アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

ウクライナ「ギルティ・シンドローム」と国家主義

2022年09月20日 | 国家と戦争
   

 10日のNHKスペシャルは、「キーウの夏 戦争の中の“平和”」と題し、ウクライナの著名な映像作家によるドキュメント映像を流しました(写真は同番組から)。この中で注目されたのは、現在ウクライナで「ギルティ・シンドローム」と言われる現象(症状)が広がっていることです。

 「ギルティ・シンドローム」とは、文字通り訳せば「有罪症候群」でしょうか。ウクライナの場合、兵士としてロシアと戦わないことのうしろめたさ、罪悪感で精神的打撃を受けていることをいうそうです。

 キーウ(キエフ)の東部農村の夫婦(写真中)は、ロシアの軍事侵攻からまもなく、ニューヨークに住む娘のもとへ避難しました。ウクライナでは18歳~60歳の男性は戦闘要員として出国が禁止されていますが、夫(54)は心臓に持病があるため兵役を免除されました。

 住み慣れた家を空けてNYへ避難するのは苦渋の選択でしたが、近所の人々から思わぬ言葉を投げかけられました。「戦争から逃げるのか」「裏切り者」。

 夫婦はNYでも毎日、テレビやネットでウクライナ情勢に目を凝らしました。やがて、「こうして平穏に暮らせば暮らすほど罪悪感がつのる。空襲があってもウクライナにいる方がいい」との思いに抗えず、娘の強い反対を押し切って、ウクライナへ戻りました。

 近所の人々は、避難した時とは打って変わって、夫婦を熱く迎えました。避難していたためそれまでの職(食肉加工)を失った妻が生活のために就いた新たな職は、軍隊に入って兵士への食事を賄うことでした。心臓病を抱える夫も「軍に志願するつもり」だといいます。

 ウクライナはまだ国民皆兵制ではなく志願制ですが、政府は「志願」を促す広報を強め、各所で「徴兵カード」を配布しています(写真右)。「拒否すれば“裏切り者”の烙印が押される」(映像作者)空気が広がっています。映像作者自身、こう言います。

「徴兵カードを受け取ったらどうしようと自問自答を続けている。自分は戦わなくていいのか、記録するだけでいいのか。うしろめたさがずっとある」

 以上が番組の概要です。

 「国家総動員法」公布(1938年4月1日)以降の日本をほうふつとさせます。

 「徹底抗戦で国を守る」という国家指導者の連日のアピール、報道の統制・一元化は国中を戦闘モードにし、良心的な人ほど「戦わないことへのうしろめたさ、罪悪感」を抱く。地域が相互監視・非難の目に包まれる。そこに充満しているは、「国家を守る」という大義の国家主義です。

 こうした国家主義の中では、立ち止まって、「徹底抗戦」ではなく「停戦・和平」を望む声・主張は抑圧されます。「非国民」として。

 軍事侵攻と徹底抗戦はもちろん異質です。真逆と言っていいかもしれません。しかし、人を殺傷する暴力であることに変わりはありません。

 戦争を1日も早く終わらせるためには、ロシア、ウクライナ双方が、そして世界中が、国家が振りまく国家主義のくびきから脱して、人間の立場、市民の立場から、何をすべきかを考え、主張することが必要なのではないでしょうか。

書きたいことが溜まってきたので、ブログをしばらく毎日更新します。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天皇裕仁の戦争責任棚上げに助力したエリザベス女王

2022年09月19日 | 天皇・天皇制
   

 イギリス王室とりわけエリザベス女王と日本の皇室はきわめて緊密な関係にありました。日本のメディアはその「親密さ」だけを強調していますが、忘れてならないのは、敗戦後、天皇裕仁の戦争・植民地支配責任を棚上げする上で、女王が重要な役割を果たした事実です。その舞台は次の4つでした。

①1953年・明仁皇太子(当時、現上皇)の訪英

 53年6月2日、明仁皇太子(当時19歳)は、天皇裕仁の名代として女王の戴冠式に出席しました。敗戦から8年。「戦時中の日本軍による英国軍捕虜の虐待問題が、戦後の日英関係に影を落としていた」(9日付朝日新聞デジタル)中での訪英でした。

「そんな英国社会の空気を変えたのが、エリザベス女王とチャーチル首相だった。…戴冠式では(明仁の)席は最前列に設けられた。式典の4日後には、女王が競馬場で(明仁と)ともにダービーを観戦する配慮を見せ、二人で並ぶ写真が新聞に載った」(同朝日新聞デジタル)

②1971年・天皇裕仁の訪英

 71年9月、佐藤栄作首相(当時)は裕仁に訪欧を勧め、裕仁はそれに応じて皇后とともに欧州7カ国訪問へ出発。翌10月、イギリスに入りました。

 「しかし、第2次大戦に従軍した英国の退役軍人やその家族は激しく反発。昭和天皇が乗った馬車には罵声が浴びさられた」(12日付共同配信)という状況でした。
 そんな裕仁を、「英王室は温かくもてなした」(同)のです。

③1975年・エリザベス女王の訪日(写真左・中)

 75年5月、女王は初めて日本を訪れ、伊勢神宮などを訪問しました。宮中晩さん会で、裕仁と女王は次のようなスピーチを行いました。

 裕仁「(日英関係は)時代の変遷に伴い大きな試練を経た。しかし、両国民の絶えざる努力で絆が以前にも増して強固になりつつある」

 女王「両国民を結ぶ友情が続き、強固になると信じている」(12日付共同配信から)

 裕仁の「時代の変遷」という無責任発言に、女王が呼応して、「日英友好の新たな誓いが交わされた」(同)のです。

 この4カ月後、裕仁は懸案の初訪米に出発。帰国後の記者会見で戦争責任について問われ、「そういう言葉のアヤについては…お答えが出来かねます」(1975年10月31日)という悪名高い言葉を吐いたのです。

④1998年・明仁天皇(当時)の訪英(写真右)

 98年5月、明仁は天皇になって初めて皇后とともにイギリスを訪れました。日本の戦争責任を問う声はまだ収まっていませんでした。53年の訪英時にも抗議した元英国軍捕虜たちは、バッキンガム宮殿に向かう天皇・皇后の車に「背を向けて抗議」(16日付朝日新聞デジタル)しました。

 この空気を変えたのもエリザベス女王でした。
 バッキンガム宮殿での歓迎晩さん会でのスピーチは次のようなものでした。

 女王「悲しいことに二国間は争う時期を迎えた。…当時のいたましい記憶は、今日も私たちの胸を刺すものですが、同時に和解への力ともなっています」

 明仁「戦争により人々の受けた傷を思う時、深い心の痛みを覚えます。…二度とこのような歴史の刻まれぬことを衷心より願う」(同朝日新聞デジタル)

 女王が日本・裕仁の戦争責任を棚上げしたままの「和解」を呼び掛け、明仁天皇は、戦後の天皇発言が一貫してそうであるように、ひとことの謝罪もない「願い」で応じたのです。

 当時、天皇に随行した佐藤正宏・元侍従次長は、「この日をターニングポイントに、英国社会の雰囲気はほぐれていった」(同)と回顧しています。

 日本の皇室はもちろん、英王室も政治に直接関与することは禁じられています。しかし、上記の経過で明らかなのは、政治的意味を持たないはずの「皇室外交」が、実は天皇の戦争・植民地支配責任を棚上げするという最大級の政治的役割を果たしたのです。

 ここに、日本の皇室、イギリス王室の国家権力にとっての有用性、市民にとっての害悪性が端的に表れているのではないでしょうか。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日曜日記215・朝鮮人差別と茨木のり子

2022年09月18日 | 日記・エッセイ・コラム
  日朝会談・平壌宣言(2002年)の約30年前、茨木のり子は在日朝鮮高校生に対する暴力事件を目の当たりにして、こんな詩を書いた。

 くりかえしのうた

日本の若い高校生ら
在日朝鮮高校生らに 乱暴狼藉
集団で 陰惨なやりかたで
虚をつかれるとはこのことか
頭にくわっと血がのぼる
手をこまねいて見てたのか
その時 プラットフォームにいた大人たち

父母の世代に解決できなかったことどもは
われらも手をこまねき
孫の世代でくりかえされた 盲目的に

田中正造が白髪をふりみだし
声を限りに呼ばはった足尾鉱毒事件
祖父母ら ちゃらんぽらんに聞き お茶を濁したことどもは
いま拡大再生産されつつある

分別ざかりの大人たち
ゆめ 思うな
われわれの手にあまることどもは
孫子の代が切りひらいてくれるだろうなどと
いま解決できなかったことは くりかえされる
より悪質に より深く 広く
これは厳たる法則のようだ

自分の腹に局部麻酔を打ち
みずから執刀
病める我が盲腸を剔出した医者もいる
現実に
かかる豪の者もおるぞ (「人名詩集」1971年所収)

 この5年後の1976年、茨木のり子は50歳でハングルを学び始めた。

 その動機(の1つ)について、こう書いている。

 あるとき、日本語を流暢に話す韓国の詩人・洪允淑さんに、「日本語がお上手ですね」というと、彼女はこう応えた。「学生時代はずっと日本語教育されましたもの」

「ハッとしたが遅く、自分の迂闊さに恥じ入った。日本が朝鮮を植民地化した36年間、言葉を抹殺し、日本語教育を強いたことは、頭ではよくわかっていたつもりだったが、今、目の前にいる楚々として美しい韓国の女(ひと)と直接結びつかなかったのは、その痛みまで含めて理解できていなかったという証拠だ。

 洪さんもまた1945年以降、改めてじぶんたちの母国語を学び直した世代である。

 その時つくづくと今度はこちらが冷汗、油汗たらたら流しつつ一心不乱にハングルを学ばなければならない番だと痛感した」(『ハングルへの旅』朝日文庫1989年)

 茨木のり子は朝鮮を植民地支配した日本の歴史の過ちを“くりかえさせない”ために、50歳でハングルを学び始め、習得した。

 孫の代に課題を残さないために、残りの人生で、私に何ができるだろうか。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平壌宣言と「拉致問題」日本政府の背信行為

2022年09月17日 | 朝鮮半島・在日コリアン差別と日本
   

 今日9月17日は日本(小泉純一郎首相)と朝鮮民主主義人民共和国(金正日国防委員長)が会談し、平壌宣言に調印して20周年です。
 平壌宣言(前文と全4項目)は第1項で、「双方は、この宣言に示された精神及び基本原則に従い、国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注する」とうたっています(宣言文は外務省HPより)。

 しかし、その後の経過は、宣言とは程遠い状況になっています。その大きな理由の1つは、日本政府とりわけ安倍晋三政権が、「拉致問題」を口実にして朝鮮敵視政策を推し進め、メディアがそれに同調してきたからです。

 その「拉致問題」で忘れてならないのは、日本政府が朝鮮との約束を一方的に反故にした重大な背信行為を犯したことです。

 当時、小泉首相の特命を受けて朝鮮側と秘密交渉をすすめていたのは、田中均外務省アジア大洋州局長でした。田中氏は20周年にあたってNHKの単独インタビューに答えました(写真中)。そのもようが8月24日の国際報道2022と9月14日のクローズアップ現代で流されました。内容は当然同じですが、前者にはあった重要な部分が後者ではカットされていました。

 カットされたのは、田中氏が「(日本は)信用を失墜する」と進言したにもかかわらず受け入れられなかった政府の決定です。

 日朝会談で朝鮮側は初めて「拉致」の事実を認めて謝罪しました。そして生存者5人の帰国を認め、5人は10月15日に帰国しました。田中氏によれば、5人の帰国は一時的なもので、ふたたび朝鮮に戻すというのが秘密交渉における両国間の合意でした。

 ところが日本政府はその約束を一方的に反故にし、5人を日本に永住させる決定を行ったのです。田中氏は「5人を(朝鮮へ)帰さないと信用を失墜する。他の(拉致被害者の日本への)帰国も相当時間がかかることになる。しかし、政府は永住を決定した」と語りました。

 この日本の背信行為については、和田春樹・東京大名誉教授もこう書いています。

「北朝鮮が一時帰国を認めて、生存拉致被害者5人が10月15日に帰ってくると、日本政府は約束を反故にして、5人を平壌には戻さないことにした。帰したくない家族の気持ちがあったのはたしかだが、一時帰国の約束など存在しなかったと外交官に言わせて、突っぱねたのは明らかに背信的であった。日朝関係は一転して険悪となった」(『北朝鮮現代史』岩波新書2012年)

 「拉致問題」には様々な要素がありますが、20年前のこの日本政府の背信行為が問題の解決を大きく阻害したことは間違いありません。

 その後、日本政府とりわけ安倍政権は「核」「ミサイル」と「拉致」を口実に朝鮮敵視政策を強めていきました。
 その朝鮮敵視政策は、在日朝鮮人に対する差別を助長してきましたが、拉致被害者家族連絡会の代表も務めた横田滋氏が生前こう語っていたことは銘記されるべきでしょう。

「高校の授業料無償化の中で、朝鮮学校について出すべきかどうかという議論があります。…合法的に日本に住んでいる子供の人権を考えたら、拉致があるから無償化反対というのは良くない。…拉致を理由に朝鮮学校に補助金を出さないのは筋違いだと思います。単なるいやがらせです」(横田滋・横田早紀江著『めぐみへの遺言』幻冬舎新書2012年)

 平壌宣言の第2項はこううたっています。
日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した

 これが平壌宣言の「精神及び基本原則」です。私たち日本人はこの原点に立ち返って、「国交正常化を早期に実現させる」努力をしなければなりません。

<訂正・おわび>9月5日のブログで、「住民監視法(土地規制法)」が9月1日から全面実施されたと書きましたが、全面実施は9月20日からの誤りでした。訂正しておわびいたします。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ウクライナ戦争と平頂山大虐殺事件

2022年09月15日 | 侵略戦争・植民地支配の加害責任
   

 ウクライナ戦争では連日市民の犠牲が報じられています。暉峻淑子氏(埼玉大名誉教授)はそうしたウクライナ情勢の「新聞記事の書き方」(報道の仕方)についてこう指摘しています。

「ブチャの虐殺を書いたら、南京大虐殺で日本軍がそれにも勝る大虐殺をしたことを、続けて書いてほしい。ミサイル攻撃で死んだウクライナ市民の記事を書いたら、海からの艦砲砲撃で死んだ沖縄の民間人が10万人に上ることを書いてほしい。
 別々に書いてはだめだ。戦争の愚かさと平和の尊さは、ひとつにつながっているのだから」(日本ジャーナリスト会議機関紙「ジャーナリスト」8月25日号)

 日本人・メディアは、かつて日本が行った侵略戦争・植民地支配の歴史を棚上げしてウクライナ戦争を他人事として傍観(報道)してはならない、という警鐘です。

 その歴史の1つとして、忘れてならないのは「平頂山大虐殺事件」です。1932年9月16日に帝国日本軍によって行われた蛮行です。明日はその90周年になります。

 平頂山は中国東北部・撫順市の南部にあり、市街地より約4㌔離れた平頂山村には当時約400世帯、3千人余の村民が住んでいました。
 撫順市委員会は1964年、事件の調査を行い、「平頂山大惨案始末」を発表しました。そこにはこう記されています。

「日本帝国主義は中国を侵略、中国人民に対して数えきれぬほどの罪をおかした。平頂山虐殺事件はその一つである。(中略)
 三〇余年前、日本軍は平頂山村を急襲し、村を焼きはらい、三千余の村民を虐殺した。日本軍は目をおおうばかりの凶行を行ったあと、証拠隠滅を画策し、厳しい箝口令によって虐殺の事実が外部に漏れないように万全の対策を講じた。そのために今日にいたるも虐殺の事実を知る者は少ない」(石上正夫著『平頂山事件 消えた中国の村』青木書店1991年より。写真は「平頂山殉惨案紀念館」の外観と展示されている遺骨=「トリップドットコム」のサイトより)

 「平頂山大虐殺」は、「旅順大虐殺」(1894年11月)、「南京大虐殺」(1937年12月)、「重慶無差別爆撃」(1938~44年)などと並ぶ、日本の中国に対する大虐殺であり、その根源は、「明治維新の「富国強兵」政策の中で誕生した「天皇の軍隊」に求めなければならない」(高尾翠著『天皇の軍隊と平頂山事件』新日本出版社2005年)ものです(事件の経過、幸存者の証言などは2020年9月17日のブログ参照)

「この惨劇から今年で90周年になります。事件を生き延びた幸存者もすべて亡くなりました。幸存者の一部の方が起こした裁判で、日本の裁判所は事実認定を行いました。しかし、日本政府の責任を免罪してしまったのです。
 日本の司法は認めたのに、行政府である日本政府は知らん顔です。この事実を継承し、次の世代に伝えていくことがどうしても必要です」(「中国人戦争被害者の要求を支える会」の「ニュース」2022年7月号)

 日本が犯した大虐殺の歴史、侵略戦争・植民地支配の罪を私たち日本人はけっして風化させてはなりません。そして日本政府に事実調査、謝罪、賠償を行わせなければなりません。暉峻さんが指摘するように、ウクライナ戦争をその責務を想起する契機にしたいものです。

<訂正・おわび>9月5日のブログで、「住民監視法(土地規制法)」が9月1日から全面実施されたと書きましたが、全面実施は9月20日からの誤りでした。訂正しておわびいたします。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知事選で触れられなかった「辺野古」と「自衛隊」の一体性

2022年09月13日 | 沖縄・米軍・自衛隊
   

 11日投開票の沖縄県知事選で、玉城デニー知事が再選を果たしたことは、辺野古新基地建設に対する県民の怒りの強さを改めて示しました。その意味は重大です。
 同時に、だからこそ、「辺野古新基地反対」が「自衛隊基地増強・ミサイル基地化反対」と結びついていないことに改めて目を向けざるをえません。

 選挙結果を報じた12日付の琉球新報、沖縄タイムスは、社説をはじめ識者談話や解説でいずれも「辺野古」が勝敗を分けたと指摘しながら、「自衛隊」に言及したものはありませんでした。

 改めて確認する必要があるのは、「辺野古」と「自衛隊」は一体不可分だということです。

 軍事ジャーナリストの小西誠氏(元自衛官)は、2017年5月、情報公開請求で政府・防衛省が秘匿していた文書「日米の『動的防衛協力』について」(2012年統合幕僚監部作成)を開示させました。「防衛省・自衛隊が初めての南西シフト態勢を策定した、重大な文書」(小西氏)です。その内容が小西氏の『自衛隊の南西シフト』(社会批評社、2018年)に詳しく載っています。

「統合幕僚監部文書を防衛省が隠蔽したかったもう一つ(「中国封じ込め戦略」とともに―私)の理由がある。…水陸機動団(2018年3月編成)の、新たに編成される1個連隊をキャンプ・ハンセンに、1個中隊をキャンプ・シュワブ(辺野古)に配備することが明記されている。また、この水陸機動団は、在沖米軍の31MEU(海兵遠征部隊)と共同作戦を行うことが図示されている。
 「島嶼奪還」の日本型海兵隊という部隊を新たに沖縄本島に配備するという、とんでもない計画が、この統合幕僚監部文書には明記されているのだ」

「だが、この文書の重大さは、これのみに留まらない。…在沖米軍の全てを自衛隊との共同使用にし、「戦略的メッセージ」「戦略的プレゼンス」(対中国)を高めることが唱えられている」

 そして小西氏は、こう断じます。

「したがって、現在、埋め立て工事が急速に進む辺野古新基地もまた、この自衛隊の拠点基地となることは明らかだ。政府が南西シフト態勢作りと合わせて、辺野古新基地造りを急ぐのも、このような自衛隊基地の確保が最大の目的である」(『自衛隊の南西シフト』)

 辺野古新基地は米軍との共同使用で実質的に自衛隊の基地となるのです。それは沖縄本島への水陸機動団の配備、そして石垣島、宮古島などの自衛隊をミサイル基地化する「南西シフト」戦略の一環です。

 まさに「辺野古」と「自衛隊」は一体であり、「辺野古新基地反対」と「自衛隊増強・ミサイル基地化反対」は一体のものとして取り組まれる必要があります。

 広範な県民が辺野古新基地に反対する理由はさまざまでしょう。しかし、少なくとも政治家やメディア、運動のリーダーは、「辺野古」と「自衛隊」の一体性を指摘する必要があります。
 辺野古新基地を阻止しなければならないのは、たんに「軟弱地盤で不可能」(玉城知事)だからではありません。自衛隊基地増強・ミサイル基地化と一体となって沖縄をまるごと最前線基地にする戦略の一環だから、絶対に阻止しなければならないのです。

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「フジ住宅」ヘイトハラスメント判決は確定したけれど…

2022年09月12日 | ヘイトスピーチ・ヘイトクライム
   

 東証プライム上場の大手不動産会社「フジ住宅」(大阪府岸和田市、今井光郎会長)が在日韓国人3世の女性(50代)に対し、職場で民族差別文書を配布するなどヘイトハラスメントを繰り返してきた問題(2020年7月14日のブログ参照)。
 女性が同社と今井会長に対して損害賠償を請求した裁判で、最高裁第1小法廷は8日付で会社側の上告を退け、同社と今井会長に132万円の賠償と文書配布差し止めを命じた大阪高裁判決(2021年11月18日)が確定しました。

 先日、京都府宇治市のウトロ地区に対する放火事件で、京都地裁が実刑の有罪判決を下した(8月30日)のに続き、ヘイトが厳しく断罪された意味は小さくありません。

 ジャーナリストの中村一成氏は、高裁判決が「(原告には)差別的思想を醸成する行為が行われていない職場又はそのような差別的思想が放置されていない職場において就労する人格的利益がある」と明言していることに注目し、その意義をこう指摘しています。

差別扇動の禁止のみならず、人種差別思想が醸成されない職場環境配慮義務を企業の一般的義務とした。これは初めての判断だろう」(「月刊イオ」2022年1月号)

 画期的な判決ですが、大きな弱点もあります。今井会長が文書を配布したのは女性を差別する「目的」だったと断定しなかったこと、配布の仕方にかかわらずヘイト文書の配布自体を違法な差別と認めなかったこと、などです。

 この弱点の根底には、ウトロ判決と同様、日本に人種・民族差別それ自体を違法とする差別禁止法がないことがあります。

 同時に、「フジ住宅」裁判の場合、もう1つ重要な問題があります。

 昨年11月の高裁判決後の記者会見で、女性はこう述べました。
「1審(有罪)判決が出てから、会社は何も変わらなかった。いくら司法が良い判決を出したとしても、受け止める会社側が変わらなければ、同じようなことが続く。正直、今も不安でいっぱいです」(2021年11月18日付朝日新聞デジタル、写真左は高裁判決後の報告集会で花束を受け取る女性=右端=同「月刊イオ」より))

 そして、判決が確定した後に出した談話でも、「(会社には)謝罪と、職場での人との関係を回復できる環境をつくってほしい」(9日付朝日新聞デジタル)と訴えています。「フジ住宅」の差別体質は、女性の懸念した通り、高裁判決後も変わっていないことがうかがえます。

 裁判で勝利することはもちろん重要です。抜本的な差別禁止法制定の必要性はいくら強調してもしすぎることはありません。しかし、それだけでは日本社会から民族・人種差別はなくなりません。差別を見て見ぬふりをしない、許さない。その目と声が、身近な生活の場、職場、地域で広がらなければ差別はなくなりません。

 毎日の職場で繰り返しヘイトハラスメントを受け、裁判で勝ってもなお差別され続けながら、屈することなくたたかい続けている女性の苦悩は計り知れません。女性は「談話」でこう述べています。

「(裁判が)一人一人が尊重されて働くことができ、多様性が当たり前に大切にされる社会の実現の後押しにつながればうれしい

 女性の不屈のたたかいに続きたいと思います。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日曜日記214・喪に服する記者たち

2022年09月11日 | 日記・エッセイ・コラム
   

 英エリザベス女王の死去を伝えた9日朝のNHKニュースで、現地特派員は黒のネクタイを締めていた。東京のスタジオの国際部デスクも黒い服だった。同日の「ニュース9」のキャスターも黒ずくめだった。喪に服したのだ(写真)。

 NHKだけではない。10日の報道特集(TBS)でも、現地特派員は黒のネクタイだった(見ていないだけで他局も同様だったかもしれない)。

 これはジャーナリスト(ジャーナリズム)としてあるまじきことだ。

 喪に服することは、故人へのなんらかの敬意なくしてはありえない。きわめて個人的な内心の行為だ。記者がプライベートで喪に服するのはもちろん自由だ。しかし、記者として放送に登場するのは言うまでもなくプライベート活動ではない。

 エリザベス女王は「国家元首」、すなわち国家権力の頂点に位置する人物だ。喪に服した姿を公共の電波で流すことは、その「国家元首」への敬意を公に示すことになる。ジャーナリストとしてやってはならないことだ。

 岸田政権はあくまでも「安倍国葬」を強行しようとしている。このまま強行されれば、当日(27日)、日本にどんな光景が表れるのだろうか。学校や企業での「弔意」の実質的強制がおおいに心配される。

 なかでも危惧されるのは、メディアの有様だ。特番はもちろん、さまざまな形で「国葬」を大きく扱い、事実上その後押しをすることは目に見えている。記者やキャスターが喪に服した姿で登場する可能性はきわめて大きい。エリザベス女王に対してさえこうなのだから。

 それは国家権力を監視する役目の記者・メディアの自己否定であり、国家権力への拝跪にほかならない。

 暉峻淑子(てるおか・いつこ)氏(埼玉大名誉教授)は日本ジャーナリスト会議の機関紙「ジャーナリスト」(8月25日号)に、「戦後77年目、メディアの課題」を寄稿しこう指摘している。

「私は15年にわたるアジア太平洋戦争の中で育ったから、国家とメディアが共同で煽った愛国心や敵愾心なるものの実態を知っている。
…今、私たちは、地球レベルでの人類存亡の危機に直面している。そこから誰も目をそらすことはできない。それなのに、国家権力に対する監視・批判者であるメディアが弱体化していることは、メディア自身の存在理由さえも失わせる結果となっている。
 現在は報道倫理の規定よりもさらに根源的なところで、ジャーナリストの良心が問われている危機の時代なのである」

 ジャーナリストへの警告であるとともに、日本社会・日本人全体への警鐘と受け止めたい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「エリザベス女王は15カ国の元首」は何を意味するか

2022年09月10日 | 天皇制と差別・人権・民主主義
   

 英国エリザベス女王の死去(8日)にかんする報道は、女王や英王室の賛美であふれています。しかし、その負の実体を無過ごすことはできません。

 注目されたのは、「15カ国で元首だった英女王 旧植民地にBLM運動がもたらした変化」と題した記事です(9日付朝日新聞デジタル)。

「エリザベス女王は英国のほか、世界14カ国の元首でもあった。多くは英国がかつて植民地として支配した国だ。独立後も王室との関係を保ってきたが、奴隷制度などの歴史を踏まえ、カリブ海諸国を中心に王室から離脱する動きがある。女王の死去で加速する可能性もある」(同)

 イギリスはかつて世界各地を植民地支配した大帝国でした。その頂点に文字通り君臨したのが英王室です。エリザベス女王が15カ国の元首であったことは、イギリスと植民地支配の歴史が今も清算されていないことを示しています。

 植民地を支配する宗主国意識は、エリザベス女王自身にもありました。

 2014年9月、スコットランドでイギリスからの独立をめぐる住民投票が行われました。その過程で、エリザベス女王は、「(独立は)慎重に考えてほしい」と公言し、「独立派」にクギを刺したのです(2014年9月18日のNHKニュース=写真中、14年9月20日のブログ参照)。

 住民投票の結果は「NO」が過半数を占め、独立派は敗れました。イギリスの世論調査では、女王の発言に対し56%の市民が「言うべきではなかった」と答えていました(「言ってもよい」は36%)。

 冒頭の朝日新聞デジタルの記事によれば、カリブ海の島国・バルバトスが2021年11月に、女王を元首とすることをやめて共和国に移行しました。その契機となったのは、「2020年に世界中で「ブラック・ライブズ・マター(BLM)」の運動が盛り上がったこと」です。

 ジャマイカの首相も今年3月、ウィリアム英王子らが訪問した際、「独立、発展、繫栄した国家として真の目標を果たしたい」と述べ、共和国に移行する方針を表明しました。

「同じように、奴隷制度などの歴史を踏まえ、英王室から離れようとする国は増えている」(同記事)

 「15カ国」の1つ、カナダも例外ではありません。エリザベス女王の死去にあたってトルドー首相は「哀悼の意」を表明しましたが(写真右)、市民の英王室離れは進んでいます。 4月に行われた世論調査では、王室から離脱する国の動きを支持する人が58%、「カナダも離れるべきだ」とした人が51%にのぼりました(同記事)

 BLMはじめ、人権・平等を求める運動の広がりとともに、英王室から離脱して共和国へ移行する旧植民地国が増えていることは、きわめて重要な世界の趨勢です。

 日本の皇室は英王室ととりわけ深い関係にあります(6月13、14日のブログ参照)。英王室が植民地支配の歴史と切っても切れない関係にあるように、明治以降の天皇制も侵略戦争・植民地支配と不可分の関係です。

 エリザベス女王の死去によって、英国内とともに他の「14カ国」でも王室離れが加速するとみられています。それは君主制が人権・平等の対極にあるからです。
 これら「15カ国」の動きを拱手傍観するのではなく、日本でも人権・平等の視点から天皇制の是非を抜本的に問い直すことが、私たち日本人の責務です。
 



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大軍拡の背景に政府・自民と兵器産業の癒着

2022年09月08日 | 憲法と日米安保・自衛隊
   

 来年度概算要求で防衛省は過去最大の5兆5947億円を計上しました。これに加え、金額を隠した(年末までに決定)「事項要求」を100項目以上盛り込みました。総額は過去最大だった22年度予算の約5兆4千億円を超える6兆円台半ばにのぼるとみられています。

 この背景には、日米軍事同盟=安保条約の深化がありますが、もの1つ見逃すことができないのは、政府・自民党と兵器産業の癒着です。

 「週刊ダイヤモンド」(8月27日号)は、「大激変!軍事ビジネス&自衛隊 10兆円争奪戦」の特集を組みました。この中のデータから、「防衛省契約高上位10社」の契約高、自民党への献金、防衛省からの天下り人数を抜き出すと、以下のようになります。

         契約高(億円) 自民への献金(万円) 天下り(人)
1 三菱重工    3102       3300            22 
2 川崎重工    2150        300                  13 
3 富士通      847       1500                     9 
4 三菱電機     797       2000                  15 
5 NEC       674        1500                   20 
6 東芝       504        ―                        16
7 GE        440            ―                   ―
8 IHI         354        1000                          17 
9 日立製作所    227        5000                             4 
10 コマツ      218        800                          3 

※契約高は「2021年版中央調達の概況」。政治献金は2020年「国民政治協会」への献金。天下りは2017~21年度分でダイヤモンド編集部調べ。(以上、「週刊ダイヤモンド」8月27日号より)

 軍事費の膨張は兵器産業に膨大な利益をもたらし、それが政治献金と官僚天下りとして政府・自民党に還元されるしくみです。

 さらに、政府・自民党と兵器産業の癒着に新たな要素が加わろうとしています。それは、来年度予算の「事項要求」の中に、「防衛産業強化基金」が含まれていることです。「防衛生産基盤を強化するための基金」で、「撤退企業から事業を引き継ぐ際の支援」などを内容とします(8月22日付朝日新聞デジタル)。

「4月には岸信夫防衛相(当時)が三菱重工業、川崎重工業、IHIなど防衛産業15社の社長らと会談。防衛産業の技術基盤は防衛力の一部だ。基盤の維持強化のために何をするべきか考えて行きたい」と話していた」(同朝日新聞デジタル)

 兵器産業の新たな育成基金の旗振り役が、安倍晋三氏が防衛省へ送り込んだ実弟・岸前防衛相であったことは象徴的です。

 軍事予算の行方としてもう1つ見落とすことができないのは、有償軍事援助(FMS)という名で巨費が米兵器産業へ流れていることです。

「迎撃ミサイルや戦闘機F―35などの輸入増加によって、すでに米国の有償軍事援助は過去10年で10倍に増えた」(同「週刊ダイヤモンド」)実態があります。
「自民党は防衛予算を10兆円規模に倍増させる方針だ。「このバブル予算の恩恵を受けるのは米国軍需産業なのではないか」(国内防衛企業の社員)との見立ては、あながち間違いとはいえない」(同)

 憲法に反し平和に逆行する軍事費の拡大は、政府・自民党の大企業(兵器産業)との癒着、日米安保条約によるアメリカへの従属を典型的に示すものです。それが「ウクライナ情勢」に便乗して強行されようとしていることを絶対に許すことはできません。

次は明後日(土曜)に更新します。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする