アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

ウクライナ戦争と平頂山大虐殺事件

2022年09月15日 | 侵略戦争・植民地支配の加害責任
   

 ウクライナ戦争では連日市民の犠牲が報じられています。暉峻淑子氏(埼玉大名誉教授)はそうしたウクライナ情勢の「新聞記事の書き方」(報道の仕方)についてこう指摘しています。

「ブチャの虐殺を書いたら、南京大虐殺で日本軍がそれにも勝る大虐殺をしたことを、続けて書いてほしい。ミサイル攻撃で死んだウクライナ市民の記事を書いたら、海からの艦砲砲撃で死んだ沖縄の民間人が10万人に上ることを書いてほしい。
 別々に書いてはだめだ。戦争の愚かさと平和の尊さは、ひとつにつながっているのだから」(日本ジャーナリスト会議機関紙「ジャーナリスト」8月25日号)

 日本人・メディアは、かつて日本が行った侵略戦争・植民地支配の歴史を棚上げしてウクライナ戦争を他人事として傍観(報道)してはならない、という警鐘です。

 その歴史の1つとして、忘れてならないのは「平頂山大虐殺事件」です。1932年9月16日に帝国日本軍によって行われた蛮行です。明日はその90周年になります。

 平頂山は中国東北部・撫順市の南部にあり、市街地より約4㌔離れた平頂山村には当時約400世帯、3千人余の村民が住んでいました。
 撫順市委員会は1964年、事件の調査を行い、「平頂山大惨案始末」を発表しました。そこにはこう記されています。

「日本帝国主義は中国を侵略、中国人民に対して数えきれぬほどの罪をおかした。平頂山虐殺事件はその一つである。(中略)
 三〇余年前、日本軍は平頂山村を急襲し、村を焼きはらい、三千余の村民を虐殺した。日本軍は目をおおうばかりの凶行を行ったあと、証拠隠滅を画策し、厳しい箝口令によって虐殺の事実が外部に漏れないように万全の対策を講じた。そのために今日にいたるも虐殺の事実を知る者は少ない」(石上正夫著『平頂山事件 消えた中国の村』青木書店1991年より。写真は「平頂山殉惨案紀念館」の外観と展示されている遺骨=「トリップドットコム」のサイトより)

 「平頂山大虐殺」は、「旅順大虐殺」(1894年11月)、「南京大虐殺」(1937年12月)、「重慶無差別爆撃」(1938~44年)などと並ぶ、日本の中国に対する大虐殺であり、その根源は、「明治維新の「富国強兵」政策の中で誕生した「天皇の軍隊」に求めなければならない」(高尾翠著『天皇の軍隊と平頂山事件』新日本出版社2005年)ものです(事件の経過、幸存者の証言などは2020年9月17日のブログ参照)

「この惨劇から今年で90周年になります。事件を生き延びた幸存者もすべて亡くなりました。幸存者の一部の方が起こした裁判で、日本の裁判所は事実認定を行いました。しかし、日本政府の責任を免罪してしまったのです。
 日本の司法は認めたのに、行政府である日本政府は知らん顔です。この事実を継承し、次の世代に伝えていくことがどうしても必要です」(「中国人戦争被害者の要求を支える会」の「ニュース」2022年7月号)

 日本が犯した大虐殺の歴史、侵略戦争・植民地支配の罪を私たち日本人はけっして風化させてはなりません。そして日本政府に事実調査、謝罪、賠償を行わせなければなりません。暉峻さんが指摘するように、ウクライナ戦争をその責務を想起する契機にしたいものです。

<訂正・おわび>9月5日のブログで、「住民監視法(土地規制法)」が9月1日から全面実施されたと書きましたが、全面実施は9月20日からの誤りでした。訂正しておわびいたします。

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