The Last ward from Southen Cross to my future

目の前にある林檎は本当に林檎なんだろうか。その林檎は腐っているから林檎だって気づかないだけかもしれない。

日本国の政治家をなめているジャーナリストへの対応を批判するのは誰か

2015-04-24 00:39:30 | Weblog
財務大臣が何度も同じ説明をしているのに、下調べすらせず、自分が望む回答を引き出そうとするジャーナリストは日本人も外国人への対応をしないでもよい、と素直に感じる。なにせ、記者の要望にそぐわない回答だと幾度も同じような質問を繰り返す。これが報道だとか、ジャーナリストというのなら、そんなものは言論の自由下の存在するとは言い難い。それともジャーナリストや報道は、捏造という創作の自由も、表現とか言論の自由の下で認めろというのか。これはジョークではなく、本気らしいから困ったのものだ。世界中の報道やジャーナリストの質が劣化したのは、彼らのスキルが不足しているからだと感じる。

日本も他国も名ジャーナリストと呼ばれた人たちは、インタビューする前にはしっかり相手について下調べをする。だから質問の仕方も相手に合わせてできるのだが、昨今は相手を怒らせるようなレベルばかりだ。

日本には特に政治家へのインタビューをするときには、インタビューをする側が望んだ回答がでないと、幾度も質問をしなおす。これではインタビューの意味がない。おまけにきちんと下調べをしないから、質問内容もとんでもないレベルとなる。ゆえに回答する側もどう回答していいのか、迷うだろう、とつくづく同情したくなる。おまけにインタビューした内容を自分の意図する方向へ偏向させるために捏造する。インタビュー相手から違うと指摘されても訂正もしないし、謝罪もしない。そうなると名誉毀損やらで訴訟するしか訂正の方法がない。外国人ジャーナリストへも訴訟していただきたいものだ。

日本だけではなく、世界中のジャーナリストは、権力者は悪であり、自分たちは正義と考えているようだ。それとも単に金になる内容じゃないから、スポンサーも資金を十二分に出さないとかだろうか、と勘ぐりたくなる。どちらにしても、正義などこの世に存在しない、と自分は考えている。報道とは商業報道である限り、スポンサーの意向に従うのは当然だし、それによって正義が偏向されるからだ。

言論や表現の自由を認めるから、訴訟で争う。当然の行為だ。もし、体制や権力者へ反発する内容を公表したら逮捕されるとかなら、それはすでに自由を失っている。名誉毀損で訴訟となっても、身柄を拘束する理由が明確でないのなら、これも立派な自由への阻害となるのだが。バカにされたと思うのなら、外国人記者も訴訟すればいいだけなのだが、なぜやらないのか。言論の戦いとはそういうものであり、バカにされたと愚痴を広めることは、ジャーナリストして失格だろう。自由を守るためには、名誉をかけて訴訟で戦う。
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