アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「日本選手」とは?「国籍」で分類する五輪の国家主義

2024年07月26日 | 五輪と国家・政治・社会
   

 田中美南(女子サッカー)、笹生優花(ゴルフ)、張本智和(卓球)、大坂なおみ(テニス)―この4選手の共通点な何でしょうか?
 答えは、パリ五輪の「日本選手団」の中で親(一方あるいは両方)が外国人(外国籍)の選手です。

 パリ五輪の「日本選手団」は404 人ですが、そのうち、上記の4人を含め、親が外国人(外国籍)の選手は、私の集計では31人(7・7%)にのぼります(名前や出生地からの判断なので実際はもっと多いかもしれません)。

 親が外国人(外国籍)ということは本人も外国籍であったけれど、五輪へ向けて日本国籍を取得した選手も少なくありません。笹生優花選手(写真中)は前回の東京五輪には母の国であるフィリピンの代表として出場し、21年に日本国籍を取得しました。

 「日本選手」とは「日本国籍を持つ選手」のことです。「日本選手」として五輪に出場するためには日本国籍が必要なのです。それは、五輪憲章が「出場する競技者は、参加申請を行うNOC(各国の五輪協会)の国の国民でなければならない」(規則41「競技者の国籍」)と規定しているからです。

 しかし、五輪は本来「国家」のものではなく「個人」のものだという建前です。五輪憲章の「オリンピズムの根本原則」は、「スポーツをすることは人権の 1 つである。 すべての個人は…いかなる種類の差別も受けることなく、スポーツをすることへのアクセスが保証されなければならない」とうたっています。

 競技者を「国籍」で分類することは「オリンピズムの根本原則」にも反しており、国家が五輪を「国威発揚・国力誇示」に利用する国家主義の根幹です。

 この点で、日本人が忘れてならないのが、孫基禎(ソン・ギジョン)選手の「日の丸抹消事件」(1936年)です。

 ヒトラーがナチスドイツの「国力誇示」に最大限利用した第11回ベルリン五輪(1936年)。日本は植民地支配していた朝鮮から孫選手をマラソンに出場させました。孫選手は見事優勝しましたが、表彰式では「日の丸」が揚げられ、「君が代」が流されました。その模様を報じた「東亜日報」は表彰台の孫選手の写真から胸の「日の丸」を消して朝鮮民族としての抗議の意思を示しました(写真右)。
 孫選手は後に、「「日の丸」が上がり「君が代」が演奏されることがわかっていたら、私はベルリンオリンピックで走らなかっただろう」と語っています(自伝『私の祖国、私のマラソン』1983年)。

 ベルリン五輪はヒトラーだけでなく、天皇裕仁を頂点とする帝国日本が国威発揚と植民地支配強化に最大限政治利用した場でもあったのです。(2019・7・30、20・3・5のブログ参照)

 オリンピックを続けるなら、少なくとも国家主義を一掃すべきです。アスリートを「国籍」で分類することなく、したがって表彰式での「国旗掲揚」「国歌演奏」も廃止し、あくまでも個人と団体が競い合う場にしなければなりません。


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