲しかったが、溝口健二と大映で撮る約束を果たした本作はカケガエのない作品となった。