アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「日の丸」を初めて那覇市役所に掲げたのは翁長氏

2015年06月18日 | 沖縄・翁長知事

         

 下村博文文科相が16日の国立大学長会議で、入学式などでの「日の丸」掲揚、「君が代」斉唱を要請(写真左=17日付沖縄タイムスより)した問題は、予算配分権限を持つ担当閣僚=国家権力の露骨な圧力です。
 発端は4月9日の参院予算委員会の「税金によって賄われていることに鑑みれば、新教育基本法にのっとって正しく実施されるべきだ」という安倍首相の発言です。。「当初の(文科省官僚が用意した=引用者)答弁案は、ここまで踏み込んでいなかった」(17日付中国新聞)といいますから、これまた官邸=安倍首相の暴走です。

 安倍首相や下村文科相のこうした発言が、「大学の自治」「学問の自由」への攻撃であることは明らかです。同時にそれが、学生や教員、式典参加者らの「思想・信条・良心の自由」を侵害することもいうまでもありません。

 下村発言を聞いてすぐ頭に浮かんだのが、5月28日の東京高裁判決です。卒業式で「君が代」斉唱時に「起立」せず信念を貫いた元中学教諭、根津公子さんの逆転勝利です(写真中。左が根津さん、右は同様裁判をたたかった河原井純子さん=5月29日付東京新聞より)。
 判決は、思想・信条に反して「起立」を強制されることは、「憲法が保障する思想や良心の自由の侵害につながる」と断じました。
 安倍首相に続く下村文科相の発言は、直前のこの東京高裁判決に照らしても、絶対に許されるものではありません。

  沖縄の国立大学の琉球大学は、1950年に創設されましたが、今に至るも「日の丸」掲揚、「君が代」斉唱は一切行っていません。下村発言に対し、大城肇学長は、「国旗国歌の議論は棚上げしたい」(17日付沖縄タイムス)と述べています。

 沖縄において「日の丸」「君が代」が特別の意味を持っているのは、もちろん教育の現場だけではありません。
 それは、沖縄戦で沖縄を「捨て石」にした天皇制国家の象徴であり、1972年の「復帰」以降は沖縄を再び天皇制イデオロギーに取り込み、再植民地化を図る思想的武器にほかなりません。

 本土自民党政権のそうした狙いが端的に表れたのが、海邦国体(1987年)でした。「国体には、開会式への天皇出席、『日の丸』掲揚、『君が代』斉唱、自衛隊の協力などが、当然のごとくついてまわっていた」(新崎盛暉氏『沖縄現代史』)のです。あくまでも「日の丸」掲揚を強行しようとする日本政府に対し、読谷のソフトボール会場で知花昌一氏が「日の丸」を焼き捨てて抗議したことはよく知られています。

 その沖縄で、県庁所在地・那覇の市役所に、県民・市民の反対を押し切って、史上初めて「日の丸」を掲揚(2001年5月20日)したのは、誰だったでしょうか。当時の那覇市長、現在の沖縄県知事、翁長雄志氏その人です(写真右、右端が翁長氏。『創造への挑戦』より)

 そのいきさつを、翁長氏自身が自著『創造への挑戦』(2003年)でこう語っています。
 「私が市役所で日の丸掲揚をしましたら、なんだお前、市民本位と言いながら、あるいはイデオロギーを乗り越えると言いながら、なんで日の丸を揚げるんだというようなお叱りがございます」「私はこの日の丸ということを考えた場合に本当に革新の方々が目の敵にしていろんな形で話をします。もちろん戦前の日本軍国主義などアジアの皆さん方に迷惑をかけたというようなものは否めないところがあると思っております。しかし、私は日の丸に責任があるのではないんだと考えております

 翁長氏の「日の丸」美化は、“世界の中の日本”につながります。こうしめくくっています。
 「日の丸そのものは私どものシンボルとして、そして世界に日本国民の一員としてやっていく基本的な私はベースだろうということで日の丸の問題もやっているわけであります」(『創造への挑戦』39㌻)

 「日の丸」が「日本国民」の「シンボル」であり「基本的なベース」!
 「日の丸」を信奉する翁長氏は、今回の下村発言をどうとらえているのでしょうか?
 「翁長与党」の「革新」会派は、こうした翁長氏の持論をどう受け止めているのでしょうか?

この記事についてブログを書く
« Nスペ「沖縄戦全記録」のも... | トップ | NHKが伝えなかった中村文... »