tyakoの茶の湯往来

日常生活の中から茶道の事を中心に、花の事、旅の事、そして、本や写真の事など、気ままに書いて見ようと思ってます。

古地図を片手に・・・

2017-04-09 17:32:23 | 江戸古地図散歩
4月9日(日)
朝から小雨がぱらついておりました。
このお天気では予定していた行事は中止。

ぽっかり空いた1日ですので、先週行って来ました、「江戸切絵図めぐり」散歩を、備忘録にまとめて見る事にしました。
4月5日(水)、朝から快晴に恵まれ、江戸時代の絵図を元に歩こうという企画に参加して、日本橋界隈を歩いて来ました。

   
   日本橋魚河岸跡

案内板によりますと、日本橋川沿いには、幕府や江戸市中で消費される鮮魚を荷揚げする「魚河岸」があり、江戸初期には、漁師たちが、将軍家や諸大名へ調達した残りの魚を売り始めたのが始まりでと書いてあります。

関東大震災後に今の築地に移るまで、300年間江戸から東京市民の台所を賄っていたことになるそうです。

   
   白木の井戸

江戸は元々海だったところを埋め立てて町を作り上げたので、井戸を掘っても真水が中々でなかったそうです。
日本橋の南側にあった白木屋は近江商人大村彦太郎の創業で、日本橋北側の越後屋と並ぶ呉服の大店でした。

その2代目彦太郎は正徳元年(1711)、日本橋周辺の水の悩みを解消するため店内に井戸を掘り始めますが、難工事の中、一体の観音像が出たのを機に、こんこんと清水が湧き出したと言われています。

白木屋は火事の話が有名ですが、この井戸の事は初めて知りました。

   
   貨幣博物館

日本銀行の向い側に位置する「貨幣博物館」にも寄って見ました。
お金の歴史を知るには一番手っ取り早いところかも知れません。

売店で、おみやげ用に、一万円札を百円で売っておりました。

   
   一石橋迷子知らせ石標

江戸時代この辺りは盛り場であったため、多くの迷子や尋ね人が多かったそうで、当時迷子は町内が責任を持つことになっていたため、安政4年に近隣の名主たちが世話人となって一石橋に迷子探しの告知石碑が立てられたそうです。

正面に「満よひ子の志るべ」左に「たづぬる方」右に「志らす類方」と刻まれております。

   
   郵便発祥の地

ここ日本橋が、郵便発祥の地で、前島密の像や発祥の地のプレートがあります。

   
   三浦按針屋敷跡
ウィリアム・アダムスは、徳川家康から、三浦半島に領地を拝領し、それを苗字として、水先案内人ということで、按針と名乗り旗本に取り立てられたという事です。

   

この辺りは、今でも「按針通り」という名前で呼ばれております。

   
   福徳稲荷神社

高層ビルの真ん中に神社がありました。
日本橋界隈だけでも、神社や寺院が何か所かありましたが、どこもビルに囲まれております。それでも、それぞれの立場で凛とした姿で存在感を示しておりました。

この神社は、今回歩いた中では、比較的境内を広く持ち、参道が長々と続いておりました。

   
   時代の交差

どの辺りかは分かりませんが、「昭和通り」「江戸通り」が交差しておりました。

   
   小津和紙

江戸時代から360年続く和紙のお店です。
中で休ませていただきましたが、紙に関するあらゆるものを取り扱い、一日居ても飽きないほどの品ぞろいは凄かった・・・

   
   伝馬町牢敷跡

大通りに面したところに、「伝馬町牢敷跡」の碑が建っております。
伝馬町と云えば、江戸時代の牢屋屋敷を思い浮かべるでしょう。

   
   松陰終焉之地の碑

今は十思公園になっておりますが、片隅には「松陰終焉之地」碑があります。
この碑には吉田松陰が処刑される二日前に書き上げた「留魂録」に書いた辞世の歌が刻まれているそうです。

   
   忠魂碑

日露戦争の戦病没者を慰霊するための、陸軍大将乃木希典揮毫による「忠魂碑」や陸軍参謀総長鈴木荘六揮毫の「表忠碑」、「平和の礎」などの石碑型史跡が建てられています。

   
   伝馬町処刑場跡

伝馬町牢屋敷には牢屋敷の取締りを職とする牢屋役人・石出帯刀の役宅と、性別や身分に応じた牢獄があり、牢獄の中は囚人による、牢名主を頂点とする完全自治制が敷かれており、牢屋役人でさえ牢の中に権限の及ばない世界であったと言われています。

   
   桜

伝馬町牢屋敷の牢獄では、囚人が増え生活に支障をきたすようになると、牢獄内で「作造り」と呼ばれる口減らし、生活空間の確保のための私刑が横行したという。

「ツル」と呼ばれる所持金の持ち込みが無い者やいびきのうるさい者、牢内の規律を乱す者などがリンチの対象となり、殺害されても病死扱いで処理されたという事です。

   
   シャガ

また、案内人によると、牢屋役人の石出帯刀の身分は高い方ではなく、むしろ卑しい仕事として周りから低く見られておりましたが、実入りは良かったと云われていたそうです。

皆さんの??にこう答えました。
「石出帯刀は死刑を実行していた人ですから、その死体を売ったそうです。」・・・皆さんの??に、「刀の試し切りが多かったといわれております。

平和な時代になり、刀で人を切る事など出来なかった武士たちが、死体を買って密かに試し切りをしたといわれております。」

ここが本日の解散場所になりました。
10時ころから歩き始めて、4時半頃まで、だらだらと歩いておりましたので、何だか疲れました。

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2 コメント

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さすが江戸東京 (上毛三さん)
2017-04-09 22:14:00
こんばんは。

今回の記事、興味深く拝見しました。日本橋界隈は、ぶらぶら散歩していても、いたる所で思わぬものに出会い、さぞ楽しいことでしょう。さすが江戸東京です。

今回はどこの場所も訪ねてみたいですね。

私も東京で、ぜひ踏破してみたいコースがあるのですが、ますます楽しみになりました(笑)
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江戸散歩 (tyako)
2017-04-10 17:48:15
上毛三さんさま
江戸散歩、日本橋界隈は、何メートルも歩かない内に
何かがある・・・そんな散歩ですので、かえって疲れてしまいましたが、楽しかったです。

三山さんの訪ねたいところは何処でしょう。
次回は「深川界隈」です。

八戸は相変わらず開けないままです。
みなさんはどうしているのでしょう?
ありがとうございました。
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