アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

映画「あん」と沖縄・愛楽園

2015年06月04日 | 沖縄と差別

      

 河直美監督(脚本も)の最新作「あん」(樹木希林主演)が、5月30日封切られました。ハンセン病元患者の生きることへの真摯な姿と、彼女と知り合ったことで再生する中年男性と少女の交流を描いた感動作です。原作はドリアン助川著『あん』(ポプラ文庫)。

 奇しくもその2日後の6月1日、沖縄(名護市)の国立療養所・愛楽園内に、展示や映像でハンセン病隔離政策の歴史を後世に伝え、地域との交流を図る資料館、愛楽園交流館がオープンしました(写真中。2日付沖縄タイムスより)。

 資料館開館に向け、2012年から企画運営委員会で20回以上熟議を重ねてきました。とくに、患者を屋外で解剖する映像や、強制堕胎による胎児標本の展示などをめぐっては、「衝撃的な事実が、逆にハンセン病に対する新たな偏見を生む可能性も考慮しながら、展示の在り方を判断した」(大城貞俊委員長、2日付沖縄タイムス)といいます。

 全国のハンセン病患者が隔離されたのは、1931年の「らい予防法」から。その非科学的差別政策が解除(あくまで法律上)されたのは、1996年の同法廃止によって。ほんの19年前のことです。

 全国のハンセン病患者と家族は、筆舌に尽くしがたい苦難を強いられましたが、沖縄ではさらに本土にない苦しみがのしかかりました。沖縄戦が差別を加重させたのです。
 沖縄では日本軍による強制収容が1944年5月から本格化しました。収容された患者を待っていたのは、壕掘りという24時間体制の強制労働でした。

 「末梢神経が麻痺している患者にとって壕掘りは苛酷な作業であり、傷を作っても気付かないことが多かった。気付いた頃には化膿し骨を痛め、切断以外に選択肢がない状態に追い込まれていた」(吉川由紀氏「ハンセン病患者の沖縄戦」-『友軍とガマ』より)
 「病ゆえに家族と引き離されながら、治療らしい治療も受けられず強制労働に駆り立てられる。怪我をすれば手足を切断され、飢餓とマラリアに苦しむ中で、弱者がさらなる弱者の介護を強いられる。死者の埋葬や火葬にも無感覚になった」(同)

 強制労働、米軍の空襲、非衛生による病気悪化、飢餓、マラリア・・・これは愛楽園とともに、沖縄のもう1つの施設、宮古島南静園(写真右)でもまったく同じでした。

 国はなぜハンセン病患者を隔離したのか。
 「その目的はハンセン病患者のない皇国建設のための『民族浄化』であった。らい予防法の制定も、患者ではなく、むしろ国民を『らい禍』から護るためのものであったのだ。戦争は隔離政策に拍車をかけ、無らい県運動の名のもと『祖国ヲ潔ムル為二!』患者を社会から締め出す方策が展開される。ハンセン病患者は皇軍の将兵になれない非国民であり、改めて、植民地をもつ一等国大日本帝国にとっての国辱とみなされた」(浜口稔氏「ハンセン病患者の語る戦世」-『沖縄と「戦世」の記憶』より)
 「国辱の血の拡散を防ぐ終生隔離によって病根を断つための断種と堕胎を法制化した国家があり、その法律が許すがまま、彼らの人権を故意に、あるいは無知によって蹂躙したわたしたち日本国民がいたのである」(同)

 天皇制国家によるハンセン病隔離政策は、日本だけでなく、植民地の韓国(更生園)、台湾(楽生園)、満州、パラオなどでも強行されたことを忘れてはなりません。

 映画や原作の「あん」にはそうした背景は描かれていません。でも、「あん」では「聞く」という言葉がキーワードになっています。月の声を聞き、小豆の声を聞く主人公。「私たちはこの世を見るために、聞くために、生まれてきた。・・・だとすれば、何かになれなくても、私たちには生きる意味があるのよ」と語る主人公。
 「聞く」ことは知ること、そして声なき声を想像することのにつながります。私たちは元患者さんたちが受けた差別の歴史、この国の暗い歴史を知らねばなりません。「無知」によって人を差別し人権を蹂躙しないために。
 愛楽園資料館を訪れたら、館の内外にこだまする「いのち声」に耳を傾けたいと思います。


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