アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

なぜ沖縄高校生の「基地容認」が進行しているのか

2015年06月11日 | 日米安保・沖縄

        

 沖縄歴史教育研究会と県高教組が合同で、「戦後70年」に合わせて沖縄県内の高校生にアンケートを実施しました(県立高校36校、2年生2340人回答)。
 一般に、アンケートの結果にはいろいろな要素が作用し、数字の独り歩きは危険ですが、それを踏まえてもなお、今回の結果には見過ごせない傾向が表れています。

 回答の特徴は、「沖縄戦に対する意識は高いが、戦後の現代史には関心が薄く、米軍基地の存在にも違和感が少ない」(5月23日付沖縄タイムス)ものだったといわれます。
 その主な「根拠」とされているのが、写真左と中の円グラフ(同紙より)です。

 ①普天間飛行場について
 「国外・県外移設」34・6%(前回2010年は46・8%)、「現在のままでよい」20・7%(同14・8%)、「わからない」36・0%(同32・7%)
 この5年間、「辺野古新基地反対」のたたかいや、それを争点とする選挙が繰り広げられてきた中でのこの結果です。

 ②沖縄の米軍基地について
 「全面撤去すべき」9・6%、「整理縮小すべき」52・4%、「今のままでよい」22・1%、「もっと強化すべき」2・2%、「わからない」13・7%。
 「全面撤去」と「整理縮小」の合計を、5年間の推移で見たのが右の棒グラフ(琉球新報より)。10年前に比べ10㌽以上減少しています(1995年は「少女暴行事件」、2000年は「沖縄サミット」の年)。

 調査した同研究会は、「若者の基地容認が進んでいる証だろう。基地の形成過程や実態をよく知らないため、抵抗感が少ない」「沖縄の平和教育は沖縄戦については詳しく教えるが、基地問題には深入りしない傾向がある。平和教育のあり方を再検討すべきだ」(6月3日付沖縄タイムス)と分析しています。

 同研究会の中心メンバーでもある新城俊昭沖縄大客員教授は、「県内の平和教育の課題」として、「慰霊の日に向けたイベント的な学習になっていることや加害国の一員としての視点が弱いこと、基地問題や国際紛争などの現在の問題を考える学習とつながっていないこと」などを挙げ、さらにその原因について、「平和教育が教育課程になく、専門の資格を持った教員がいないため学校や教員など現場任せになっており、指導方法に一貫性がない」という問題を指摘しています(5月29日付琉球新報)。

 こうした「平和教育」の問題点は、沖縄だけでなく、被爆地・広島、長崎はじめ全国に共通する課題でしょう。

 しかしその上で、普天間基地を含め「若者の基地容認が進んでいる」問題に戻れば、その原因を「平和教育」のあり方にだけ帰することはできないでしょう。
 沖縄をはじめ日本に米軍基地が存在する元凶は、いうまでもなく日米安保条約(軍事同盟)です。その日米安保の実態・本質、さらにそれは双方から廃棄通告ができ、「通告が行われた後1年で終了する」(第10条)と条約自身に明記されていることも含め、日米安保廃棄についてまったくといっていいほど、政党もメディアも語らなくなっています。日本社会にまん延しているこうした「安保タブー」が、国民の、そして若者の「基地容認」の根本的な背景ではないでしょうか。

 沖縄における「安保タブー」は、「辺野古新基地反対」のたたかいの一方で、「日米安保はよく理解し、支持する」と繰り返し公言する翁長雄志知事を賛美する風潮の中に表れています。

 例えば、3万5000人が結集した「5・17県民大会」を絶賛する平敷武蕉氏(文芸評論家)も、こう指摘しています。
 「大会で気になったことを一つ。保守政治家や経済界のリーダーが口を極めて政府の方針を批判しているのに比して革新団体の革新性が薄い。辺野古新基地の建設は日米安保条約を法的根拠としている。安保は容認する翁長知事に配慮してのことであろうが、皆が、元凶である安保を口にしないのはおかしい」(5月25日付沖縄タイムス)

 「安保タブー」を打ち破り、日米安保=軍事同盟を廃棄して、基地のない非同盟・中立の日本を目指す。その声・世論を広げる。それが次の時代を担う若者たちへの、私たちの責任ではないでしょうか。

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