ユネスコが世界文化遺産登録を決めた「佐渡島(さど)の金山」。最大の問題は植民地支配下の朝鮮人強制動員・強制労働ですが、「金山」の汚点はそれだけではありません。
朝日新聞の田玉恵美論説委員が「遊女や無宿人はどこへ 世界遺産めざす佐渡金山が置き去りにしたもの」と題してレポートしています(27日付朝日新聞デジタル「多事奏論」)。以下抜粋します。
< 鉱山労働者がたくさんいた相川地域(現佐渡市)には江戸時代から幕府公認の遊郭がつくられ、戦後まで営業が続いた。多いときには10軒を超える店が立ち並んだという。
働いた女性たちの多くは地元の出身だった。江戸から来た佐渡奉行は「佐渡で安いものは女と魚」と書き残した。13歳で客を取った、虐待されて死んだ。そんな記録も数多く見つかっている。
柳平さん(柳平則子さん=元相川郷土博物館館長)らは、50年ほど前からこの街の遊女について調べ、郷土博物館で紹介してきた。この鉱山町を語る上で、避けることはできないテーマだと考えていたからだ。
ところが今年5月に郷土博物館がリニューアルオープンすると、遊女にかかわる展示はなくなった。
なぜなのか。佐渡市の担当者は、「江戸時代については市内に新設された別の展示施設が担当し、こちらでは明治以降について説明をすることですみ分けることになった」のだという。
だが、江戸時代を担当している新しい展示施設でもいまのところ、遊女の説明は見当たらない。
置き去りにされた人たちは、他にもいる。
江戸時代に江戸や大坂、長崎から佐渡へ強制的に送り込まれた若者らだ。その数は、幕末までの約100年間でおよそ2千人にのぼった。
家族から勘当されるなどして戸籍から除外され「無宿人」と呼ばれたが、なんら罪を犯していない人たちも含まれていた。
(無宿人たちは)常時200人ほどが暮らしていた。逃亡を防ぐために竹矢来で周囲が囲われ、外出の自由はない。外に出られたのは年に1度だったという。
重労働であるうえ、狭く暗い坑内は不衛生で、粉じんが舞って空気が悪い。坑内火災などの事故もあり、短命な人が多かったという。逃亡を図って死罪になった人も少なくない。
幕府の目的は、厄介者を追い払って都市部の治安を改善することだった。佐渡に送り込み、いつも人手不足で困っている水替作業をやらせればちょうどいい――。そんなふうに考えた幕府の駒として、多くの人たちが都合良く利用された。
江戸時代を生きた人たちの労働事情に詳しい戸森麻衣子さん(東京農業大非常勤講師)は、「罪を犯したわけでもない人たちまでがおよそ10年にもわたって拘束され、衣食代とわずかな小遣い銭だけで過酷な労働に従事させられた。後に解放された人もいたがわずかで、10年たたないうちに多くの人が亡くなりました。これは当時の日本中を見渡しても、ほぼ佐渡鉱山だけで起きたことです」という。>
「置き去りにされた遊女・無宿人」と朝鮮人の強制動員・強制労働の共通点は、社会的弱者の人権が踏みにじられ、国家権力(幕府・帝国日本政府)の都合のいいように利用されたことです。
そしてもう1つの重要な共通点は、現在の日本政府・新潟県が、その人権蹂躙・差別の事実・歴史の隠ぺいを図っていることです。けっして過去の問題ではありません。
このような人権侵害の歴史と隠ぺいの経過をもつ「世界遺産登録」は、「日本の宝」(岸田首相、27日)どころか「日本の恥」と言わねばなりません。
なお、田玉記者は以前、丹念な取材で政府・新潟県が朝鮮人強制動員の資料を隠ぺいしている実態も暴きました(6月10日のブログ参照)。このような調査報道が他の記者にも広がることを期待します。