角館草履の『実演日記』

〓袖すり合うも多生の縁〓
草履実演での日々の出会いには、互いに何かしらの意味があるのでしょう。さて、今日の出会いは…。

再出発のために…。

2008年03月14日 | 地域の話
三女の卒業式の前日、朝刊にとある画家さんの個展が紹介されていました。記事を読むまでもなく、写真のお顔ですぐに誰かが分かりました。2006年3月13日、ちょうど二年前のブログに書いた元角館西小学校の校長先生その人です。
教職を離れて二年、「本当の自分自身」と言っていた画家を生業としているんですね。

新聞記事を読み進むと、一年半前に奥様を不治の病で亡くされた先生は、この個展を「妻へ…」のコンセプトで開かれたようです。会場は旧六郷町ですから、角館から車で30分あれば行けます。元校長先生が西小に勤務した三年間は、わが家の三人娘が在籍したときで、特に双子の卒業年度には格別の思い出があります。
双子の合格発表と、元校長先生の似顔絵が掲載された三女の卒業アルバムを“手土産”に、昨日の午後個展会場へ家族五人で出かけてみました。

受付で女性の職員さんに尋ねると、『先生は土日以外来てないんですよぉ。でも自宅へいれば来られるかもしれませんから、ちょっと電話してみますねっ』。確かにご自宅へいらしたのですが、娘さんが体調を崩していて今日は来られないとのこと。こちらも約束して訪ねたのではないですから、もちろんそういうことだってあります。『画だけでもゆっくり観て行ってください』との伝言を受け、そうさせていただきました。

会場へ入ると、入り口に見覚えのある「秋桜」の画が飾られてありました。青空を背景に可憐で白い花、先生がよく描かれていた作品です。その隣りに先生の個展に寄せるメッセージが掛けられています。それを読んで、明らかに私の顔が変りました。
私は双子の合格と三女の卒業を伝えるべく訪ねました。それはつまり「朗報」、笑顔の報告だったわけです。それが先生のメッセージには、「妻の死」に対する淡々とであっても壮絶な想いが綴られていました。

『34年間連れ添ったカミさんが亡くなった。一昨年の五月のことである。18歳のときに大学のキャンパスで出会ってからちょうど40年目でもあった。(中略)
始めは私の個人的な事情をテーマにして発表し、それを観てもらうことに多少の後ろめたさがあったのだが、一度は絵筆を通して表出しないと次に進むことが出来ないと思われた。描いているうちに次から次へとカミさんとの思い出がわき出てきて製作が中断することもしばしば…。何とか点数をそろえたときにはもう個展の開催が翌日に迫っていた。
3月というのに初日は猛吹雪。人前に出て目立つことを嫌ったカミさんが「私をだしにして」と照れながら少し怒っているようにも思えた一日だった。』(以下略)


文中の「一度は絵筆を通して表出しないと次に進むことができない…」という言葉に、私などは体験したことのない深く大きな哀しみを感じました。
そして展示されている画、タイトルは「葬」「飛べない天使」「告知」「バイバイ」…。絵画の世界におよそ縁遠い私ごときが観るに、暗く寂しく少し怖い画の数々からは「哀しみ」しか感じとることが出来ませんでした。いや、「哀しみの中で喘ぐ人間」というほうが適切かもしれません。

人間というものは極度な深い哀しみに陥ったとき、泣いたりわめいたり狂ったり、思いっきりそれを体現しなければ這い上がることができないのかもしれません。先生が再出発のために必要だったもの、それがこの個展だったんでしょう。

もし仮に会場で先生と会っていたら、きっと双子の合格や三女の卒業を笑顔で祝ってくれたと思います。でも結果として会えなかった。この“必然”は、やはりお会いするのが今ではなかったんだと思うわけです。
受付に添えられていたアンケート用紙の裏面を便箋代わりに、娘たちの春をしたためて帰って来ました。

あらためて、奥様のご冥福を心からお祈りいたします。

コメント
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