The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

日本の首相は超人で日本政府という新たな日本教を作り出すメディアたち

2015-08-23 02:53:20 | Weblog
世界同時株安は、なんとアベノミクスのせい、とメディアたちは堂々と記事にして配信している。おまけに脱水症状で亡くなる老人たち、社会における犯罪までが影響を受けるらしい。まさに新たな日本教と教祖としての日本首相の登場だ。しかし、神道として超人伝説は数々あるが、経済への影響とか、自然の天候にまで影響というのは最強の超人ということだろうか。ならば、この超人の武器が憲法9条による他国からの武力攻撃をブロック。うーん、こんなプロットで新しいライトノベルとか書けるかな?

さて、朝鮮半島の行動がなかなか真夏の大イベントとして大変興味深い。なにせ南北のどちらも「金くれ!!〜!!」としかセリフがないのだ。それも日本に対してとなれば、「日本は今、夏休みで窓口は閉じています。」と看板でも出しておけばいい。在韓日本大使館は危険な場所にはいかないように、と警告するだけで、帰国すら促さないということは、在韓は危険じゃないとの判断らしい。本当に?日本国民の生命なんて守るつもりなんじゃないのか。それとも日本に帰国してもミサイルが飛んでくるから安全じゃないので、帰国しないでもいい、という判断なのか。外務省の広報はこれについて、しっかり説明して頂きたいのだが、一切そういった会見はない。新たな宗教というのなら、日本教の信者となるべく日本人の生命ぐらいは守るという姿勢は貫いて欲しいのだが。現実を見ろというのなら、まあ、そういった会見でもいいから日本国民のためにやってもいいのだが。無視という対応こそ、正しいのは理解できるのだが、日本国民だけは見捨てて欲しくない。野党や安保法制反対を訴えているような組織や集団は、朝鮮半島に居住している日本人の生命などどうなってもいいってことなので、こういった点もメディアははっきり記事で知らせないでいいのだろうか。だって、メディアは中立で市民や国民の立場からの目線で政府や体制を批判するのだろう?

そういえば、日本のメディアは米國および米國海軍たちが日本でやっている文化交流を報じない。この暑い夏に海軍の兵士たちが沖縄の老人宅の庭の草取りやらいろいろ貢献している。もっとも活発なのが英語教育への貢献。東京近郊でも昔から英語教育への貢献として、基地近郊の喫茶店とかで英語カフェなどのイベントがあった。まあ、俗にいうFxxxとか、これに相当するボディーランゲージとか当時から若者たちは興味を持って聞いていた記憶はある。どうしてこういった活動をするのか、考えて頂きたい。安全な地域とはどうやって維持されるのか。例えば、軍は不要という人たちですら、住民同士の監視を否定するが、これがもっともコストがかからずに確実な方法だ。新参者がどういった行動をするのか、新参者がスパイかどうか、こういった監視活動は社会主義国では一般的で、報告義務もある。日本といえば、となりの家から大きな怒鳴り声や物音が聞こえてきても警察に通報というのは珍しいらしい。昔は即通報したらしい。治安維持とは、窃盗などの犯罪を監視するだけではなく、まさに安全保障としての監視も機能する。ある意味、米国の軍事基地を他国に置く場合の戦術として、地元への貢献というのはなかなか学ぶところが大きい。企業が進出する場合も、マクロ的展開以前にミクロ的なマーケティング展開をはじめに実行するのと通じるところがある。中国は孔子学院という教育分野を使った地域への侵略。日本はどういった市場への進出戦略を持っているのだろうか。

たぶん、日本メディアが日本政府を叩きたいがため、なんでも日本首相や政府が原因とする説がそろそろ限界とも言える。
だったら、日本株式会社の経営方針としての批判ならどうだろうか。世界同時株安なんて、中国経済危機という状況から誰もが予想していた。あまり驚くべきことでもない。こういった経済の先すら予想しない経営者なら、そりゃ倒産しても当然だ。自由経済の利点は、倒産するところは倒産し、新たな産業や企業が生まれることで循環するのが利点。悲しいことに日本の若者たちは、起業しようという活動よりも夏を謳歌して楽しめるような集団行動を欲しているようだ。なにせ楽だからね。起業は夜も眠れない日もあるだろうし、それこそ胃が痛くなるような状況も多い。そうやって学び、ビジネスを確固たる利益を生む構造を築いていく。

日本国内のビジネスはまさに日本人だけが成功するという訳じゃない。外国人だって成功する。よく外国人は非合法なビジネスをやるから儲かるとかいう人がいる。必ずしも当たっているとは言い切れない。もちろん、外国人のビジネスには税制上の優遇はある。しかし、それだけでぼろ儲けできる訳ではない。利益は大きくないとしても生活できるだけの利益を生むようなビジネスチャンスは、どこにでもある。もっとも代表的なのが飲食店。だが、日本は飲食店を開くために取る許可、申請という手続きがある。しかし、こういった手続きを無視したホームメイド料理を露天などで売っている外国人もいる。何が言いたいのかと言えば、法律だとかルールを徹底させるためには、常時監視するようなシステムがないと意味がないという点だ。

法律やルールが存在する理由はなぜなのか。つまり食品衛生が徹底されてない場合、集団食中毒などの事故が起きる。飲食店の申請先が保健所というの知っているだろうか。日本は公衆衛生に対して、他国のどこよりも徹底している。最近は幼稚園や小学校で教えてないらしいが「飲食の前には手洗い。トイレから出たらで洗い。犬猫いなどの動物を触った後は手洗い。」を小さい時には教えられる。家でそう教えられるから自分は実行していたが、外国の幼稚園や小学校では教えない。
これだけ公衆衛生に対しての価値観も国よっては違う。ゆえに飲食店における衛生状況だって相当違う。ここをどれだけの日本人が認識しているだろうか。もちろん、メディアもだ。外国の有名飲食店も同じで、テレビ番組で有名なシェフがレストランなどの経営改善をアドバイスする番組がある。多くがこの調理場の衛生改善。理由は簡単。お客様に提供するサービスがどんなものか、すべてのスタッフが共通認識できるのならば、それは成功への道となるからだ。調理場の衛生がよければ、掃除する時間も短縮するし、取り扱い食材の品質も維持され、調理への品質も保持される。調理の品質も調理しが品質を維持しようとする姿勢があるかどうかで決まる。同じく工場などでも現場での安全性を重視することは事故を減らす。事故が発生すればそれだけで業務は停止し、損害を生じる。安全こそ、コスト削減となる。

前に日本語がうまくない外国人と日本人が調理場で揉め事を起こした事件があった。言葉の問題かと言えば、違う。コミュニケーション。言葉はコミュニケーションの道具ではあるが、言葉だけではコミュニケーションは築けない。特にチームワークによる成果となれば、なおさら言葉以上に必要なのが共通認識。コンセンサス。目標が同じであることをまずはお互いに認識する。これがなければ成果を得る時間も手間も違ってくる。目標はすべてのスタッフにとってWinとならないければいけない。そうじゃないと特定の人だけが利益を得られないまま、奉仕となるからだ。これでは平等とは言い難い。利益の差は費やされた行動への報酬なので、これを平等にする意味はない。それぞれの役割があり、役割ごとに費やす行動もメンタル面、責任も違っている。こういった構図はビジネスだけではなく、地域社会における安全確保にも生かせる。

日本人の共通目的とは何なんだろうか。旬なのは平和維持のために他国からの攻撃に対抗できる軍の準備だ。沖縄県知事は中国から核ミサイルが飛んでくるから米軍は抑止力にならない、と言ってた。米軍が映画のような装備を持ってないのだから物理的な抑止力にはならないのは、誰もが知っている。ただし、米軍基地が狙われるという意味は、米国を狙うことと同じという認識は理解されているのだろうか。これは他国にある米軍基地はみな同じなので東京近郊もだ。さて、どうして米軍は東北大震災で大活躍したのか。こういった視点から記事を書いているジャーナリストは日本にも外国にもいない。たぶん、原子炉事故関連の部分はタブーだから誰も触れないのか。それともタブーだから好き勝手に想像で反原発を望む人たちが自由に創作できるのか。どちらにしても新しい日本教祖が超人であっても簡単には解決はできない問題だが。

歴史や過去ばかり見ているから、日本は先に進めない。歴史修正主義というのは、歴史が重要だから改ざんしようとするだけだ。別に過去がどうであれ、それは時間の流れの一つの点でしかない。その点が繋がって今に至り、未来への道を紡ぐ。こういったしっかりとした認識があれば、自分としては別に恥じることはないと考えている。罪とか罰は人間が作ったものだ。神が作ったというが、神から人へ伝えた価値観を神の言葉としているだけ。つまり、人が介在している限り、神の言葉が正しく人に伝わるとは限らない。過去におこった事象も同じで、それぞれの視点から見れば違うのも当然。三角錐を上から見れば円だが、横からは三角。だが、実際には三角錐。こんなことをいつまでも議論したって何も生まれない。ある意味、人間の寿命が100年未満でよかったと感じるのは、過去にこだわる人が多いからだ。温故知新とは、過去にこだわるのではなく、過去の事例を参考に新しいことを知るという意味だ。時間は点。つまり、一箇所に止まらないで動いている。この世のすべては変化し続ける。人間の意識も同じ。

過去が現在に影響を与えるように、未来も現在に影響を与える。by ニーチェ



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