アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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「安倍国葬」メディアは不参加の表明を

2022年09月22日 | メディアと民主主義
   

 岸田政権は「安倍国葬」(27日)の「案内状」を送った基準について、「元首相の過去の葬儀を踏まえた」(内閣府担当者)として、∇海外の要人∇立法・行政・司法関係者∇地方公共団体代表∇各界代表∇遺族や遺族関係者∇報道関係者、だと明らかにしました(16日付朝日新聞デジタル)

 「報道関係者」が含まれていることに唖然としました。
 過去の元首相の葬儀でもそうだったということですから、これまで気づかなかったのは迂闊でした。

 この場合の「報道関係者」は取材者ではありません。「案内状」の送り先、すなわち招待者です。
「元首相」という最高権力者だった人物の死を悼んで国家(政府)が行う政治的儀式(自民党との合同葬も同様)に、権力の監視者であるべき「報道関係者」を招待するのは、国家によるメディアの取り込みです。それに応じて列席するのは、国家権力との癒着にほかなりません。

 とりわけ「安倍国葬」への出席がメディアとしてあるまじきことであるのは言うまでもありません。さまざまな点で憲法上疑義があるうえ、旧統一教会の反社会的行為を助長させると多くの法律家や学者が指摘し、メディアもそう主張してきました。

 たとえば、朝日新聞は社説で、「数々の疑問に答えず、社会に亀裂と不信を残したまま、既成事実を積み重ねるつもりなのか。岸田首相は、国民から厳しい目が注がれていることを自覚し、立ち止まるべきだ」(8月28日付)、「このままでは、国葬とは名ばかりで、社会に亀裂を残したままの実施になりかねない」(9日付)と繰り返し中止を主張してきました。

 毎日新聞も社説で、「首相は国葬への批判を「謙虚に受け止める」と強調した。そうであるならば、国民の合意を得る努力を尽くさなければならない。このまま強行するのでは無責任だ」(9日付)と書いてきました。

 こうした自らの主張に照らしても、「安倍国葬」への列席はありえません。

 メディアが憲法遵守・民主主義を標榜するのであれば、自らの紙面(1面)や報道番組の中で、「安倍国葬」へは社として出席しないと公式に表明すべきです。

 産経新聞、読売新聞、日経新聞など国家権力と一体化しているメディアはなんのためらいもなく参列するでしょう。他のメディアも同じ選択をするなら、日本のメディアの大政翼賛化を白日の下にさらすことになります。

 問われているのはメディアだけではありません。国会議員、地方議員、地方自治体首長、「各界」から、誰が「安倍国葬」に参列するのか。それは所属政党や支持政党の問題ではありません。憲法・民主主義を遵守するのかどうか、カルト集団の反社会的行為を許さない立場に立つのかどうかの問題です。

 「安倍国葬」に対する態度(出欠席・賛否)は、個人・団体の真価が表れる試金石です。
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