The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

言論の自由を守る立場であっても、思想や宗教による私刑は許さない

2015-01-13 06:36:18 | Weblog
大量のイスラム移民を受け入れた人道的支援は、結果として既存の国民の不満を募らせた。その不満が言論の自由という言い訳を利用して、イスラム移民を攻撃する理由となっている。越えていけない線を越えている。日本でも朝鮮半島からの移民への抗議でデモはあるが、武力攻撃はない。平和な国、日本。日本の場合、不法移民への抗議なら筋も通るが、合法的移民に対して、出て行けというのはおかしな抗議だ。何故、法律を変えようと考えないのだろうか。たぶん、武力攻撃をかけたら仕返しが怖いというのもあるのだろう。戦後の日本で朝鮮半島からの移民が起こした暴動による被害は大きい。しかし、日本のメディアはこういった日本国内の歴史的事実を記事で配信しない。おかげで世界中には伝わらない事実がたくさんある。

つまり、日本人が暴力を嫌うから朝鮮半島移民への暴力的な抗議が起こらない、という訳じゃない。単に彼らによる復讐が怖いからというのが大半の理由らしい。だから暴力的でなくても、論理的な訴訟なども起こさない。日本での政治運動をわざわざ外国からやってきて実行する外国人からの精神的被害という訴訟があっても良さそうなのだが。ほかにも捏造記事による日本国民が受けた精神的被害による訴訟も起こらない。他国ならとっくに訴訟され、潰れているかもしれないのにだ。それぐらい報道という使命は責任感が重い。今回の風刺雑誌社にしても、何度も脅迫や攻撃を受けてもやめていない。その姿勢は特定の宗教団体すべてに通じる風刺姿勢に現れている。
免罪符を売って儲けた金で贅沢三昧だった教会、マフィアに通じた金の流れ、児童へのセクハラと数多くの事件を風刺してきている。日本だって信仰宗教に対しては雑誌は風刺どころか批判も強いが、古来からの大きな宗教団体へは一切触れない。日本には言論の自由を守ろうとする出版社がほとんどない。悲しい国だ。

声を上げることでしか、体制と戦えない。これが新聞をはじめとするメディアが生まれた背景だ。武器を持って戦えば、内戦となる。内戦による政府転覆が成功した例は少ないし、再度、政府転覆されることで安定した政権が誕生しにくい。しかし、フランスは王政を倒し、自由を民主が手にして現在に至る。性の表現も豊かだが、児童ポルノには厳しい。また、公表された記事や作品への抗議で、武器を持って作者を襲う事件もほとんどない。だが、訴訟はある。ここに答えが見えてくる。

自由には責任を伴うのだから、訴訟で判別つけるのは当然だ。しかし、抗議で一方的に殺傷すれば、それはテロでしかない。こんな行為を誰が認めるだろうか。ヘイトスピーチという言い方も、言論の自由を阻害する。ヘイトを感じる人が少なければ、ヘイトスピーチという現象は存在しないからだ。だが、誰かが傷つくのであれば、それは訴訟で対抗するしかない。発する側は、発すだけの理由があり、それをアピールするためであれば、これを止めるのは自由を止める行為に等しい。自由は優しくないし、甘くもない。だが、責任を伴う。大半がヘイトスピーチと感じないヘイトというのは、言われる側に問題がある。この問題を解決しようとしない限り、ヘイトスピーチはなくならない。すでに欧州ではイスラム移民へ不満を持つ人たちが攻撃的な行動に出ている。これを止めるのに政府側が機動隊なりを出せば、政府への不満も募る。まさに負の連鎖でしかない。誰にとっても勝利にならない戦いなど、まさにレミングスの行進だ。

朝鮮半島出身者は、自分たちが他国の外国人と同じと認めることから始めるしかないだろう。日本国籍が欲しいというのなら、何故、反日行為を日本国内でやるのか。
だから祖国に帰れと言われる。しっかり筋は通っている。自分たち専用の学校についても、外国である日本政府や地方行政が支援するのは、他国の外国人からしたら差別だし、贔屓とみられて当たり前だ。そういった行為を改めない限り、日本人および日本にいる他国の外国人からは出て行けと言われ続ける。法律でどうにかしようとしても、不満は消えてなくならない。法律は万能ではない。フランスで見るように法律が差別を禁じていても、殺されることを防げない。脅迫ではない。法律は万能でないのだから、共存共栄する道を双方が歩み寄って模索しない限り、問題が解決することはない、と言いたいだけだ。そのためには一時的に双方の距離を取ることも一策だ。しかし、それ以前にいい加減、産経新聞者の元編集長を日本に帰国させろ。こういった行為を取る国の政府と、日本政府は必要以外に交流しないようにして頂きたい。本来なら日本側で抗議が起こって当然なのに、日本の新聞社協会はおとなしいし、言論の自由への抗議すらない。政治と関連しないのなら、抗議していいはずだが。もしかしたら元編集長の生命の危険を考慮して抗議をしないのか、とまで考えてしまう。そういった国との交流は民間、特に学校関連は一切はめるようにしないと、学生の交流だって危険キマワリない。

言論の自由を掲げる組織や団体は、何故、日本人である産経新聞の元編集長のために抗議しないのか、メディアは取材して記事にして欲しいものだ。
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