アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

自衛隊で始まって自衛隊で終わった「安倍国葬」

2022年09月28日 | 自衛隊・軍隊
      

 多数の反対を押し切って岸田文雄政権が強行した27日の「安倍晋三国葬」。午後2時前から4時過ぎまで、NHKはじめ民放各局(テレビ東京除く)が特番を組みました。その中継を見ていると、この「国葬」の主役は自衛隊だと思わざるをえませんでした(写真は左から①~⑥)。

自宅前 午後1時半、安倍氏の遺骨が渋谷区の自宅を出発。自宅前には多数の儀仗兵が整列し、頭を下げました(写真①)

立ち寄り 遺骨と昭恵氏を乗せた「日の丸」を掲げた車は、会場へ向かう途中で寄り道。向かった先は防衛省でした。庁舎の前で多数の自衛官が出迎える中、車はゆっくり通過(写真②)。防衛省に寄ったのは「遺族の希望」(中継キャスター)だとか。

遺骨先導 2時前、遺骨を抱いた昭恵氏が武道館に到着。出迎えた岸田首相と共に館内へ。2人を先導したのは、自衛隊の儀仗隊長でした(写真③)。

弔砲 武道館へ到着と同時に、自衛隊による弔砲が19発(写真④)。弔砲は階級によって11発~21発まで6段階あり、19発は「皇族・国家元首・大統領」の21発に次いで2番目(首相、副大統領など)。

遺骨を祭壇へ 昭恵氏から遺骨を受け取って祭壇へ置いたのも3人の儀仗兵でした(写真⑤)。

演奏 会場で「君が代」などを演奏したのは、陸上自衛隊中央音楽隊(防衛相直轄)。

儀仗隊大挙入場 2時10分、銃剣を携えた儀仗隊が大挙して入場(写真⑥)。異様な光景です。それを待っていたように、黙とうが行われました。

遺骨見送り 6時すぎ、「国葬」が終わり、遺骨が武道館から自宅へ戻る際、「花は咲く」を演奏したのは海上自衛隊音楽隊でした(この中継はなかったのでテレビが報じた「予定表」から)。

1390人 この日「安倍国葬」に動員された自衛隊員は、約1390人とされています。

 まさに自衛隊で始まって自衛隊で終わった「安倍国葬」でした。それは、安倍氏と自衛隊のただならぬ関係を象徴しています。

 安倍氏が首相になって(第1次安倍政権)真っ先に行ったのは、教育基本法改悪(2006年12月)と防衛庁の防衛省への“昇格”(07年1月)でした。

 第2次安倍政権ではさらに拍車がかかり、「防衛装備移転(武器輸出)三原則」の閣議決定(14年4月)、憲法違反の集団的自衛権行使を容認する政府見解決定(同7月)、それを法制化した戦争法(安保法制)強行(15年9月)。

 政権期間を通じてアメリカの兵器を爆買いし、軍事費はうなぎ上り。憲法違反の軍隊である自衛隊を憲法に明記する憲法「改正」をライフワークとしたのは周知の事実です。

 自衛隊にとって安倍氏はまさに守護神だったのです。

 しかし、上記のもようを、ただ安倍氏と自衛隊の親密な関係の表れとして済ませることはできません。なぜなら、これは安倍氏の私的葬儀ではなく、国が多額の税金を使って行った「国葬」だからです(7月の私的葬儀でも儀仗隊が動員されたことも大問題ですが)。

 自衛隊は「国葬」の場を最大限利用してその存在をアピールし、政府は「国葬」によって自衛隊をいっそう社会に浸透させようとしたのです。

 1943年6月5日、東条英機内閣は連合艦隊司令長官・山本五十六の「国葬」を行いました。目的は戦意高揚。それから79年。ウクライナ戦争の中、年末までに「国家安全保障戦略」など安保関連3文書が改定されます。
 自衛隊が取り仕切った「安倍国葬」は、日本人に新たな“戦意高揚”を促しているように思えてなりません。


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