The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

ヘイトスピーチと共に外国人による日本国内での政治活動にも罰則を

2015-01-19 10:28:00 | Weblog
近隣諸国以外の外国人も日本に滞在していて、日本国内で彼らの国への抗議デモなどを実行している。日本の政治に対してでないので違法とは言えないのだろうか。何故、こういった制限を提案したいのか。理由はただ一つ、抗議活動はその国で責任を担う国民のみに保持される権利であって、日本人からすれば他国への抗議は状況が違う。もちろん、日本国への抗議活動を実行するために来日する外国人にも百万円以上の罰金などを課す。表現の自由のために、あわざわざ外国人が来日して活動する権利も保証されるのか。

日本人として、意味のない反対を政府に唱えた抗議活動は、静かなデモ行進とはほど遠く、米軍基地で実行される活動は明らかに精神的に相手を傷つけるような言動が多い。しかし、取り締まろうとする行動を政府はしない。デモ権?否、単なる騒音、器物破損、精神的被害と影響は大きい。おまけに官邸周辺でのデモというのも、決して静かではなく、騒音と日本へのヘイトスピーチばかりだ。日本人として、こういった常識を欠いた人と同じ国民だとは思われたくないのだが、外国からの観光客としては、これが大半の日本人の意見だと誤解をしてしまう。

社会として必要な常識が崩壊した。外国人であっても差別はいけない、という日本語は、日本人という国民と外国人が持つ権利や責任を同一にしている点をもっと問題視するべきだろう。こういった明確な基準をビザ取得時、ビザなし観光での来日時にしっかり認識してもらうためにはどうするのか、外務省はしっかり仕事をして頂きたい。なにせ、世界のどの大使館よりも自国民を保護する努力をしない点も、未だ改善されない。だから他国で拉致や監禁という事態が発生しても、日本国の警察だけではなく軍も投入できるような国際条約を多くの国で締結してほしいものだ。発展途上国で仕事をする日本人は多い。かつてのアフリカでのテロによる惨殺は記憶も新しい。テロによる拉致、監禁となった場合に、関係国すべてで経済制裁など即刻発動できるような方法も必要だろう。単なる報復のための殺戮を繰り返すのは、テロとして効果が薄い。人命は地球より重いと世界に知らしめた日本としては、少ない人命の犠牲による多くの人命を救うためにも交渉はせず、即刻、制裁発動を関係国と実施できるようにするのが先だろう。もちろん、反対する国はある。こうやって立場を明確に世界に示すことにもなる。テロを支援する国の国民は、来日時には制限がある点も重要だ。活動の制限だけではなく、滞在取り消しの上、強制退去。テロは支援組織があって、成立できる組織だ。そういった経路を断つために関係諸国の強調した対応が不可欠な点も忘れてはいけない。

また、近隣諸国に対しても、あちらから友好を望まないのなら最低限の外交でよい。同時に優遇されているビザを含めた滞在時の権利も、即刻改善して他国と同等、できるなら日同盟国と同等として頂きたい。こういった対応が即刻できないから、相手もつけあがるし、大騒ぎする。今がチャンスなのだから、しっかり攻め手の政策で抑えて頂きたい。

今年から人道だとか人権を重視した外交は否定されていくと予想する。本来、本当に人道的支援が必要な人たちが放置され、後回しだという現実をどの国も指摘しないから改善されない。難民も、経済難民は即刻帰国させるぐらいの処置が必要だ。例えば、本来は虐殺対象でない人でも、国から逃げ出し、もどれば死刑というのもある。これをすべて救済するというのは無理がある。本来は、その国の国民が問題を解決するべきであり、他国が干渉してはいけない。人命?否、貧困でみな食べられないという人をすべて先進国で受け入れればいいのか。難民認定も同じで、ほとんどを帰国させるのを前提とする。戦争だとか、内乱だとかで逃げてくる国民を世界は救う義務があるのだろうか。内乱はその国の責任であり、他国が干渉できないようにするのが先。これをやらないから、内乱が他国を巻き込む戦争に発展していく。武器の売買はいいが、戦争におけるコンサルテーション、訓練もビジネスとして売れないようにしたいものだ。貧しい国は近代兵器による大量殺戮の成果をわかってない。相手だけではなく、相手も同じレベルの武器があれば自分たちも相当な被害を出すという点だ。いっそ、国連に戦争兵器を使う、販売する国というのを登録制として、登録外で内乱を含めた活動で武器を使った場合は無条件で国連軍が叩くというのも効果がありそうだ。発展途上国への武器、訓練の販売は禁止でもよい。内乱における闘争には連発式機関銃の使用禁止も含めたい。当然ながら非戦闘員の殺傷についても罰則を徹底させる。

神の名の下での戦争がどういった被害をもたらすのか、日本人なら知らないはずはない。自分は神は人間のような条件付で何かをしてくれる存在だとは思えない。まして、お互いに殺しあうなど、人間が全滅したら神が存在する意味がないだろう。
鰯の頭も信心から、という言葉がある日本。つまり神が存在しょうが、しなかろうが、たかが鰯の頭でも信心すれば宗教になる。
誰もが何を信じような自由が日本にはある。時の権力者が宗教を弾圧した歴史的事実もある。だが、他宗教を撲滅するという目的が強い宗教は消えていく。天罰とは、自然災害。いつこういった災害に合うのか、不安な日々の中、自然を統括管理する神なる存在は重要だ。しかし、この神の数が日本には複数あるが、国内での宗教摩擦はほとんどない。何故なのか。法律があるからか?否。誰もが求めるもっとも基本的なことは何なのか。キリストは人はパンのみで生きるにあらず、と言った。だが、パンがなければ餓死する。生きるために宗教も必要だろうが、まずは食べることが先だ。断食があっても、その後には大量の食事を共にとって祝う宗教もある。これは食の重要性を認識するためには、必要だからだそうだ。

異文化との妥協点を許容できないのなら、その国や集団は閉鎖した地域で生活するしかない。これを世界の誰が訴えるのか。まさに猫の鈴だ。それともこういった人たちをすべて抹殺すれば解決できると短絡的な意見をいい出す国も出てくるかもしれない。なにせ人命より重要な権力組織という独裁政治だ。

日本は猫の鈴をつける役目をするつもりなのか。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 自由と権利は自らが守る | トップ | 難民の定義、他国へ直接逃げ... »

Weblog」カテゴリの最新記事