アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「安倍国葬」と若者とファシズム

2022年09月26日 | 日本の政治と民主主義
   

 「安倍国葬」(27日)に対しては各種世論調査で「反対」が過半数ですが、それでも40%近くが「賛成」しています。とりわけ若年層では賛否が逆転し、例えば朝日新聞の世論調査(8月末)では、18~29歳で「賛成」64%、「反対」30%です。

 さまざまな違憲性が指摘され、(旧)統一教会との関係がこれほど問題になっているにもかかわらず、「賛成」がかなりの部分を占めている現実は、何を示しているでしょうか。注目される2人の指摘から考えます。

 1人は、防衛大卒から時事通信の記者をへて、現在フリーライターの松田小牧氏(1987年生まれ)。なぜ若者に「国葬賛成」が多いのかについてこう述べています。

< 民主党政権で日本が揺れた時期から強いリーダーが出てきて、親戚のおじさんみたいな雰囲気なのに、世界の要人と渡り合ってすごい―。そんな思いで「国葬ぐらい、いいじゃない」となる。

 若者の間では、仲間内で政治の話をすると「イタい」と思われ、浮いてしまうような風潮もあります。若者は政権を批判しても得られるものがない。むしろデメリットばかりで、批判をしても世の中は変わらない、とも思っている。

 給料があがらず、人口減少が進んでいく中で、これから社会が豊かになるとは思えない。そんな状況で国葬に反対して何が変わるのか、と。いまの若者たちは、デモをしてもこの社会を変えられるとは思っていないんです。>(20日付朝日新聞デジタルのインタビュー=抜粋)

 もう1人は、慶応大法学部教授(政治思想史)の傍ら音楽評論家でもある片山杜秀氏(1963年生まれ)。「国葬」についてこう考察しています。

< 死者をあがめることで国が団結する、というような「未熟な近代」のような精神を日本は克服してきたはずだが、そこに回帰しているように思う。

 政治家に権威を求めるムードは国民の間にもある。国が下り坂になり、自信を失った国民は「日本はすごい」と思わせてくれる強いリーダーを支持するようになった。

 結果責任より、主要国の首脳と何十回会ったといった「頑張る姿」の方が評価され、カリスマ性を高める。国民が政権のパフォーマンスに拍手喝采し、不都合な事実から目を背けるのはファシズムの特徴だ

 安倍氏が国葬にふさわしいか否かは、事の本質ではない。

 誰かを権威に祭り上げて国民を束ねるのは民主的でない、という戦後民主主義の着地点を見失っていないか。
 本来、政治家は権威を背負わなくてもいい。課題に対処し、失敗すれば責任を取ればいいだけの話。そうした理性を取り戻せるかファシズムに流されるか岐路にあると言える。>(17日付中国新聞のインタビュー=抜粋)

 もちろん、松田氏が指摘するような若者たちばかりではないでしょう。しかし、この問題に限らず、政治・社会に対する意識の世代間ギャップは感じざるをえません。
 同時に松田氏が指摘する政治変革への諦めは、けっして若者だけでなく、30代以上にも広がっているのではないでしょうか。

 それが、片山氏が指摘する「ファシズムの特徴」を形成し、根を広げている。社会不安がファシズムの土台となり、そこに軍事主義、ナショナリズムがプロパガンダによって上乗せされ、きわめて危険な「岐路」に立っています。

 「安倍国葬」はそうした日本の「岐路」をあぶり出したのではないでしょうか。

 どうすれば「ファシズムの流れ」に抗い、理性を取り戻すことができるのか。即答できません。諦めずに考え続けるしかありません。

 
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