The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

自由と権利は自らが守る

2015-01-15 04:27:25 | Weblog
フランスの風刺雑誌記者の惨殺事件で、多くの日本人や他国の記者は風刺雑誌側が未だ挑戦的にイスラム教への風刺を続ける姿勢を批判している。誰もこれ以上の被害を出したくないという本音が見えて来る。しかし、フランスは違う。表現の自由において、誰かが不快になるのは当然だろう。すべての人が不快を感じない風刺などない。また、権力者や体制側であればどんな風刺だろうが問題ない、という人もおかしな話だ。何故、宗教が批判され、風刺の対象になるのか考えて頂きたい。触れてはいけない神聖な領域?否、特定の思想家、宗教は時には一般社会になじめず、孤立している。ここが問題だ。多くの人がともに生活するためには、共通のルールを守る必要がある。それは法律であり、社会の常識だ。しかし、特定の思想家や宗教はこういった一般社会へ適用するために必要な常識を許容しない。これでは共存などできるはずもない。そのひとつが服装だ。ほかにもいろいろある。異文化における共存とは、共通の社会ルールを守る前提に成立する。こういった背景があるからこそ、風刺という自由が誰かが不快になってもそれを否定できない、ことへ向かう。

ヘイトスピーチを禁止するデメリットは、あらゆる分野において、表現が固定化される。例えば、児童ポルノにおいて子供の姿をした天使の裸体ですら、不快と感じる人がいれば、どうか。歴史的、社会的問題として、ある国、ある種族が大量に移民となってやってきて、あらゆる面で摩擦や衝突が起きるのなら、それに対しての不満をどう表現すればいいのか、と問いたい。不満を言う行為を禁止することは、すなわち、表現の自由を禁止することだ。できるなら双方共、禁止というのならまだ納得できるのだが、相手側は自国で日本へのヘイト行為を国家レベルで教育までしてやる。そんな国の出身者へ不満すら口にしてはいけない、という制限はどんな世界なのか。傷つくからいけない。生きている限り、傷つくことなどたくさんある。過敏症になって、あれこれ文句をいう側こそ、精神的に問題があるのではないのか、と言いたい。これを口にすると侮蔑さえたとか、精神疾患者への差別だとか言い出す。言いたい不満も愚痴すらこぼせず、日本人はどうしたらいいのだろうか。だから、原因そのものを排除したいと考えるのは、どの民族だろうが、国籍だろうが当然の行き着く先だ。こうなると共存するためには、交わらない、という孤立することで双方の不快感をなくすしかなくなる。心から交わればよい、とかありえない。話し合いも同じで、背負う目標が相容れない場合は、どんなに交渉しても先には進めない。少しづつ双方が妥協点を探りながら近づく以外に成果がでる交渉などできるはずもない。これを知らない人は、話し合いで解決できる、と強行に言い出す。

権利とは、すべてに通じる共通項ではない。誰もが不快を感じないとか、誰もが笑うとか、そんな状況を満たす場合のみ権利が存在する訳ではない。表現の自由を発する側の権利とは、発する側が特定の目的を持って表現する権利だ。これは誰かが不快と感じようが、権利は発する側にある。不快と感じた人は、抗議する権利がある。
ただし、武力によって抗議するのは、テロだというだけだ。日本人はいい加減、いい子ぶりっ子ややめた方がいい。不満を不満と表現できない状況を異常と気づくのが先だろう。だから鬱などがまんえいする。言われた側も過敏に反応しすぎるのもどうかと感じる。戦いとは、武力だけではなく、言論の戦いもある。こういった戦い方を日本人は学ばないから、未だに外国で慰安婦像を建立されて、右往左往する。別に放置しておいていい。日本人がいじめられる?何故? そもそもはるか昔の出来事で、現在の日本人がいじめられる、というのならそのいじめる側が問題だろう。外国なら、さっさとそんな国は捨て去って、帰国するか、別な国に移動すればいい。米軍基地とか原子炉とかが居住地近くにあって生活がうんぬん、という人も同じ。文句をいう前に、現実的になって考えるなら、そんな文句のために施設が移動するか考えて欲しい。これを居住の自由とか、権利というなら、さっさと訴訟なりで争えばいいのであって、工事の妨害活動などは抗議の手段として正当ではない。

日本のメディアは自体を正しく認識して、誤解がないような報道をやっていない。フランスはイスラム教徒やイスラム国と戦うとは言っていない。イスラム過激派のテロと戦うと言っている。そのため、ペンによる表現の手段は選ばない。むしろ、真正面からぶつかることで、問題点は明確になる。共存するためにはどうするのか、誰もが考える。日本もこれぐらいの覚悟を持って、近隣諸国との歴史問題を解決していかないといけないと思う。妥協すればその場はなんとかなるが、後々、問題は顔を出していくる。犯罪の種類によっては服役後の社会復帰で、同じ地域で済むのが嫌だという抗議もある。特に子供や女性への性的虐待、繰り返しの残虐行為などの犯罪者だ。日本に対しても、過去の日本軍が犯した残虐行為が未だに恐ろしいと感じる人がいるのも事実。謝罪とか賠償ぐらいでは、こういった人の気持ちがどうなるはずもない。できるのなら精神的治療を提供するぐらいだろう。戦争で捕虜となって日本軍の兵士に虐待された人の数は多い。そういった人の中にはトラウマとなって今でも苦しむそうだ。昨今、話題の映画だけではなく、有名な戦場にかける橋になった現実の話もある。映画より当時の日本人通訳者が出版した手記の方がずっと凄まじい。事実が少々間違っていたとしても、虐待された事実は事実。慰安婦も同じで、売春で高額を手にしたはずが、70年後には金も尽きたということだ。強制連行されたとか、されてないとか、どうでもよい。日本軍が売春婦管理に関与した点をいつまでも問題だと言っているのだから、これをどう納得してもらうのか。そのためには、現在、生存している証人たちから話を聞いて、記録を残し、検証するのもひとつの方法だ。しかし、これを拒否する韓国という国はおかしな国だ。事実誤認があったとしても、当時、売春婦として働いたのならそこでどういったことがあったのか、真実を知るのは本人たちにとってもマイナスではない。証言しているのだから、今更、話を聞いて、その内容を検証したところで傷つくというのはおかしな話だ。もしかしたら、彼女たちは売春での報酬が十分でなかったから、かなり老いても抗議したいのかもしれない。金が目的でないというのなら、一体何が目的なんだろうか。日本は国として謝罪している。それも首相が変わっても何代も何年も謝罪を続けている。
これで納得できないと言われても、歴史を元に戻すことはできないのだから無理難題のご無体でしかない。こんな行動は本人たちにもマイナスなのだが、韓国政府は彼女たちにいつまでこういった行為をさせるのか。年齢からすれば、本人たちだって辛いのではないのか。

日本ができるのは従来通りの過去からの発言を引き継ぐと言い続けることしかできない。賠償は条約に準じる。すでに何代もの首相がお詫びやいたわりの言葉や手紙を慰安婦たちに送っている。それでも彼女たちの心は安らがないのだろう。また、許しの宗教であるカトリック信仰者でさえ、許すことができないで、教皇になんとかして欲しいと手紙を書いたぐらいだ。許すことは自らの心を解放することでもある。かつて原爆の被害を受け、多くの日本人は米国への恨みを極限まで持っても反撃できなかった。戦争に負けたからだ。ローマ教皇が許しなさいと言ったと自分は宗教の授業で知った。そして、核兵器による恐ろしさを後世に伝えようとしている人がいる。これはとても重要なことだ。核兵器による被害は世界でも日本だけだ。被害は当人だけではなく、彼らの子供、孫への影響も否定できない。国内では被爆者との結婚でさえ反対されるぐらいだ。今でもだ。だから日本人が放射能による影響がどれだけすごく、怖いのかもよく知っているが、他国の人間には理解できないことでもある。

ヘイトスピーチをしたい原因が何なのか。それをしっかり認識して、原因をどう取り除けばいいのか。そろそろ次のステップに進んでみてはどうだろうか。排除すればすべて問題が解決することはない。何故なら帰化した人、子孫が日本にはたくさんいる。そろそろ双方で歩み寄るための妥協点を模索してもいいのかもしれない。もちろん、その間は必要最低限の交流でよい。日本にとって優先順位が高いとなれば、朝鮮半島より中国との関係が先だと自分は考える。何故なら朝鮮半島は統一を目的としているので、北朝鮮との問題が解決できない日本としては、朝鮮半島との友好を深めるメリットはない。同時に成人後の移民で、労働期間が短い場合の年金などはどうすればいいのか、そういった対応方法も政治家は真剣に検討して欲しいものだ。未だ、外国人労働者の年金ははっきりしていない。労働ビザであっても期間が長い場合に備えて、民間などの年金に加入を義務付けるなど、きちんと対応しないと労働条件が悪いと言われるだろう。収入保障保険の加入も賃金の額が少なくても、必ず加入させる。生活保護を外国人への適用をしないで、彼らが加入している保険から支給できるようにするのも、ひとつの手段だと考える。

ヘイトスピーチはどんなに法律で規制してもなくならない。人の心の中までは法律で規制できない。むしろ、ヘイト行為という定義を法務省はしっかり出さないで、ヘイトスピーチをなくす、など無理と認識していただきたいものだ。

言論の自由、表現を自由を守らないと、次々に規制が厳しくなる。やがては家族同士でさえ、言えないような言葉や話が出てきて、まさに恐怖政治のはじまりになる。
いじめと同じで、いじめる側だけではなく、いじめられる側にも原因はある。だから双方でいじめの原因をどうするのかを考えていかないと解決はできない。


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